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情報提供=高井弘之

【荒唐無稽な国体イデオロギーを信じ込んでいる麻生ら「日本ナショナリスト」たち】

麻生による「2000年にわたって同じ民族が、同じ言語で、同じ一つの王朝を保ち続けている国など世界中に日本しかない」という発言。

これは一人麻生だけの「認識」ではないだろう。「日本ナショナリスト」の多くは、多少の違いや程度の差はあれ、国体イデオロギーをベースとするこのような荒唐無稽の「日本―天皇像」を「事実」であると信じ込んでいるのではないだろうか。

この「認識」に従えば、2000年前のこの列島に、いまと「同じ日本語」を話す「同じ民族―日本(大和)民族」による「天皇王朝」(だけ)が存在していたなどということになる。しかし、そんな「事実無根」の古代史像は、かの日本文科省による検定教科書にさえ(いまは)描かれていない。

あるいは、このような「認識」は、近代日本国家が全国共通(統一)語・標準語の「創造」とその浸透政策にやっきとなったことや、明治政府の発足後すぐ、『人民告諭』などを配布して、天皇を知らないこの列島の住人に必死で、天皇の存在とその「貴さ―有り難さ」を宣伝し、教え込もうとしたことなど、「歴然とした事実」のほんの一部を提示すれば、ごく簡単に崩れ落ちる代物である。

しかし、この列島では、いまなお、このようなたわごとをのたまう政府要人がおり、社会的にも、このような「認識」を支える状況があるようである。

以下、このような「認識」状況に対する、拙著のその関連部分、参考までに。

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天皇制日本国家―日本とは、列島内を流れる時間の中での、後に近代と呼ばれることになるある時点において、その起点的時期がある形で、この列島で設立―組織され始めたものである。古代天皇国家の遺物など、列島の過去や現在に存在していたものなども「材料」として使いつつ、天皇をその中心に置く形で、上から―支配・統治する側から列島住民を組織化して、国家としての実質を備えるようになったものである。

日本人意識を持つもので構成される日本人と呼ばれる集団も、その国家内に組織されていく過程で、さまざまな相互運動も伴いつつ、人為的に形成されて来たものであって、それがそのまま、列島内に、古くから、自然のように存在していたということではない。そして、列島住民を組織し構成していく原理として「国体」や日本型オリエンタリズム―レイシズムが存在していた。

つまり、日本とか日本人とか呼び―呼ばれる集団は、人為的・歴史的な構築物であり組織体である。そして、その集団・組織体たる日本国家は、その形成開始直後から、アジアの他地域・他国家への侵略を始め、占領・植民地支配を行い、その間、多くの人びとの生を蹂躙し、殺戮し、かつ、自国民にも犠牲を強いながら、その70数年後には、壊滅の危機に瀕した。

本来なら、上記のような原理で組織され、上記のような行為を行った天皇制日本国家、あるいは、「日本人」という集団は、このとき、完全に解体されなければならなかったと、その後世に生きる私は思う。しかしそうはならなかった。臣民化された列島民衆は、そうしようとはしなかった。

そしていまや、その「継承」の程度をよしとしない「日本人」―日本ナショナリズム勢力によって、戦後日本国家は占拠され、もはや日本社会は、あるいは、「日本人」という集団は、それら存在感を強め続ける上記「主義・姿勢・原理」―大日本帝国原理とでも呼ぶべきものによって、「戦後」のこれまでとは違う次元で再組織化され、その方向で、行き着くところまで行こうとしつつあるように見える。その「行き着くところ」に現出するのは、明確な形は定かでなくとも、地獄絵以外のものではないだろう。

状況が上のようであるなら、私たちには、彼らとは別の方向性と理由・目的による「天皇制日本国家150年」―日本ナショナリズムの総括と対象化、そしてそれに基づくその克服・解体作業の開始が、このいまこそ、切実に求められているのではないだろうか。

それは、日本ナショナリズムの主体たる「日本―日本人」を組織した原理を明示してその「日本」の正体を明らかにし、それら、それを構成しているものを一枚一枚剥がして、日本ナショナリズムを解体する作業でなければならないだろう。そして、その先に、どのような新たな列島社会と東アジアを展望していけるのか。

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<「創られた伝統」としての国体>

明治日本国家の出発時、その新国家は、列島に住む大多数の住民・民衆にとっての国―国家ではなく、それは、そのとき、彼・彼女らの「外部」に存在していたと言える。したがって、新政府にとっては、彼・彼女らの「内部化」―組織化が急務であった。新国家との間に(当然ながら)何らの関係もない列島民衆に新国家による統治の根拠(正当性―正統性)を示し、帰属意識を持たせ、自らが組織しようとする国家へと住民―民衆を統合する必要があったのである。

そのために彼らが持ち出したのは、武士・大名らを従わせるときと同じく天皇であり、その組織化の論理と思想がよく表現されているものが、『京都府下人民告諭大意』(1868年10月)である。それは、新国家の統治の根拠を示し、住民を教化するために、明治新政府成立間もない1868年10月に京都府下に出され、その後、政府によって全国的に配布され、その普及をめざしたものである。その『告諭』の要旨は次のようなものだった。

【「神州」(日本)は、太古、天皇の祖先が開き、代々、その「皇統」かわることなく、この国を治めて(つまり、「万世一系」)、「しもじも」をいたわり、「しもじも」もまた天皇を尊び仕え奉って、ほかの国のように、国王がたびたびかわったりしない、「上下の恩義」が厚い国なので、「よろづのくに」に勝り、優れている。】

ここに表現されている「日本・日本人」像とは、一言でいえば、「国体」イデオロギーといえるだろう。・・・「国体」という言葉は、大日本帝国下において、概念上の曖昧さを抱えたまま極めて強いタブー性を有していたものであるが、その基本には、次のような概念―定義が存在していた。

【「日本」は、古来、(天照大御神の神勅に基づいて)万世一系の天皇が統治し、その統治下の民もまた、古来、天皇に忠誠を尽くして来た。それは、古代から不変の「日本」固有のすばらしいものであり、かつ、世界に例のない「万国無比」のものである。これが、日本の「国体」である。】

もちろん、このような国体思想における「日本(皇国)・日本人(皇民)」像は、歴史的事実に基づいているものではない。近代明治国家の統治者たちが、それまで、天皇とも「国体」とも無縁であった大多数の列島民衆を新国家に統合し統治するために、それが「日本(の伝統)」であるとして新たに創りあげた虚像である。つまり、「創られた伝統」であると言える。

(『礼賛される「日本150年」とは、実は、何か―日本ナショナリズムの解体と新たな列島社会の形成に向けて―』より抜粋)


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