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石綿労働者たちの本心はどこに?〜原一男監督『ニッポン国VS泉南石綿村』

    笠原眞弓

 怒りを映像にする監督と言えば、原一男監督である。『ゆきゆきて、神軍』を初めて見た 時の衝撃は忘れられない。この映画をあの激しい怒りの画面を期待して見ると肩すかし だ。監督自身も言うように、出だしには「怒り」がなく、撮影隊は拍子抜けである。石綿(ア スベスト)で被害を受け、肺に病巣をもち、苦しい闘病生活を強いられているにも拘わら ず、遺族は「晩年は孫と遊んで笑いながら逝ったから、そっとしておいてほしい」と。

 それでも1陣(06年)、2陣(09年)を合わせて、59人が訴訟を起こし、勝訴、敗訴を繰り返 し、8年半の年月を経てそれぞれ和解と勝訴にたどり着く。工場のそばに住んで被害を受 けた近隣曝露、母親の仕事場に赤ちゃんの時から同行していた家族曝露などは排除とい う提訴者を分断する行為もあったが、それを乗り越え、最後まで共に闘いきる。

 石綿の健康被害は、何回もマスコミをにぎわす大問題だった。そして、ここにも、底辺労 働者の問題があった。全国の仕事にあぶれた人たち、戦中に連れてこられた朝鮮人労 働者(石綿は、武器製造に欠かせない鉱物繊維)。彼らは一応に「石綿があったから生き てこられた」「子どもを学校にやれた」と言う。彼らの石綿と自身の生活を語る言葉を丁寧 に拾っていく画面。

 画面に写る彼らの家は、床の間と仏壇のある1970年代ころ流行った住宅だ。その家が持てたという。子どもを大学にやれたから、サラリーマンになれたのだろう。その言葉の裏に隠れる日本社会の中の差別、また在日に対する差別の仕組みが、見ている私の胸を突いてくる。

 そうだったのか、だから彼らは感謝の言葉を発するのか……と、却って辛くなる。 後半になって、共同代表で、かつて石綿工場を経営していた柚岡一禎さんは弁護団に話 さずに、官邸に「建白書」を渡すと、上京の車中で仲間に言い出す。つまり、司法での決 着の他に、自分たちの想いを直接国に伝えたいという思いに駆られ、行動に出るというの だ。その後も、厚生労働大臣との面会を求めて日参する。裁判は、所詮国家権力が裁く のだから、相手(国家権力)に、自分たちの本心を伝えたいというのが、動機だろう。実 は、このあたりからがおもしろい。

 すべての裁判が終わって、やっと泉南を訪れた塩崎厚労大臣(当時の)に対して、彼らの 取った態度は……。
 裁判中に亡くなった21人の方の顔写真(遺影)が並ぶラストでは、彼らの言葉がこだまし てくるのだった。

監督:原一男  215 分
公開:2018年3月10日(土)より東京 ・渋谷 ユーロスペースにて


Created by staff01. Last modified on 2018-03-06 11:59:01 Copyright: Default

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