太田昌国のコラム : 96年目の「虐殺」の記憶 | |
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96年目の「虐殺」の記憶事実は、「北の問題が解決もしていない」2019年9月の今日、すでにして「南たたき」が始まっている。しかも、官民・メディアが一体となり、いわば社会を挙げての様相を呈している。この重大な問題については、今後も繰り返し多面的に触れることになるだろうが、ここでは、姜徳相氏の書物に戻りたい。以前にも別な文章で触れたことがあるが、全編にわたって重要な本書の記述の中で、私がもっとも重要だと思うのは「第10章 社会主義者の問題」である。姜氏以外の人による著書も参照しながら時間軸に沿って簡潔に記述するなら、事態は以下のように展開する。 9月1日正午―――――――震災発生。
姜氏によれば、朝鮮人虐殺事件、亀戸事件、大杉事件は、多くの人びとによって「3大テロ事件」として論じられる。並列化して問題にすることが多い。だが、それでよいだろうか。震災後幾日を経て事件が起こっているか/虐殺の実態はいかなるものであったか/手を下した者は誰だったか/幾人の人びとが犠牲になったか/事態はいつ「発覚」したか/報道は、どの時点で、いかになされたか/民衆の反応はどうであったか/犯人は裁判にかけられ、処罰されたか――などの観点から事態を検証すると、「日本の官民が一体をなした民族的犯罪である朝鮮人虐殺」と、「自民族内部における権力犯罪」である亀戸・大杉両事件の間に横たわる違いが露わになる。それらを明らかにすることによって、日本社会が何と向き合うことがなかったがゆえに、2019年現在の社会・政治・思想状況がもたらされているのかを、私たちは遅きに失しているとはいえ、理解することになるだろう。 きのう(9月9日)江東区の寺で開かれた「亀戸事件96年追悼会」の模様を報告する「しんぶん赤旗」の記事(9月10日付)は、河合義虎らの犠牲に触れた後で「また軍隊や警察、デマに惑わされた自警団によって数千人を超える朝鮮人や中国人が虐殺されました」と記している。日本社会で行なわれている歴史解釈の主流の方法に対して姜氏らが持つ疑問と批判はまだ有効だ、と私たちは自らの問題として自覚しなければならないようだ。 Created by staff01. Last modified on 2019-09-10 15:52:24 Copyright: Default |