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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『児童虐待から考える−社会は家族に何を強いてきたか』
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毎木曜掲載・第39回(2018/1/11)

虐待の背景を冷静にみつめる

●『児童虐待から考える−社会は家族に何を強いてきたか』(杉山春 朝日新書)/ 評者=渡辺照子

 乳児遺棄事件、児童虐待事件は後を絶たない。子どもは自らの生存を、親や保護者に全面的に依存せざるを得ない。無力な存在たる子どもが対等な関係をつくり、親を傷付けることは不可能だ。つまり子どもはイノセントな存在だと言える。だから子どもを虐待することに一切の弁解は許されないように思える。実際、報道でも虐待の加害者の親には容赦ないバッシングがある。

 しかし、私は思うのだ。虐待の要因、背景は何だったのだろうか、と。近隣住民のインタビューでは「親はかわいがっていたようだ」とのコメントも見ることがある。ではなぜ子どもは虐待されたのだろうか。マスメディアの報道は、背景まで追わない。そしてまた児童虐待は繰り返される。

 親に子育ての能力がなかったり、子育てを放棄したとしても、行政は子どもを見捨ててはならないはずだ。具体的には児童相談所等がある。だが、それらの行政機関が十分には機能しない。父子家庭となった父親が、神奈川県厚木市で保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕された事件も行政が虐待を見逃した典型だった。筆者は、この事件を「誰も気付かなかった父子極限の生活」として取り上げている。

 本書の筆者は、マスメディアがステレオタイプに、虐待した親を残酷な人間とだけ切って捨てるのではなく、虐待をする親となった人間の生育歴にまで迫り、真相を探る。虐待する親を非難はしない。感情的な図式にあてはめることはなしに、冷静に見つめる。誰よりも実態を子細に探究する誠実さがある。それはルポライターに必須の資質だ。その資質と筆が、虐待する親を断罪するだけで、本質に迫りきらない短絡的な見方による偏見を乗り越える。

 厚木の事件では、父親に拘置所での面会や手紙のやりとり、家族との面談を通して、父親が理解されにくい障害を抱え(平均IQが100のところ、父親は裁判時の精神鑑定で69であることが判明する)、精神疾患の母親に育てられたこと、子育てのなんたるかを知らされず、シングルペアレントとして仕事をしながらもがいていた姿をつかむ。この事件に限らず「常識的に見れば残虐な事件も虐待の仕組みを理解することで理論的に読み解ける」とするスタンスが、悲惨な事件を「消費する」所業とは大いに一線を画する。

 随所でハッとさせられる記述に出会う。行政機関に相談したり、サービスを受ければ回避できたかもしれない虐待については、その親について以下のように記述する。「困難を抱える人たちは、周囲に自分の困難を隠す。そして一人でケアを担う」。「弱さを抱えた人間が支援を求めないということでその個人に責任を帰すことは妥当なのか」。「困難な生い立ちを抱えている者は、さらなる困難を抱えてしまう。さまざまなことを人と共有できなくさせ、周囲から自分自身を隠してしまう」と。

 わが子を虐待死させる親の共通点を明確に示した点は特に重要だ。幼少時代に十分に親から養育を受けていなかったことに加え、子育ての時には「過剰な真面目さ」があるというのだ。過剰で強固な、現実にそぐわない性別役割分業意識で自らを縛り、より生きずらくさせる。育児の負担度を軽減する制度利用も、情報収集のリテラシーがないとできないし、筆者は本書の中で、自尊感情が極めて低い者にとっては公的支援の利用すら障壁があると指摘する。何らかの問題を抱える時に解決に利する外的状況、内的な資質等をリソースと呼ぶのであれば、彼ら、彼女らはそれらが著しく欠落している。それを「親の資格がない」「無責任だ」と言うのは簡単だ。だが、その責任を果たすためのリソースを全て自前で揃えることまで自己責任だとされるのだろうか。

 筆者の視点は「育てる力が乏しい親、それを支えない社会」として社会、さらには国家に向かう。労働者として来日した日系ブラジル人の子どもが、外国籍という理由で国の教育の対象とならず、放置されている状況も示している。そこで得た言葉が重い。「国家は個人を守る制度とならなければならないのではないか」と。国家が個人を見放した歴史的事実として、かの戦争で「満州国」に送られた女性たちも取り上げる。結婚の強要、敗戦時には性暴力によって自らの「性」を差し出すことでしか生き延びる術のなかった女性たちの過酷な生き方が、いわゆる「慰安婦問題」とも重なる。国家が女性の性をいかに「利用」し、「利用」された女性たちがいかに苦しい生き方を強いられたかを感じざるを得ない。

 国家は家族幻想で多様な生き方の可能性を失わせ、最たる孤立状況により虐待に向かってしまった親をその価値観では束縛する一方、政策面においては政治の欠落によって放擲していることがわかる。貧困と暴力の親和性、非正規雇用等による経済不安、の背景をも浮かび上がらせる奥行きと広がりのある構成から学ぶことは多い。

 「辛いことを辛いと言い、嫌なことを嫌と言い、誰かと分かち合えることが平和であり幸せだ」との最後の言葉が胸に沁みる。  

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。


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