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LNJ Logo パリの窓から(56) : ルーアン化学工場の黒煙と市民の怒り
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 第56回・2019年10月3日掲載

ルーアン化学工場の黒煙と市民の怒り

 マクロン政権による政治とは、少数の富裕層と金融資本の利益のために公衆の福利を犠牲にし、これまで築かれてきた福祉国家を解体することだと要約できるだろう。そして、それに反対する人々を黙らせるためには、市民の権利と自由を制限・蹂躙することも厭わない性格が、「黄色いベスト」や環境活動家などへの弾圧によって明らかになった。さらに、9月26日に起きたルーアン(パリ北西約140km、ノルマンディー地方)の化学工場の火災と、4月15日のノートルダム大聖堂火災後の行政の対応を見ると、市民の健康や安全を考えているとはとても言えない。二度にわたり、福島原発事故後に聞いた言い回しを思い起こさせる健康被害・環境汚染の矮小化と、直ちに正確な情報を公表しない隠蔽体質が露呈された。

事故の矮小化と情報伝達の不備

 火災が起きたルブリゾルという潤滑剤用添加物製造の工場はルーアンの産業地区(しかし居住地区からわずか500メートル)にあり、事故が起きると環境汚染の危険が重大なSevesoという産業施設(EUの規定、原発は除外されている)の「危険大」の一つである。9月26日の午前3時頃に火災は発生した。長さ22キロ、幅6キロの黒煙雲がルーアン市などを襲い、さらに風で北東方向、リールやベルギーにまで汚染が及んだ。事故後に雨が降り、「黒い雨」が広大な地域の土壌や住居に流れた。悪臭と煙で呼吸困難、嘔吐、頭痛などに見舞われた人も多く、学校は当日から週末まで閉鎖された。農民には家畜を外に出さないこと、農産物の収穫と事故の日以降の牛乳や卵、蜂蜜の出荷の中止が通達された。セーヌ河の汚染も心配される。

 ところが、拡散された物質の名称をはじめ、火災や汚染についての情報はすぐに公表されず、「心配するほどではない」「黒煙と煤に強烈な毒性はない」という発表しか流れなかった。首相は9月30日に現地に行き「情報の透明性」を約束したが、住民や環境団体、野党議員など多くの人々の激しい抗議と批判を受けてようやく、5日間以上たった10月1日の夕方にセーヌ・マリティム県知事が記者会見し、拡散された物質のリストをその後サイトで公表すると述べた。そもそも、環境汚染を伴う重大な事故なのに、事故当日の昼前にシラク元大統領が亡くなったと報じられた途端、主要メディアのほとんどのニュースは週末まで、その件(美化された大統領への賞賛ばかり)一色となってしまったのだ。

 現地のルーアンでは、健康・環境への影響を心配し、情報の不透明さに怒った住民や環境団体など市民団体、労働組合がすぐに動き出した。9月30日、リベラシオン紙(写真)にルーアンの市民たちによる「黒い怒り」と題する声明が掲載され、「警官がガスマスクをつけ、農産物の収穫・出荷が中止されたのに、なぜ住民の吸う大気は危険ではないと言うのか説明せよ」などと厳しく行政の対応を批判した。そして、この事故のテクノロジー惨禍としての認知とそれに見合った政府の対応、Seveso施設について住民参加による法律・規定の再検討、さらにルブリゾル工場の指導陣の責任追及を求めた。

 翌10月1日の夕方には多くの市民団体や労組が呼びかけたデモに数千人が集まり、ルーアン裁判所から県庁までを歩いた。炭化水素と硫黄の悪臭がまだ残る市内で、家族連れを含む市民たちは情報の欠如と不透明性、行政の対応のひどさに怒りを表現した。27日金曜に健康大臣が現地で述べた「手を洗いなさい、清掃しなさい」といった発言に、「化学工場の事故なのにバカにするな」と市民は憤慨した。月曜に学校の再開指示が出たが、頭痛・吐き気で退校した子どもたちがいた。教員の中には、自分の身と健康に危険がある場合に認められる「撤退の権利」を使い、登校を拒否した者もいた。ルーアンから避難した人々(とりわけ富裕層)もいるが、健康被害の予防のために、事故当日から汚染地区の住民を避難させるべきだったという意見もある。

