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〔週刊 本の発見〕安田浩一著『「右翼」の戦後史』 | |
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右翼が�牋枌辞瓩箸呂い┐覆ず�●『「右翼」の戦後史』(安田浩一著、講談社現代新書、840円)/評者:大西赤人
昔から「右翼」と「左翼」とは政治や言論の世界において決定的な対立項、判断基準として用いられるが、両者を分かつ決定的な境界線が存在するのかといえば曖昧である。近年では、日本国――むしろ、時の政権に少しでも批判的だと「左翼」、それどころか「反日」「自虐」と罵倒されるけれども、逆に、いささかなり日本的精神に宥和・同調すると「右翼」のレッテルを貼られる嫌いもなくはない。大西自身、どちらかと言えば間違いなく「左翼」と自認するとはいえ、何をもって「左翼」と言いきれるのか、あるいは何をもって「右翼」ではないと断言できるのかとなると、必ずしも明確ではない。少なくとも、「右翼」の実体に関して無知なまま忌避している部分は否みがたいので、この『「右翼」の戦後史』によって学んでみたいと考えた。 ひとことで「右翼」と呼ぶが、(日本の)「右翼」も様々である。安田はこれを大まかに「伝統右翼」「宗教保守」「行動右翼」「任侠右翼」「新右翼」「ネット右翼」に分け、戦前の自由民権運動に端を発した戦前の血盟団、玄洋社に始まり、現代の日本会議や在特会に至るまで、多くの当事者、関係者への聴き取りをも含めて、その流れを実証的に丁寧に追って行く。登場する出来事には、浅学にして知らなかった物も少なくなく、とりわけ、1945年8月15日の敗戦以降に起きた「愛宕山事件」や「松江騒擾《そうじょう》事件」や「明朗会事件」の空虚は衝撃的である。
前回採り上げた『日中戦争 前線と銃後』を読んでいても感じた事だが、「右翼」的な思想は、実はしばしば社会の「革新」を求めている。折々に軍部の専行や政治の腐敗、資本主義の膨張を憂い、平和や平等を訴える。「任侠右翼」とされる団体の趣意書や綱領にさえ、「日本国民、さらには全人類のために、民主主義政治を援護増強すべく」とか「世界の平和、国家の繁栄に寄与し、民主主義国家の国民としての義務」とか「自由民主主義を擁護推進し、これを阻止するものがあれば呵責なく粉砕し徹底的に戦う」とかの美辞が踊っている。しかし、つまるところ、「右翼」の拠って立つところは天皇でしかない。安田は、それを繰り返し指摘する。 「右翼は古くから『国体』という言葉を用いる。これは天皇を中心とした秩序を意味する。天皇あっての国家、国民という思考を守り続けることこそが、日本右翼の特徴だ」 そして「右翼」は天皇を奉じるがゆえに必然的に反共を旨とせざるを得ず、それを踏まえ、歴史的に権力は「左翼」に対する好都合な暴力装置として「右翼」を利用してきた。しかし、今や実際の天皇と関わりないかのごとくに「右翼」は闊歩している。終盤に触れられる「日本会議」のありようには、「背広を着た右翼」という言葉が象徴するごとく、従来の強面の「右翼」とは異なり、長い時間をかけて民心に寄り添いながら着実に社会に浸潤した実感がある。「いま、右翼はけっして�牋枌辞瓩箸呂い┐覆ぁ�(中略)せめて在野に留まり権力と対峙する存在であるべきではないかと私は思う」という安田の結びは、苦しげだ。 *「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。 Created by staff01. Last modified on 2018-09-06 22:55:18 Copyright: Default | |