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LNJ Logo 木下昌明の映画の部屋 : フー・ボー監督『象は静かに座っている』
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●木下昌明の映画の部屋 第258回

行き場を失う中国庶民のいまを描く〜フー・ボー監督『象は静かに座っている』

フー・ボー監督の『象は静かに座っている』は「満州里(マンチュリー)の動物園には餌も食べないで一日中座っている象がいる」という青年の独白からはじまる。これにひきつけられた。

フーは『ニーチェの馬』で知られるハンガリーの鬼才タル・ベーラを師と仰ぎ、29歳でこの映画を完成させた。ベルリン国際映画祭で最優秀新人監督賞と国際映画批評家連盟賞、台湾金馬奨では作品賞などを受賞している。それなのに彼は命を絶った。 映画をみると、画面の奥に、人間社会への深い絶望感がにじみでている。

舞台は中国河北省の石家荘で、炭鉱で栄えた土地。それがいまや廃れていこうとしている。主人公のブーが通っている高校も廃校になる。

映画の半ば、通りすぎていく貨物列車をブーが悄然(しょうぜん)と眺めているシーンがある。あれは石炭車か。延々と続き、一見、産業が盛んなようにみえるが、実は、忘れられていく時代を表しているようだ。

その取り残された内陸部の町で、ブーや女生徒のリン、青年チェン、老人のジンらが登場し、彼らが町から締めだされていくさまが描かれている。それがありふれた日常のなかで起きるから、かえって予測のつかない展開となり、画面から目が離せなくなる。

例えばトップシーン。チェンが女の部屋で朝を迎える。突然女の夫らしき男がドアを叩(たた)く。彼はチェンをみても驚いた様子もなく、「お前か」と一言いって窓から飛び降りる。男はチェンの親友で、女のために部屋を借りたが、にっちもさっちもいかなくなっていた。男の母が自殺現場にやってきて、部屋を見上げ「高いのね」とつぶやく。

それぞれのぶつかっている人間模様をとらえながら、行き場を失っている中国庶民のいまを浮きぼりにする。3時間54分の長尺もの。それでいて、これがたった一日の出来事なのだ。ラストが見事。
(『サンデー毎日』2019年11月10日号)

〔追記〕この映画を取り上げたのは、ジャ・ジャンクー監督が『帰れない二人』(9月に公開)のなかで描いた――巨大なボタ山を二人で見つめているシーン、三峡ダムで沈みゆく四川省奉節の風景――そこに中国の未来はあるのかと問うジャンクーの姿勢に、フー・ボー監督と共通する問題意識をよみとったからだ。いま中国は、社会主義とはウラハラな困難な道を歩んでいる。

※11月2日より渋谷「シアター・イメージフォーラム」他で公開


Created by staff01. Last modified on 2019-11-05 15:36:00 Copyright: Default

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