![]() |
牧子嘉丸のショート・ワールド(46) : 「ライネケの狐」に見る悪党哲学 | ||||||
Menu
おしらせ
■サブチャンネル ・映画祭報告(7/27) ・レイバーネットTV(7/9) ・あるくラジオ(6/14) ・川柳班(次回9/27) ・ブッククラブ(8/2) ・シネクラブ(7/6) ・ねりまの会(6/28) ・フィールドワーク(6.1報告) ・三多摩レイバー映画祭(5/25報告) ・夏期合宿(8月23-24日) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第104回(2025/8/15) ●〔週刊 本の発見〕第400回(2025/8/21) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2025/6/12) ●川柳「笑い茸」NO.161(2025/5/26) ●フランス発・グローバルニュースNO.19(2025/8/5) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第100回(2025/6/5) ●「美術館めぐり」第14回(2025/8/25) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・CLP・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信・Tansa・市民活動情報プラットフォーム
|
「ライネケの狐」に見る悪党哲学―現代ニッポンの戯画として読む
「さるかに合戦」や「かちかち山」などの勧善懲悪の昔話に慣れ親しんだ日本の読者には、こんなあくどい狐が罰せらないままに終わる結末になんとも割り切れない思いを抱くことだろう。かくいうわたし自身がそうで、正直いやな読後感であった。 そういえば、たしかに、ライネケは存在する。 政治の世界はどうだろう。小悪党から大悪党までライネケの巣窟でもあることはいうまでもない。たとえば、党首自らが、奇計・奸計を巡らして党を売り、仲間を裏切りながら、自分だけは身の保全を図って、ちゃっかり逃げ道はつくって平然としてニヤけている。
ライネケは雄ばかりではない。女狐もいる。雄どもをたらし込み、さんざん踊らせ、使いまわした挙げ句、「これからは都政に邁進します」とは。 なかでも哀れを誘うのは、今になって「だまされた」とか「利用された」とかガチョウみたに騒いでいる人たち。なかにはドジョウのようなひげまで剃ってまで尽くしたのに選挙で討ち死にしたのもいる。狐にいいようにしてやられた動物たちもかくあらん。 さて、この作品のなかで、ライネケがおのが所行を甥の狸グリムバートに懺悔しながら、その独特な悪党哲学を披瀝する場面がある。 つづけて「かの高貴の王とても、特別に寵愛する対象は、贈り物の持参者や、かれ自らの歌の調子のまま踊れるもので、これ、あまりに明々白々なる事実。 これらの悪党にくらべて「このライネケのような哀れな者が、小さな鳩の一羽でも捕らえようなら、すぐにでも襲いかかり、見つけて掴まえ、大声はりあげ、一斉に死刑を宣告する。こそ泥は縛り首になるのに、屈強の大盗人は優遇されて、国も城もほしいまま」と、その哲学を展開する。そのきわめつけはこうである。 この思い上がった戯けも、やがて来日する世界の戯けの大親分を前に幇間のようにへつらう姿が映し出されることだろう。「世間とはかような成り立ちで、また永久に、かくあろうゆえに」という最後の一節どおりに。 Created by staff01. Last modified on 2017-11-01 10:34:41 Copyright: Default |