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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『「差別はいけない」とみんないうけれど。』
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毎木曜掲載・第145回(2020/2/6)

「ホンネ」と「タテマエ」の間で

『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(綿野恵太 著、平凡社、2200円)評者:大西赤人

 『「差別はいけない」とみんないうけれど。』という本書の題名は、なかなかに魅力的である。たしかに、大部分の人は「差別はいけない」という言葉に同意するだろう。もしも何らか現実に観察される差別についてその是非を問われれば、それこそネトウヨだろうとレイシストだろうと、ひとまず多くは「差別はいけない」と答えるのではなかろうか。しかし、その延長上に彼らは、「そんな差別は実は存在しない」とか「そもそもそれは差別ではなく、正当な区別だ」というような言葉を付け加えそうに思われる。

 大西自身、生まれつきの遺伝的体質を持ち、そのために幼い頃から足が不自由で身体障害者手帳も交付されていたこともあって、「差別」について当事者的実感とともに考える機会は多かった。ただしそれは、自分が差別を受けているという「被差別者」としての感覚ではなく、もっと第三者的な醒めた想いだった。即ち、基本的に人間個々に違いがある以上、何らかの――身体的、文化的、社会的、等々ありとあらゆる――条件に基づく差別が完全に解消されることはあり得ないという一種の諦観が確固としてあった。もちろん、当時であっても、既に「差別はいけない」という一定の共通認識は世の中に存在し、だからこそ、「差別はいけない」という決まり文句の虚偽性、欺瞞性にも気づいていたように思う。同様に、この「みんな言うけれど」に続くべきは、当然ながら「だけどねー」「といってもねー」というような後ろ向きの言葉と想像される。

 本書の表紙には、次のような文言が記されている。
「足を踏んだ者には、踏まれた者の痛みはわからない。『足を踏まれた!』と誰かが叫び、足を踏んだ人間に抗議するのは当然である。しかし、自分の足は痛くない私たちも、誰かの足を踏んだ人間を非難している。『みんなが差別を批判できる時代』に私たちは生きている」

 綿野は、「まえがき」で「世の中には『差別はいけない』ということに反発・反感を覚えるひとも一定数存在する。本書はそのような反発・反感には、それなりの、当然の理由があると考える」として、「本書は、彼/彼女らの反発を手がかりにして、差別が生じる政治的・経済的・社会的な背景に迫っていきたい」と述べ、自らがあくまでも反差別の側であることを宣明する。そして、差別を批判する論理が個人の「アイデンティティ(帰属性)」から集団の「シティズンシップ(市民性)」へと移行し、それによる「ポリティカル・コレクトネス(差別に反対する言説や運動)」が広範囲に強まったことから、その言わば息苦しさへの反動として反差別が起きていると分析する。

 この冒頭部分では、幾つもの概念がほぼ自明の物として提示されるのだが、浅学の大西にとっては、それらの意味合いや関わりを確実に摑み取ることが出来ず、行きつ戻りつしながら読み進める状態だった。また、綿野は「実は、みんなが差別を批判できるようになったのは、つい最近のことなのだ。かつては差別を受けた当事者(被差別者)だけが差別を批判できる、という考えが支配的であった」として、「かつて」との大きな対比を「当事者(被差別者)以外の人間」が声高に差別を批判するようになった「ここ数年の炎上騒動」に見出している。しかし、このあたりの流れはやや強引に映り、大西個人としては、「当事者(被差別者)だけが差別を批判できる」とされていた時代というのは良く判らない(当事者の絶対性・不可侵性は、むしろ近年なおさら強まっていると考えている)。

 綿野は、古今東西の数多の言説を比較対照し、実例に則しながら、民主主義と自由主義との対立、ハラスメントという考え方が広まった意味合い、ヘイトスピーチと表現の自由との関係性、人としてあるべき姿を仮構することで成立する「道徳的な差別」などを綴って行く。とりわけ、人間相互の生物学的な差異というエビデンスを拠り所とする「合理的な差別」は、差別と区別との境界線の有無・是非を考えさせる。そして、終章に至ると、「生まれによる差別」「生まれによる特権」を体現する天皇制によって成立している日本の戦後民主主義の矛盾を浮かび上がらせる。

 世俗的に言い換えると、「ポリティカル・コレクトネス」を巡る「アイデンティティ」と「シティズンシップ」との対立は、戦後民主主義が頭打ちとなった日本の1980年代に噴出した「ホンネ」と「タテマエ」とによる裏表に共通するように思う。「差別はいけない」というタテマエは判る、でも、ホンネでは不満を抱いている。しかし、人の内心における差別意識を強制的に解消することなど出来はしない。ホンネを隠して、せめてタテマエとしての社会システムを維持構築することさえ出来れば、まだしも良しとせざるを得ないのかもしれない。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子、杜海樹、ほかです。


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