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LNJ Logo 木下昌明の映画の部屋『僕たちは希望という名の列車に乗った』
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●木下昌明の映画の部屋・第253回『僕たちは希望という名の列車に乗った』

エリートのタマゴたちはなぜ西にいったのか

 ドイツ映画の『僕たちは希望という名の列車に乗った』は、歴史の移り変わりについていろいろ考えさせてくれる刺激的な映画です。監督は『アイヒマンを追え』のラース・クラウメ。原作はディートリッヒ・ガルスカの『沈黙する教室』。この手記を元にした実話であります。

 時代は1956年、舞台はスターリンの名をとったスターリンシュタットと呼ばれた実在した地方都市。そこは鉄工所が盛んで、その町の高校3年の教室が主な舞台となっています。そこで、東ドイツ社会主義下の厳しい管理教育を批判的に描いています。

 第2次大戦からいくばくもたっていない時代、人々は社会主義を信じ、いつしか世界中が社会主義になると思われていました。わたしもそう思っていたひとりです。それなのに悪しき官僚主義がはびこり猊集修亮由"が抑えつけられていたことが描かれています。 トップシーンはテオとクルトの高校生が、西ベルリンの映画館でニュース映画をみる場面です。それはハンガリー動乱で、ソ連軍を中心としたワルシャワ条約機構軍がハンガリーの首都に侵入し、民衆がそれに歯向かっているものでした。

 2人はそのニュースに衝撃をうけ、教室で話し、クルトの提案で、授業中なのに2分間の黙祷をします。

 この当時、ベルリンの壁はまだ築かれていなくて、検問はありましたが、人々は自由に往来していました。が、この黙祷が、郡の学務局のケスラー女性局員に知られることとなり、黙祷の首謀者は誰かの追及がはじまります。

 生徒たちは抵抗するものの家族の過去があばかれ、脅され、密告に追い込まれます。父はナチと戦ったのではなく、ナチそのものだったり、ソ連のスパイだったり。

 やがて教室は閉鎖されます。そうなると社会主義建設のエリートのタマゴとして養成されたかれらの道は閉ざされ、鉄工所の工員として働くしかなくなります。首謀者は町の有力者を父にもつクルトと判明し、ケスラーはウソの供述をもちかけますが、それを拒否したクルトは、西側へ逃亡します。これにみんながつづくのです。

 ――このように、エリートたちが東から西へ逃亡するので壁がつくられたのです。その点ではキューバも同じで、キューバで育ったエリートたちの多くはアメリカに亡命しました。社会主義建設の困難はここにもありました。

 わたしは映画をみていて中島みゆきの「時代」の一節――まわる まわるよ 時代はまわる――を思い出しました。また、それとともに若いころによくきかされた「弁証法」という言葉も思い起こしました。弁証法といってもいろんな使い方がありますが、ここでのそれは《歴史は螺旋的に発展していく》――という意味です。

 人間は長く生きていると、かつて善とされたものが悪に転換されたり、悪が善とされて支配体制によって、それが強化される、という価値の変せんがみえてきます。この映画では、父の世代が旧時代の悪を克服しようと息子たちを次代のエリートに育て上げようとする。しかし、そのことによって父の世代が逆に批判されることになる。それは、悲しいことです。

 もっとも歴史によって断罪されるのは東ドイツだけではありません。西ドイツの親たちも多くがナチスであったわけです。ほかの映画をみてもよくわかります。ミハイル・ファーホーヘン監督の『ナスティ・ガール』(89年)やジュリオ・リッチャレッリ監督の『顔のないヒトラー』(14年)などは、隠していた過去があばかれ、町の有力者が元ナチだったことが暴露されていきます。だからこの映画のように、東から西にいったところで「希望」とはいえないのではないでしょうか?

 むしろ、この映画では、生徒たちをエリートに育てることに大人たちがやっきになって、鋳型にはめた人間に育成しようとしたところに焦点をあてるべきではなかったでしょうか?

 ともあれ、20世紀社会主義の歴史だけでなく、日本のいまを考える上で、この映画はぜひみてほしい一本です。

※5月17日よりBunkamuraル・シネマほか全国ロードショー


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