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LNJ Logo 太田昌国のコラム「サザンクロス」 : 万人受けする表現に懐疑をもち続けたひとりの絵師
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 ●第10回 2017年12月10日(毎月10日・25日)  

 万人受けする表現に懐疑をもち続けたひとりの絵師

 去る11月下旬、東京・江古田にあるギャラリー古藤でひとつの展覧会が開かれた。題して「万人受けはあやしい――時代を戯画いた絵師 貝原浩」。この特異な画伯は、58歳の誕生日を前にして亡くなった(写真/1947〜2005)。その仕事としては、チェルノブイリ原発事故の風下になったベラルーシの村々を何度も訪れては、村の風景や人びとのたたずまいを絵巻物風に描いた『風しもの村から』(初版、平原社、1992年。のち『風しもの村』としてパロル舎から復刊。2002年)が記憶に残っているひとが多いかもしれない。筆ペンと水彩絵の具によって手漉き紙に描かれたその一連の作品に出会った時、苦難の下にある人びとの日常に対する、画伯のとても柔らかな視線を感じた。描かれている人びとの表情が、人生苦しいことばかりじゃないさ、と語りかけているような感じがして、そのことが深く印象に残った。画伯は、描く対象の人びとと、言葉を通してではなく、とてもよい関係を結んだに違いないと思った。

 今回展示された作品は、ベラルーシの風土と人びとを描いたのとは異質の種類のものだ。私もそうだったが、ここにこそ画伯の本領があると一面的に思い込んでいた風刺画の世界である。本の装丁の仕事は以前からちらほら見かけていたように記憶しているが、私が画伯の風刺画を意識し始めたのは1980年代初頭から半ばのかけての頃だったと思う。社会運動関係の雑誌、とりわけ反天皇制運動関係の機関誌や小冊子のために提供する挿画がとても目立つようになった。

 1980年代初頭から半ばと言えば、日米の政治家でいえば、中曽根・レーガンの時代である。中曽根は、国鉄解体・分割民営化路線に代表されるように、(その点では、レーガンおよび同時代のイギリスの首相であったサッチャーともども)、新自由主義経済政策を「先進国」において初めて採用した人物だ。日本においては、その後の30年間で稀に見る長期政権となった小泉・安倍両政権下でその政策路線が加速された結果、どんな社会が到来しているかは私たちが肌身に徹して知っている通りである。他方、中曽根はレーガンとの間で、日米軍事同盟の強化にも力を注いだ。それもまた、30年後のいま、安倍路線下の戦争待望路線に直結している。貝原画伯のこの時期の風刺画は、80年代のこの方向性がどこへ向かうかを、予感的に描いていたように思われる。

 その後しばらくは短命政権で、風刺画を描くに値しない非個性的な政治家が続いたのだろう、画伯が描く政治家は、いきなり21世紀の小泉に飛躍してしまう。ここでも、風刺の牙は冴えている。「有事立法」「教育基本法」「反テロ愛国法」などの襷を掛けた小泉が、Y字形のパチンコを手にした金正日に向かって「感動した。君のおかげだ」と言って肩に手をやる2001年の図などは、貴乃花優勝に際しての土俵上での小泉の言葉をそのままなぞっているのだが、今にも通用する。この社会に浸透した排外主義とのたたかいは、もとより私たちに固有の国内的な課題だが、朝鮮国指導部の当時から今日にかけての政策(核・ミサイル開発、拉致、不審船、粛清、毒殺など)が、この風潮を増長させるのに無関係だったとは言えないからだ。

 画伯の風刺画には、皇族が登場する数えきれないほどの作品もある。その風刺の、きわどいまでの表現に接した方も多いだろう。1960年前後に深沢七郎が行なった皇室に関わる辛辣な表現を思い起こせば、それが何ほどのことでもない時代がこの社会にはあった。だが、1980年半ば以降、画伯が無念の死を迎える2005年までの時期にここまでの風刺と皮肉に満ちた天皇制批判の表現を成し得た画伯が、限りなく懐かしく思える。この点でも、時代状況はあまりに激しい変化を遂げて、現在に至っているのである。

追記:この展覧会のカタログは、下記に連絡して入手できます。→「貝原浩の仕事の会」
kaiharaten @gmail.com
http://kaiharaten.exblog.jp


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