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74年の時空を超えて響く「天皇陛下バンザイ」

2019年11月09日 | 天皇・天皇制

  

 きょう9日、皇居前で「即位を祝う国民祭典」なるものが行われます。あす10日には「パレード」(「祝賀御列の儀」)があります。そこでは出演者や観客らによって大合唱が行われることでしょう。「天皇陛下バンザイ」

 8日未明のラジオ深夜便(NHK)で「ひとり、孤児として生き」と題し、旧満州開拓団・集団自決生存者の山下幸雄さん(86)のインタビューが放送されました(アンコール。初回は今年8月13日)。

 山下さん家族と親せきは1944年3月、兵庫県豊岡市から旧満州開拓団の一員として大陸へ。苦労の末、帝国日本の敗戦と同時に、日本軍に苦しめられてきた現地の人々に追われる身となりました。
 命がけの逃避行。自力で歩けない年寄りたちは置き去りにし、泣き声をあげる赤ん坊は手にかけながら…。
 それでも逃げ疲れ、逃げ切れず、1945年8月17日、山下さんら一団は崖から増水した川へ身を投じることに。飛び込んだ人約500人、死亡者298人。

 当時12歳の山下さんは崖の上で、兄と背中合わせにくくられました。そして父親に言いました。「『天皇陛下バンザイ』と言うから、言ったら押して」。気づけば、兄は息絶え、山下さんは柳の枝にかかって一命をとりとめていました。

 生き残った山下さんはそれから1年2カ月、他の生存者とともに現地の監獄に入れられました。栄養失調とチフスで次々倒れていきました。シラミを食べて飢えをしのぎました。日本に帰ることができたのは1946年10月でした。父母、兄、親戚を失い、独り残された山下さんは、「開拓団のことは忘れるよう努めた。ただ前だけ向いて生きてきました」。

 崖の上で「天皇陛下バンザイ」と叫んだのは山下さん兄弟だけではありませんでした。ほうぼうから聞こえてきたといいます。「天皇陛下バンザイ」の声が。
 もちろん、満蒙開拓団だけではありません。何万、何十万の兵士、民間人が「天皇陛下バンザイ」と言いながら命を絶ったことでしょう。
 死ぬ時だけではありません。帝国陸軍がアジアを侵略し、村々を略奪した時も、「戦果」を誇って叫ばれたことでしょう。「バンザイ、天皇陛下バンザイ」

 「天皇陛下バンザイ」はたんなる普通名詞ではありません。天皇の絶対的権力・権威、その下での侵略戦争と植民地支配を象徴する血塗られた固有名詞です。

 その「天皇陛下バンザイ」を、2019年10月22日、安倍晋三首相は「高御座」の天皇徳仁に向かって叫びました。衆参議長、最高裁長官、国会議員、地方の首長らもそれにつづいて三唱しました。

 「即位を祝う国民祭典」で「天皇陛下バンザイ」を唱えた人の中の何人が、その意味・歴史を知っているでしょうか。嵐のメンバーは知っているのでしょうか。文化・芸能人には社会的責任があります。知らねばならない歴史があります。

 74年の時空を超えて響く「天皇陛下バンザイ」。この光景が何を示しているのか。その歴史をいまこそ凝視する必要があります。


Created by sasaki. Last modified on 2019-11-10 10:51:12 Copyright: Default

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