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記者としてあたりまえの仕事が国賊?〜「言論の不自由展」によせて

    堀切さとみ

 *7.26「横浜事件と言論の不自由展」講演会(右=望月衣塑子さん、左=聞き手の永田浩三さん)

 7月末に東京・江古田にあるギャラリー古藤で「横浜事件と言論の不自由展」が開催された。「横浜事件」など、戦前の治安弾圧は過去のものではない。

 昨年6月、記者会見で菅官房長官に質問した東京新聞の望月衣塑子記者は、同業者(産経新聞)からバッシングされ続けている。「言論の不自由展」の7月26日の講演会で、望月さんは「横浜事件を思えば、自分が受けている攻撃なんて大したことはない」というが、記者としてあたり前の仕事をすることが、まるで国賊であるかのような扱いだ。

 新聞社やテレビ局への襲撃事件は続いてきたが、今や言論を封じ込めるのは権力者や右翼だけでなく、いわゆる普通の市民によって常態化している。ネット社会によって、誰もが表現者になりメディアになることが出来る時代。MXテレビの「ニュース女子」は沖縄で基地反対を訴える人達を傷つけるだけでなく、辛淑玉さんを亡命させるまでに追いつめた。

 私にとって忘れられないのは2004年、イラクで人質になった3人の日本人へのバッシングだ。メディアが火種をつけ、あっという間に「自己責任論」が燃え広がった。職場の同僚が、知りもしない3人を批判しているのには驚いた。

 そして今も、朝鮮半島、中国に対して好意的なことを言うと「なんで?」みたいな空気になる。「憎まない=反日的」であるかのように。

 「言論の不自由展」の会場で『フェイクと憎悪』(永田浩三編)を買った。「君が代口元チェック」の橋下大阪市長を会見することによって攻撃された斉加尚代さん、なぜ嫌韓嫌中に走るのかを分析する香山リカさん。どの人の文章も興味深く、共感できるものだった。

 「言論の不自由」とは、言いたいことがいえなくなるというような単純なことではない。永田浩三さんが、今の日本はまるでジョージ・オーウェルの小説「1984年」のようだと書いている。「この国の為政者は、自身にとって都合の悪いものは見ようとせず、考えようとせず、嘘をつくことの痛みさえない」。それを支えるのは「内輪の連帯感を極限まで追求し、その外にいるひとたちを軽蔑・嫌悪・憎悪する社会」なのだと。

 斉加尚代さんは「権力に不都合な真実は、不断の努力によってしか明らかにされない」と書いている。言うは易し。それはどういう試みによって果たせるのだろう。

 ヒントがあるとすれば、福嶋聡さんというジュンク堂書店の店長さんが書いた文章だと思う。ヘイト本もヘイトスピーチも、福嶋さんは大嫌いだ。自分の書店でも「NOヘイト!」というブックフェアを立ち上げた。その時に「嫌韓本」も一緒に並べたそうだ。左翼の人からは批判されたというが、彼は「自分の考えを強めるためにする読書は、実はあまり重要ではない。むしろ、なぜこいつはこんな考え方をするのか、信じられないと言いたい人の本を読むことが勉強になる」という。そして「アウェーにいること。それがいかなる同調圧力にも違和感を覚えることにつながる」と。本当にそうだなと思った。

 Facebookをやりながら「わかってくれる人だけがわかってくれればいい」という志向が、どんどん強くなっていくのを感じている。「内輪の連帯感」の中では、ちょっと反論されただけでドキッとする。友達になるのも決別するのも、親指一つの世界だが、わかりあえないところから始まって、少しでも歩み寄れたら。それこそが人間関係の醍醐味のような気がする。


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