 10月1日の晩、セーヌ・マリティム県庁のサイトにようやく、火事で拡散された物質のリストが公表された。化学添加物や灯油、洗浄剤、溶剤など5253トンが燃焼したとあるが、燃焼して生成した物質の詳細と毒性はこのリストからはわからない。炭化水素や亜硫酸ガスの他にダイオキシンやフランなどの害が懸念されるが、公式発表によると分析の結果、今のところ大気中に毒性の強い物質は認められなかったいう。また、工場の屋根のアスベストも拡散されたが、これも分析の結果、認められないか基準以下だと県知事は語った。詳しい分析を続けて結果が公表されることになっているが、行政は6日間近く最低限の説明さえしなかったために、人々の疑念は消えない。

 環境団体「ロバン・デ・ボワ(ロビンフッド)」によると、行政は工場から半径300メートルしかアスベストの検査をしなかったが、破片が工場から3、5キロの場所で見つかったという。また、公表された物質のリストは不完全で、製造途中の物質や廃棄物が含まれていないが、このリストからだけでも有害で危険な物質が大気と町、セーヌ河に拡散されたと指摘する。さらに、2017年11月の政府の決定により、テロ防止対策のために危険物を取り扱う施設内の物質や配置図などの詳細を発表しなくてよくなったことが、今回の情報欠如を引き起こしたと批判する。この環境団体は当時、配置図の非公開は納得できるが、物質や危険について市民は知る権利があるとその決定に反対した。

 「チェルノブイリ以後、何の進歩もない。原発事故が起きたら恐ろしい」とある市民が語ったように、後述するAZFの大事故後に改善されたはずの情報の透明化などの規定が、「テロ対策」によって大きく後退したわけだ。ちなみに、今回の事故は悪臭を伴い、目に見える汚染と体調の変化があったために住民の反応も即座だったが、ノートルダム大聖堂の火災による鉛汚染については、目に見えず匂いもしないせいか、市民の反応は遅かった(ノートルダムの鉛汚染については次回のコラムに書く)。

住民の健康と環境の保護より産業優先の法制

 ところで、火災になったルブリゾルの工場は、フランス史上初の化学大汚染とされる1770年の事故が起きた硫酸製造工場跡から、わずか500メートルの場所にある。ルーアンは18世紀から繊維工業の中心地となり、その化学工場が設置された。アンシャン・レジーム(絶対王政)下、現地の高等法院は住民の健康を害すると反対したが、中央政権は高等法院を解散させ、工場の設置を強制した。1770年の事故後に訴訟が起き、革命後のナポレオン帝政下の1810年、化学工場の設置に行政許可を規定する法律が作られた。しかし、環境汚染問題専門の歴史学者ジャン=バティスト・フレソーズによると、この法制は環境保護をもたらしたのではなく、「汚染する権利」として機能したという。この許可によって産業施設の場所が恒常化し、また経営者は汚染による被害を刑事裁判で問われなくなった(民事による罰金のみ)。

 20世紀後半、1966年に起きたリヨンの製油所事故後、危険を回避するための法制が再編されるが、この「産業環境政策」は住民の健康を考慮したものではなかった(健康は健康省の管轄)。化学工業を重要産業とするフランスでは、事故の際の住民のパニック管理が重要な関心事で、健康や環境汚染は二の次だったのだ。もっとも、1982年の労働法(オルー法)で新設されたCHSCT(企業内の衛生・安全・労働条件委員会、2017年の労働法改悪で別の機関に吸収された)の活動や、住民や環境団体の活動などによって、環境と健康への影響が問題にされるようになった。2001年、トゥールーズ近郊でのAZF化学工場爆発は死者と大被害をもたらした。その後に作られた法律(事故のシナリオを設定して備える)は15年かけてようやく実施に至ったというが、今回その効果が全くなかったことが証明された。

 さて、環境保護への市民の関心が高まったのとは裏腹に、危険な施設の規制は近年、緩和化の一方をたどっている。2016年(オランド政権)の政令と2018年にマクロンが作らせた法律によって、危険な産業施設の拡張や内容変更の許可手続きが簡略化され、甘くなったのだ。本来なら必要な環境影響調査を回避できるようになり、環境省の地域圏専門部署ではなく知事が許可を出せるようになった。たとえば、火災を起こしたルブリゾルは今年の1月、取り扱う危険な物質の大幅な増量の許可を、いともたやすく知事からとりつけている。ところが、この工場は2013年に事故(メルカプタンによる長時間の汚染、パリや英国に及んだ)を起こし、ルブリゾル社は管理ミスを咎められて国に4000ユーロ罰金を払った。さらに2015年9月にも鉱油2000リットルが放出される事故が起きた。そうした経過を踏まえ、危険物の大量の増加に許可を出す前に、リスク評価など厳密な調査をすべきだったと環境権利の専門家ガブリエル・ユルマンは述べる。そして、この事故は規制緩和がもたらしたと批判する。

