〔週刊 本の発見〕『チャップリン自伝 若き日々』『チャップリン自伝 栄光と波瀾の日々』 | |
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ヒトラーと闘った喜劇王●『チャップリン自伝 若き日々』『チャップリン自伝 栄光と波瀾の日々』(チャールズ・チャップリン 中里京子訳、新潮文庫、710円 990円)/評者:佐々木有美
チャップリン映画を見たことはなくても、山高帽にチョビ髭、ドタ靴姿のチャーリーを知らない人はいないだろう。そのチャップリンの自伝(二巻)が新潮文庫から新訳で出版された。笑いを武器に時代と抗い続けた人生は、今を生きるわたしたちにたくさんの勇気を与えてくれる。チャップリンは、1889年ロンドンに生まれた。両親ともミュージックホールの芸人だったが、早くに別居。兄と一緒に母親に育てられた。極貧の生活で、友達の家で夕食に呼ばれるのを期待する日常。空腹を抱えて夜の街をさまようこともあった。母親は精神病を幾度か発症し、その間は貧民院や孤児学校に収容された。幼い頃から、新聞売り、印刷工、おもちゃ職人など様々な職業を体験した。切ない子ども時代だが、唯一の救いは、母親のやさしさと思いやりだった。貧しさの中でも、困った友達に服を与え、自宅に泊める母の姿をチャップリンは忘れなかった。
『担え銃!』(1918年制作)は、第一次世界大戦に従軍したダメ兵士チャーリーが意図せず手柄を立てるという映画だが、結局は夢だったというのがおち。水浸しの塹壕戦を滑稽に描いているが、観客には爆笑と同時に背筋が寒くなるシーンでもある。戦死者は一人も出てこないが、戦争の過酷さを笑いにつつんで徹底的に告発している。戦争をコメディー映画の題材にすることに周囲は反対したが、彼は、笑いが社会批判の武器であることを知り尽くしていた。第一次大戦後、チャップリンは、次のように書いている。「戦争の気配がふたたび漂い出した。ナチスが勢力を増していた。第一次大戦と、その死の苦悶に充ちた4年間を、なんと早く忘れたものか。悲惨極まる人体の残骸、身体障碍者になった人々(中略)のことを、なぜこれほど早く忘れてしまえるのか。」
チャップリンは、1952年63歳のとき、船旅の途中でアメリカから再入国を拒否され、その後はスイスで暮らした。『独裁者』の制作以後、マッカーシズムの「赤狩り」が荒れ狂う中「共産主義シンパ」「非愛国者」のレッテルをはられ、非米活動委員会から何度も召喚命令を受けた。(実際に喚問は受けていない)彼は自分が共産主義者ではないと明言しているが、愛国主義を徹底的に憎んだ。「私が愛国者でないのは事実である。そのわけは――道徳的観点や知的な理由だけでなく――愛国心などというものを感じていないからだ。愛国心という名のもとに600万人ものユダヤ人が殺されたのに、どうしてそんなものが許せようか?」このチャップリンのことばを日本のいまの首相にささげたい。 *「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。 Created by staff01. Last modified on 2018-03-21 22:38:32 Copyright: Default |