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「戦後文学の語り部」松本昌次さんとの出会いと別れ

    牧子嘉丸


*2013年1月の「松本昌次と読む珠玉の戦後文学エッセイ講座」

 「戦後文学の語り部」松本昌次さんが亡くなった。これから著名な作家や出版人の追悼文や親交の深かった友人・知己の回想などが多く出されるだろう。そんな中にまじって、場違いにしゃしゃり出るつもりは毛頭ないのだが、このレイバーネットで知己を得た私は、そのささやかな思い出を記してお別れとしたいのである。あるいは私のような出会いがあった読者もいたのではと思うのだが。

 私がはじめて松本さんに会ったのは、市民メディアセンター・メディアール主催の「松本昌次と読む珠玉の戦後文学エッセイ」講座に参加したときだった。これは影書房で出版した戦後文学シリーズに合わせて企画されたものではなかったか。当日の司会は佐々木有美さんで、松原明さんがビデオ撮影をしていた。またどんな忙しいときにでも駆けつける木下昌明さんの姿があった。まさに盟友ともいうべき存在だったことは後に知るのだが。

 当時のメディアールの場所は、高田馬場から神田川にかけてのわかりにくい場所で、「まるで戦前の左翼のアジトみたいだね」と松本さんは苦笑されていた。第一回講座は武田泰淳の「汝の母を」という衝撃的な一文をテキストに使ったと記憶している。私は泰淳さんの作品はいくつか読んでいたが、これは知らなかった。そのとき、子供のころ中国人をシナ人やら何やらと侮蔑して遊んでいたことを無知とはいえ、今でも恥ずかしく思うと松本さんは話していた。

 それから場所が移り、駒込の「琉球センターどぅたっち」で開催された。私が毎回欠かさず参加し、何やかやと質問するので、気にかけてくれたのか少し懇意してくれた。それで、自費出版したばかりの「海の挽歌」という本を進呈した。素人というのは怖いもの知らずである。この戦後の卓越した名編集者に自作を読んでもらうとは。ところが、次に会ったとき、「実に面白かったね。いい作品ですよ」と賞めてもらった。そしてことあるごとに推奨してくれた。私は自分の作品に自信がもてないだけに非常にうれしかった。

 それで調子にのって「トルソー」という同人誌や雑誌「労働者文学」に書いたものを送ったが、そのつど親切な短評があり、励ましてくれたのはありがたいことであった。あるとき感想にそえて、「思うところがあってレイバーネットの執筆を当分やめる」と書かれていた。私はすぐ返事を書いて連載中のコラムは、時代の悪潮流の本質を正鵠に射る名論で、ミニコミ誌に書かれるのも素晴らしいことだが、レイバーネットならメディアの大きさから多くの読者に伝わるし、また読者もそれを望んでいると書き送った。思うところは強いものがあったのだろう。松本さんはなかなか自説を譲らないタイプの人であった。

 講座での質問で私が戦後文学者について論じているある批評家の名前を出したとたん、「あの人はダメです」とぴしゃりと言われたことがある。なんでも「昭和文学史」を書いたその批評家に重要な女流作家が数名抜けていると指摘したら、「そんなこと言われなくてもちゃんと知っているんだ」と言わんばかりの態度であったそうだ。松本さんはそういう謙虚さのない態度が許せなかったのだろう。

 「作品が良くても人間がダメなら、その作家は認めない」というのが持論であった。また熱心に惚れ込んだ作者でも、その後の行状や言説をみて決別したこともあったという。その代表は吉本隆明だろう。原発反対を言う人間をサル以下と発言したこの空虚な批評家をどんな思いで見ていただろうか。

 それから、これは私達の運動内部でもおこりがちなことであるが、自分たちの主張が受け入れられないとすぐに「大衆は遅れている」とか「庶民は無知だ」とかいう発言が出る。これに対して松本さんは即座に厳しく反論した。日本のインテリが大衆を獲得できなかった理由も考えず、そのインテリの口真似をしてどうするという怒りであった。

 新年あけて、福島の秋沢陽吉さんから「クレーン」という雑誌が送られてきた。井上光晴特集を組んでいて、なかに松本さんのインタビュー記事がある。井上文学について、あれこれと語りながら、ご自身の近況として、肺炎で入院後、体力が落ちたこと。にもかかわらず、読書会・映画会に参加したり、宮本研エッセイ集の編集に関わっているなど、お元気そうな様子で喜んでいた矢先の出来事だった。

 最後に特記しておきたいことは、松本さんには女性のファンが多くいたことだ。フェミニストなどと便利で安易な言葉では言い表せない人間的なやさしみがあった。国境を越えた人権や自由はもちろん大事だが、まず足元の人間関係を対等平等にしなければと教えてくれたのも、思えば松本さんである。もちろん、松本さんはそんなお説教を垂れたことはない。生き方で示してくれたのである。肩書きや地位で人を判断したり、忖度したりしない。有名無名にも関わらず、どんな人でも善意と誠実さがあれば、やさしく親切の対応してくれた。レイバーネットでも、市民運動でも、また映画会・読書会でも松本さんと接した人はみな同じ思いではないだろうか。

 できうれば、そういう多くの普通の市民や友人が書いた思い出を天国の松本さんに届けたいものである。戦後文学の継承者から私達がなにを継承したかを伝えるためにも。

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