 フランスでSevesoに認定された危険な産業施設は現在1378、そのうち744がルブリゾルのように「危険大」に属する。ルブリゾルの危険予防計画は、2014年に行政から承認を受けている。しかし、環境規制局による視察では2017年に不備が発見された。また、Seveso以外にも環境に害を及ぼす可能性がある(ガソリンスタンドなども含まれる)と分類された施設(ICPE)は全国で50万か所あり、環境省の視察を必要とする。ところが視察官(約1600人)の数は足りなく、視察数は2006年の3万から2018年には18196に減少した(15年間に半数)。国際的な場では環境に力を入れているように見せかけても、マクロン政権は国の支出削減政策を進めており、環境省の公務員数を真っ先に減らすほど環境政策を軽視している。それに加え、規制緩和によって産業界(強力なロビー)と経済を優先させる政策が強化されてきたのだ。そして、同じく「規制緩和」を進める労働法改革によっても、健康と安全の管理は後退しつつある。

 ルブリゾル(フランス支社)の本社は同名のアメリカの化学企業で、バークシャー・ハサウェイに属する。そのオーナーは世界第三の富豪、ウォーレン・バフェットだ。「階級闘争はもちろん存在する。しかし、戦いを進めるのは私たち富裕階級であり、私たちはまさに勝利しつつある」と2005年にCNNのインタビューで語った人物である。ルブリゾル社は、火災が外部から発生したとして直ちに告訴した。

 市民側からも既に40以上の提訴がある。それに加え、火災後に工場付近を走行した市営バスの運転手の多くが健康を害し、20人ほど告訴する予定だという。また、大気の質の向上をめざす「レスピール(呼吸せよ)」という環境団体は9月30日、汚染状況を市民の側から考査する独立した専門家を任命するよう、ルーアンの行政裁判所に急速審理を求めた。また、行政による検査ではダイオキシンやフランについて言及されなかったため、市民による調査見本の採取と独立機関による分析を開始すると告知した。この急速審理は、元環境大臣で原子力や遺伝子組換え植物の危険を摘発してきた弁護士、コリーヌ・ルパージュが提出した。

 ルーアンの汚染問題は始まったばかりだ。政府・行政とルブリゾル社に対して、市民たちがどのように闘っていくか注目したい。

 2019年10月3日 飛幡祐規(たかはたゆうき)

10月4日追記:

・NPO「レスピール」によると、独立した専門家の任命をルブリゾル社は受け入れたが、県庁が反対しているという。また、火災が起きた晩すぐ、現地に原子力・放射線・生物・化学物質検査専門のトラック5台が赴いたという情報があり、火災で拡散された物質の詳しい分析が直ちにされていたはずだという。また、現地で消火にあたった消防士たちの多くが体調を悪くしたが、彼らの血液検査の結果はまだ分析中で本人への通達がないため、不安が高まった(分析後に通達される予定)。これらの事実を踏まえて「レスピール」は分析の情報の開示(むろん匿名を厳守)を県庁に求め、独立した専門家の任命を再度強く主張した。国の専門機関INERIS(国立産業環境・事故リスク研究所)は、「現在の分析結果からはダイオキシン汚染の危険を除外できないが、今のところ低い値」という言い方をしている。

・ルブリゾル社は今年の1月だけでなく6月にも、取り扱う危険物の増量の許可をとりつけた。ルブリゾル社のコミュニケ(9月30日)によると、火災は製品を樽に入れて保管する建物A5の外側で発生した。労組CFDT からの情報によると、発生時に消火システムは機能したにもかかわらず、大きな火災に発展した。環境関係の独立インターネット・メディア「ルポルテール」によると、2009年にルブリゾル社はSevesoの「危険大」になり、2010年に「危険調査」が行われた。2014年に承認された「危険予防計画PPRT」には、建物A5の外側に置かれたパレットの燃焼による火災の危険はリストの中にあるが、確率は10万年に1度(原発事故についても同じく「ほとんどありえない」と言われていた)とされていたという。当時は従業員が200人だった工場では、その後の容量拡大によって現在は420人が働いている。2倍以上になったのに、以後1度も環境と危険調査が行われていなかったわけである。


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