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韓国最高裁「徴用工判決」の核心は何か

2018年11月01日 | 朝鮮と日本

     

 新日鉄住金に賠償命令を下した韓国最高裁の「徴用工判決」(30日)に対し、安倍首相は同日、「1965年の日韓請求権協定によって、完全かつ最終的に解決している。判決は国際法に照らしてありえない判断だ」と述べ、河野外相は31日、韓国政府に対し、「毅然とした対応をとるよう」要求しました。

 日本の大手新聞は、産経、読売、日経のみならず、毎日新聞も「日本政府が『断じて受け入れられない』と表明したのは当然である」と安倍政権に同調するとともに、「主体的に問題解決を図るべきは韓国政府だということを自覚してほしい」(31日付社説)とし、朝日新聞も、「韓国政府は、事態の悪化を食い止めるよう適切な行動をとるべきだ」(31日付社説)と、いずれも問題は韓国側にあるとしています。

 こうした日本の論評・態度は、問題の核心をそらせ、自らの責任を棚上げするきわめて不当・不遜なものと言わねばなりません。「徴用工判決」で問われているのは日本の方です。

 日本政府やメディアの主張は、今回の判決が日韓請求権協定(1965年)に反しているという1点に集約されます。しかし、判決はその「協定」について、「両国の債務・債権関係を解決するためのもので、不法行為(植民地支配―引用者)に対する請求権は適用対象に含まれない」と判断したのです。「協定」は国家間の「負債関係」であり、被害者個人の賠償請求権はそれによって縛られないという判断であり、これこそ国際法の潮流に沿うものです。

  「協定」(条約)は行政府の行為であり、それを承認した段階で立法府の行為ともなりますが、司法が行政府や立法府の行為に追随する必要はない、いや追随してはならないというのは三権分立の基本原則です。

 政府が行った「協定」の是非を判断するのは司法の当然の役割です。それを最高裁が判断したこと自体を「国際法に照らしてありえない」などと批判するのは、三権分立の基本原則をわきまえないものと言わねばなりません。「国家の体をなしていない」(中曽根弘文元外相)などと韓国を批判・揶揄するのは、裁判所は政府に従うものといういかにも日本(自民党)的歪曲発想です。

 今回の判決の核心はどこにあるでしょうか。

 判決は「強制動員被害者の請求権」を「日本の不法な植民地支配に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とするもの」と認定しています。そして、日本政府がタテにしている請求権協定について、「交渉過程で日本政府は植民地支配の不法性を認めず、強制動員被害の法的賠償を否定した」と断じています。

 これは歴史的事実です。安倍政権に同調する日本のメディアも「植民地支配の法的性格については、正常化を優先することであいまいにした経緯がある」(31日付毎日新聞社説)と認めています。

  結果、朝鮮人徴用工らの強制労働で不当な利益を得た日本の大企業は、その(法的)責任を問われることなく今日に至っています。それどころか、「それら(強制労働―引用者)にたずさわった多くの企業は、戦後になると”損失“をこうむったとして『国家補償金』を獲得」(田中宏氏『在日外国人』岩波新書)さえしているのです。

 問題の核心は、日本が一貫して朝鮮に対する植民地支配の責任を認めず、被害者への謝罪も賠償も行っていないことにあります。請求権協定は謝罪・賠償の代わりに「経済協力」で韓国政府(当時、朴正熙大統領)と交わした国家間の妥協の産物にほかなりません。

 日本はたんに植民地支配の責任を認めないだけではありません。麻生太郎副首相は植民地政策(皇民化政策)の主要な柱だった「創氏改名」を賛美(2003年)さえしました。その麻生氏と二人三脚を続けているのが安倍首相です。
 また、朝鮮人の徴用工が地獄の苦しみを強いられた長崎県・端島(軍艦島)がユネスコ世界遺産に登録される際に(2015年)、強制労働の事実を否定したのも安倍政権でした。
 先の韓国での国際観艦式(10月10日)に際し、侵略・植民支配の象徴であった天皇制軍隊の旭日旗掲揚に固執(結果、不参加)したのも、典型的な表れでした。

 朝鮮植民地支配に対する無反省・居直りは敗戦後一貫した日本(政府・政界・メディア・言論界・「市民」)の姿勢です。日本は、侵略戦争・植民地支配の(法的)責任を認めず、したがって被害者に対する謝罪も賠償も行わず、「経済協力」という国家戦略をそれに置き換え今日まで「経済発展」を続けてきました。
 しかし、こうした虚構はやがて歴史の検証の中で崩れるものです。今回の判決はそのことを示す一端ではないでしょうか。

 私たち日本人が、過去の侵略・植民地支配の歴史に正面から向き合い、被害者への謝罪と賠償という歴史的責任を果たすことができるのかどうか。それが問われているのではないでしょうか。


Created by sasaki. Last modified on 2018-11-01 14:31:38 Copyright: Default

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