*レイバーネットMLから
柴田武男です。
「自主制作・上映映画見本市#4」(文京区民センター)に行ってきました。朝十時から
夜九時まで、満載、満喫、圧倒されました。我らが松原明さんの
『人らしく生きよう 国労冬物語』も上映です。前回は、 「裁判所前の男」」(2015年制
作)でしたが、これも凄かった。 『人らしく生きよう
国鉄冬物語』は自宅で視聴してますが、やはり上映会でみんなで緊張してみると印象がま
るで違います。上映会の主催者にも感謝です。今回はコロナ禍で寂しい参加者でしたが、
少数精鋭です。継続するところに力があります。厳しい状況での上映会主催に感謝です。
これだけの力作が、なかなか上映される機会が無いというのがとても残念な状況です。
寸評です。
10:00〜11:20 『ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者』
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1995年(平成7年)1月17日の阪神淡路大震災があり、東京に避難したら
1995年(平成7年)3月20日に永田町サリン事件でも被害に遭うという人がいて、これも何
という不運なことと思っていました。その時には、さらに悲惨な広島長崎の二重被爆とい
う事実にまったく思い至りませんでした。指摘されれば当然あり得ることで、これは偶然
ではありません。
二重被爆者とされる 山口 彊(やまぐち つとむ)
さんは三菱造船の技術者で、広島の造船所が破壊されて長崎の造船所に移動して被爆、
それは三菱が狙われていたからだと製作者からの説明でした。
偶然の産物ではなく、日本の中心は三菱財閥だと米軍は理解していたのです。その結果が
二重被爆者問題というのは目からうろこの指摘でした。
1:50〜12:25 『私たちは忘れない フクシマ避難区域の教師たち』
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被災者である福島の教員が「兼務発令」で片道約100キロの通勤を強いられるという、二
度目の被害を受けるというテーマですが、同時に、支え合う組合支部活動も紹介されてま
す。そこに希望があることが救いです。
13:20〜14:30 『ふたつの故郷を生きる』
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自主避難者の厳しい生活がテーマです。帰れるのに我が儘で帰らないという非難すら浴び
ながら、子供の健康を守るために自主避難を続ける家族の物語です。帰宅困難箇所が解除
されたとはいえ、国際的にも非難を浴びている20マイクロシーベルトというとんでもない
値での解除です。国際的には、1マイクロシーベルトなのでそうすべきと、各国から日本
政府に勧告が来てます。子供の健康を考えると、とても安心して住める状況ではありませ
んが、それを我が儘という日本社会の不寛容があります。あなたたちが勝手に避難生活を
しているから、福島は危険という風評被害をまき散らしていると、加害者扱いです。被害
者が加害者扱いされる、奇病扱いされた水俣でも顕著な出来事で、未だに続いています。
日本社会の狭隘さ、不寛容さが、炙り出されます。
15:00〜16:10 『棘 ひとの痛みは己の痛み 武健一』
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関西生コン労組の
武健一委員長の闘いとその生い立ちを紹介した作品です。様々な視点が入交り、それをど
う読み解くのかです。まず、零細な事業者である生コン事業者をまとめ上げていく手腕と
熱意のすさまじさがあります。同時に、生まれ故郷の徳島での話もあります。希有な労働
運動活動家である
武健一さんについて知る作品です。この作品を見ながら韓国ドラマ『錐』を思い浮かべま
す。必ず錐のように、社会の押しつけられたおかしな秩序を突き破る人間が出てくる、と
いうのがこのドラマのテーマでそれを外資系スーパでの労組の結成と闘いを舞台にしてい
ます。この錐こそが
武健一さんかと、ここからこのドラマのヒントがあったのではと思うくらいです。棘と錐
、見る視点は異なりますが、伝えたいことは共通しています。
16:40〜18:20 『人らしく生きよう 国労冬物語』 *写真=上映中の会場
↓
国労冬物語です。冬には国労の厳しい闘いがあります。それと、それを猛然と戦い抜く北
海道厳寒の地での支え合う留萌闘争団の生活闘争があります。会場で販売された資料集が
興味深い。こうした資料が入手できるのは会場上映のありがたさです。自宅で視聴しまし
たが、この作品こそ、会場上映で見なければと思わせる作品です。会場上映は楽しい、集
中度が違う、出かける手間を除けば、良いとこばかりです。この作品は、1986年からの闘
いの軌跡ですが、丁度、家庭用ビデオカメラが普及し始めて、それを使っての編集のほぼ
第1号作品との解説がありました。新しい手法を切り開いたという自負が解説者から伝わ
りました。国鉄分割民営化は、不当なリストラを国家ぐるみで行うという意味で画期的な
モノです。人活センター、別会社での事業引継、すべて民間会社の悪いお手本として機能
しました。リストラはこうやるのだというお手本の用です。これで、土光臨調路線が路線
だけでなく、実現されたのです。
18:50〜21:10 『生きるのに理由はいるの?津久井やまゆり園事件が問いかけたものは
…』
↓
これもきつい。
津久井やまゆり園事件が問いかけたものはあまりに大きくそして深く、本質的で簡単には
受け止められません。何もかも現代社会の問題が閉じ込められた
パンドラの箱を開けたようです。彼に死刑判決を下してパンドラの箱は元に収まったので
しようか。会場で買い求めた『パンドラの箱は閉じられたのか』は植松さんに死刑判決を
下してそれで一件落着でしょうか、そんなはずはないという問題意識からのものです。で
は、明け放れたのは何か、それは何か、ということになります。私は植松死刑囚という存
在を生み出した「
津久井やまゆり園」という障害施設のあり方が闇としてあります。そこで障害者は縛り付
けられて、モノとして扱われてました。モノとして扱われている障害者から植松死刑囚は
何を感じて学んだのか、その闇は裁判でもほとんど問われません。
問いかけたものは何も閉じられず、問いかけたままで、その問いは日々忘れ去られながら
も、社会の底から問い続けています。
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staff01.
Last modified on 2020-09-27 10:15:39
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