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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『忘れられた巨人』(カズオ・イシグロ著)
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毎木曜掲載・第41回(2018/1/25)

国家がなくそうとする記憶

●『忘れられた巨人』(カズオ・イシグロ ハヤカワepi文庫 980円+税) 評者=佐々木有美

 昨年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ(写真下)について、日本のメディアは日本出身の作家が受賞したと大騒ぎをした。イシグロは、1954年長崎に生まれたが5歳でイギリスに移住し、その後英国籍を取得している。ノーベル賞やオリンピックを国威発揚に利用する日本という国に、ほとほと愛想が尽きるが、イシグロの受賞後のインタビューや講演を読むと、彼はこういう偏狭なナショナリズムの対極にいる人だということがわかる。

 たとえば彼は、ノーベル賞の記念講演で次のように語っている。「…しかし今、振り返ってみると、ベルリンの壁が崩壊した以降の時代は、自己満足と機会が失われた時代のように思う。富と機会における巨大な不平等が、国民、国家間で増大することが許されてしまっている。特に、03年の悲惨なイラク侵攻、08年の恥ずべき経済破綻後に、一般の人々に押しつけられた長年の緊縮財政政策は、極右的なイデオロギーと民族的なナショナリズムがまん延する現在を引き起こしてしまった」。

 前置きが長くなったが、そのイシグロの最新作が『忘れられた巨人』(2015年)である。アーサー王の時代(6世紀ごろ)のイギリスが舞台のファンタジーだ。この国の人々は、なぜか日々の記憶を失くしていく。いなくなった息子を探す旅に出た老夫婦は、道中さまざまな体験をしながら、クエリグという竜の吐く息が霧となって、みんなの記憶を奪っていることを知る。二人は、自分たちの記憶を取り戻すことを願い、竜退治に一役買うことになる。良い記憶も悪い記憶も勇気をもって受け入れようとする夫婦の姿が胸をうつ。

 それでは、なぜ竜はこんな役目を背負わされたのか。当時、この地では、ブリトン人とサクソン人が争っていた。戦を少しでも和らげるため女や子どもは攻撃しないという協定が作られたが、アーサー王の裏切りでサクソン人は大量虐殺された。その記憶を抹殺するためにアーサー王の部下によって、魔術を掛けられたのが竜だった。人々は、記憶を消されることで偽りの平和の中で生きていたのだ。

 イシグロは、作品が上梓された2015年のインタビュー(『日経ビジネス』ON LINE 2015年6月26日)で、この作品を書く直接のきっかけが、冷戦後のユーゴの民族紛争だったと語っている。異なる民族が混じり合って平和に暮らしていたボスニアやコソボで起きた血で血を洗う戦争。その原因の一つは第二次大戦中に起きた、ナチス・ドイツの傀儡国家クロアチアによるセルビア人への虐殺・迫害だったという。その社会的記憶は、チトーの社会主義体制の下で力によって抑え込まれていたが、ユーゴスラビアが解体することで一気に噴出した。

 日本はどうだろう。戦前の侵略と加害の歴史にほおかむりして、戦後の日本は経済成長に突っ走った。1990年代、冷戦体制が崩壊し、戦争と植民地主義の犠牲者たちが自ら名乗りを上げ、真相究明と謝罪を迫った。しかし日本は、真正面からそれに向き合うことなく、あいまいな政治決着に終始している。それどころか、加害の歴史自体を否定する勢力さえ現れ、勢いを増している。

 イシグロは「今こそ日本は第2次大戦について日本と中国、アジア諸国との間で事実について異なる認識の問題に取り組むべきだ」と語っている。タイトルの「忘れられた巨人」とは、民族や国家が忘れたことにしている記憶(歴史)のこと。「忘れられた巨人」が、日本を見つめている。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。


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