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毎木曜掲載・第91回(2019/1/10)

小説は時代の地層を表す

●『日本の同時代小説』(斎藤美奈子、岩波新書、2018)/評者:渡辺照子

 社会学者と称される古市憲寿氏の小説が芥川賞の候補になったと聞いて、私は愕然とした。もとよりこの賞には話題作りにあざといと思われる選考があることも否めないが、最近、同氏は終末期医療に関し問題発言をしたことで、一層悪評が高まっているのだ。その古市氏の何が問題か。文学には必須の死生観に「難あり」とされる、かの氏の作品が果たして文学と言えるのかどうか、だと私は思っている。恐らく石原慎太郎、村上龍の系譜に連なるとの判断もあったのかもしれないが、私にはそんな「文学」は必要ない。

 と言って、どういった小説を読めばよいのか。多くの人が訪れる新宿の紀伊国屋書店の文庫本コーナーの平積みを見ると良い。カラフルを通り越した表紙の連なりにクラクラすること請け合いだ。そんな時、小説の歴史を概観する書籍があると良いのに、と思っていた。その矢先の本書の刊行だ。文学はエンターテイメントやノンフィクションも取り上げているから、案外ウィングは広い。

 私は日本の従来の小説が好きではなかった、私小説という個人のちまちました心象をこれでもかとばかりに読まされて、社会問題や人間の根源的な問題をテーマにしないスケールの狭さに辟易していたからだ。その私の嫌いな要因を著者は「社会性を欠いた」「ヤワなインテリ」「ヘタレの知識人」のものだと、過去の評論を引用して説明している。

 既存の「権威ある」文芸評論が作家個人の成育歴だとか、親族との関係とやらを、やたらに詳しく調べることに、私は何ら興味を持てなかった。作家個人ではなく、作品にスポットを当てないその類の「評論」は、私小説と親和性があったのだろうが、今となっては前世紀の遺物だ。

 小説が、汗水たらして働く者のものになっていない揺籃期の小説は「内省的」であっても良かった。その「内省的」さが1980年代まで残っていたことがこの本でわかる。

 しかし、1990年代に入り、イラク戦争、阪神・淡路大震災、そして、3.11の東北大震災、それに伴う原発事故を経て、小説は、人間が抗えない「運命」としての戦禍、大災害、それに伴う死に向き合わざるを得なくなった。この年代はワーキングプアの登場もあり、仕事に苛まれる人間の姿も数多く小説のテーマとなった。ワーキングプアは理不尽な職場で無意味な仕事をさせられて、人生の時間を削られている。ただそれだけで闘っているからだ。「平和な日本」には、ブラック企業という「戦場」がある。

 年代が進むと「女流作家」なる言葉が死語になったことにも気づく。90年代初頭、文学界が「もう書くことが残っていない」とされた時期に、差別と偏見の中にいる女性には書くことがいくらでもある、と著者も述べている。こうした矛盾の只中にいる女性の筆による「お仕事小説」がゆるぎないジャンルを確立した今、次なるジャンルは「介護小説」だと指摘している。「仕事と介護」。これはもう私自身の避けられないテーマではないか。小説は私の必需品だ。

 本書に戻るが、日本の小説の進化論でもある本書は世相史でもあり、読む人によっては過去の小説や作家名を見て、自分の読書歴や精神史にもなるのではないだろうか。小説は著者も述べているが、時代の地層を表している。先代の積み重ねがあってこその今だ。過去の足りない点を克服する形で変容を遂げる、まさに弁証法的な営みだと思った。

 今、時代はリアルなディストピアの様相を見せているが、最後の章では「ディストピアを超えて」となっている。ディストピアの先には何があるだろうか。そして、また何年か後にこのような本が刊行されたら、小説とその小説を生んだ時代はどう書かれているだろうか。

〔追記〕
 ブックレビューをお読みの皆様、昨年は本当にありがとうございました。私は毎月、何冊か読んだ本の中から迷いながら1冊を選んで書いています。文字数の関係で、下書きの半分くらいに削っての本文ですので、どこまで皆様に伝わっているかな、と思っています。 色々厳しい状況になりますが、そんな時、本がひとつの救いになるかもしれません。レイバーネットの皆様と共に、今年もなんとか生き延びればと思い、連載を続けていきますので、何卒宜しくお願い致します。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。


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