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毎木曜掲載・第82回(2018/11/8)

新しい切り口と新鮮な驚き

●『貧困を救えない国 日本』(阿部彩/鈴木大介 PHP新書)/評者:渡辺照子

 対談本の妙は、対談者が互いの尊敬の念をベースに、違いを認め、刺激し合い、単独では表出しないコメントを出す事だろう。その点では本書はかなり成功の域に達している。阿部彩氏は子どもの貧困を取り上げ、研究者の立場から貧困問題を社会問題にまで押し上げた「功労者」。片や鈴木大介氏は特に若い女性に焦点を絞り、現代の若者の貧困のありようを丹念に取材したライターだ。研究者と在野のライターが同じテーマで語り合い、1冊の書籍を上梓するというのは、あるようでなかった企画だ。

 対談のテーマ設定が興味深い。これまでの「貧困問題」本は、「誰の貧困であるか」が大事だった。(今でも大事だが。)「男性か、若者か、高齢者か」等々と言ったように。ところが、本書では「なぜ貧困を放置してはいけないのか」「誰が貧困をつくっているのか」「メディアと貧困」「精神疾患が生み出す貧困」「地方の貧困と政治を動かす力」「財源をどこに求めるか」「支援者の問題」等が章立てされている。「貧困にある者の実態」を調査する研究書とは様相が異なり、貧困問題を取り巻く社会状況にまで言及している点が類書にない新しい切り口を見せている。編集がなせる業でもあろう。

 本書は、いくつも新鮮な驚きがあった。両氏は、日本の高額所得者に自分が高額所得者だとの自覚が欠落していること、それが「階層の分断」だとの指摘をしている。年収一千万円でもユニクロを着て生活様式に差異がないこと等が理由だとの分析も説得性がある。阿部氏が「若い層が貧困層に厳しいのが理解できない」と言えば、鈴木氏は「みんなギリギリのところで頑張っていると思っていからだ」と回答。さらに「貧困層は頑張ること自体ができない状態にある」と述べている。

 「メディアと貧困」の章では「ウェブメディアはなぜ貧困ネタを好むのか」と問題提起をして、好む要因を「不安と安心感を提供している」ことだと分析している。これについては私も思い当たる節がある。かつて貧困ネタがテレビ番組で炎上したことがあった。「生保受給者のクセに余計なものを買って贅沢をしている」というバッシング。母子でネットカフェに寝泊まりしている惨状を珍獣扱いし、制度の利用でその状況から抜け出す方法を提示せずにいるテレビ局のスタンス。「自分はまだマシなほうだ」と思わせる鎮静剤の役割しか果たしておらず、貧困を生み出す社会的背景に言及しない作り方。「貧困にあえぐ人たちが消費の対象物にされている」と憤ったものだ。テレビ局の「結論ありき」の企画の立て方と映像構成によるものが大きいと思う。それに対し、数えきれない貧困の当事者に深い取材をしてきた鈴木氏の見解がすごい。冷蔵庫にたくさん賞味期限切れのモノがつまっているほうが貧困なのだ、と言うのだ。買い物のコントロールもできないのが貧困の本質だというのだ。そのコメントに対し、阿部氏が感心している。

 さらに鈴木氏は取材対象者に若い女性を選ぶが、高齢女性を選ばない理由として、貧困になるまでのライフストーリーの長さと要因の複雑さを上げている。阿部氏からは「若い女性の貧困」が社会問題になる理由を「産む性が貧困により産めなくなるから」であり「女性の貧困の問題が若い女性の貧困問題にすり替えられている」と指摘を受け、「耳が痛い」と素直に反省をしている。

 このような感じで、貧困問題へのアプローチにおいての互いの違いを自らの研鑽の糧に変えてゆく両氏の言葉のやりとりがすがすがしい。読者としては、両氏が研究者、取材者の立場でこれまで超然として見えてきた中、ホンネや素顔が垣間見えるのも得した気分だ。

 両氏は、自分たちが必死に貧困問題を社会に訴えているのに届かないことに憤りを感じている。どうすれば届くのかについて心を砕いている。それがこの良書を生んだ。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。


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