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LNJ Logo 山谷哲夫 : 「沖縄のハルモニ」は、何故祖国に帰らなかったか?
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「沖縄のハルモニ」は、何故祖国に帰らなかったか?

   山谷哲夫(「沖縄のハルモニ」監督)

 「沖縄のハルモニ」こと、翳奇(ぺ・ポンギ 1914〜1991)オバアは死ぬまで、郷里の韓国へ帰らなかった。多くの人が旅費ぐらい出してあげる、と言っていたにも関わらずだ。
 何故だ?

 敗戦後も慶良間諸島・渡嘉敷島日本軍陣地に立てこもったぺさんと「かずこ」さんは、早めに投降した4人の慰安婦と違い、帰国時期を逸し、本国へ送還されなかった。
 日本語も解らないぺさんや「かずこ」さんは戦後、米軍に沖縄で放り出され、生きていくために米軍、沖縄労務者に体を開いてきた。しかし、歳と共に客はつかなくなる。
 幸い、行き倒れ寸前のぺさんは、沖縄料亭のおばさんに拾われ、下働きで飢え死にを免れた。しかし、「かずこ」さんは病死するまで、子供を抱え、米軍基地近くで客を取っていた。

 まずぺさんを助けたのは、料亭の女将や義理の息子である。特に義理の息子である新城久一さんが沖縄復帰(1972)後、身元引受人となり、那覇入国管理局から特別在留許可を取った。ついでに生活保護ももらった。これで身分も安定し、もう老いても、飢える心配はなくなった。
 次いでぺさんの世話をみたのは、在沖縄・朝鮮総連の金さん、李さんご夫妻である。

 初めは、砂糖キビ畑の片隅にひっそり住んでいたぺさんに無視されたり、怒って鎌を振り上げられたりしたが、3〜4年も通ううち、信頼関係を徐々に築き上げてきた。それでも、たまたまぺさんが体調や頭痛が悪いときは、問答無用で追い立てられている。
 医師でもないが、ぼくの見立てでは、日本軍基地での劣悪な衛生条件―リュウマッチ等―とあえてみんなが触れないが、戦中の慰安婦だった時、もしくは戦後の米兵、沖縄労務者相手の売春の影響が頭痛の原因だと思う。つまり、性病、とりわけ梅毒の後遺症の可能性が強い。

 ぺさんが韓国・京畿道新礼院の生まれ故郷にあえて帰らなかったのは、健康不安、それに故郷で過ごした時の想像を絶する貧困、最後に朝鮮総連・金さん、李さん夫妻への義理立てだと思う。

 それに、もう一つある。それは貧しい人間、とりわけ女性に対する蔑視が韓国では極端だからである。ぼくが韓国で取材していた77〜78年は、まだ「慰安婦」の存在自体が韓国の人たちに知られておらず、反応は薄かった。それが1991年に挺対協の後押しで金学順さんがソウルで「慰安婦宣言」を大々的にしてから、まず日本国内が大々的に揺れた。

 韓国もようやく「慰安婦」にスポットライトを浴びさせ、反日の「切り札」として「朝鮮人従軍慰安婦」を前面に出してきた。

 しかし、慰安婦の本質はあくまで階級、貧困、そして女性差別なのである。急に国上げて、「英雄」に祭り上げられても、ぺーさんは戸惑うと思う。

 もう一度、ドキュメンタリー映画「沖縄のハルモニー証言・従軍慰安婦」(86分)を見てほしい。そして、慰安婦問題の本質、植民下朝鮮の圧倒される貧困、女性差別を画面のぺーさんの言葉から感じ取ってほしい。

 9月29日(土)、アップリンク渋谷(宇田川町37-18 tel 6825-5503)で午後3時半から「沖縄のハルモニ」を上映します。その後5時からぼくが慰安婦の話をします。

 ともすれば、日韓の対立を煽るような「慰安婦」ですが、画面上の翳奇さんをじっくり見ることで、その本質「階級」「貧困」が徐々に見えてくることを、監督であるぼくが保障します。

アップリンクHP


Created by staff01. Last modified on 2018-09-23 18:52:19 Copyright: Default

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