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明日の民主主義と平和の持続につなぐ選挙を!〜東京・大阪取材報告

    西中誠一郎

■立憲民主党の設立と選挙公示

 総選挙も最終盤を迎えた。投票日前にこの間の取材経過を報告したい。
 今回の解散総選挙を受けて、10日の公示日前に民進党と希望の党の動向、立憲民主党設立の動きなどについて取材し、各党の福島原発事故被害への対応や、希望の党が民進党議員「合流」の際に「政策協定」という名の踏み絵にした「外国人参政権」や「安保法制」などに対する見解などを記者会見に参加して質問することから取材を開始した。

 10月5日、前原氏は小池氏との都内のホテルでの会合後の囲み取材で「外国人参政権の不可は、民主党時代の政策方針と異なるのではないか?」という質問に対して、「自分自身は永住外国人の参政権には賛成だが、尖閣諸島問題などがあるので、現時点で容認しないのは当然」と苦しい回答だった。朝鮮半島情勢を理由に「朝鮮学校への高校無償化」適用審査を凍結した、民主党政権時の右派の圧力に屈した時の煮え切らない態度と同じような反応だった。

 「原発ゼロ」は希望の党も、一応選挙公約に掲げた。であれば福島原発事故避難者への国の責任についても、最低でも公示前に選挙公約の中に入れさせたかった。立憲民主党の記者会見では、枝野代表も福山幹事長も「福島原発事故被害への責任は、私たちの政治の原点」と明言した。10月7日の立憲民主党の公約発表の記者会見で、公約集「政策パンフレット」の中に「自主避難者を含む避難者に対する生活支援」という一文が入ったのを読んで少しホッとした。同時に公約内容の実現は選挙の結果次第という緊張感が重なった。

 今年3月31日に原発事故「区域外避難者」(「自主避難者」)の「住宅無償提供」の打ち切りが強行され、「帰還困難区域」を除く大半の避難区域も解除された。東電賠償の打ち切りも進んだ。4月4日の復興大臣の定例記者会見で「自主避難は自己責任」「裁判でも何でもやったらいい」と記者会見で暴言を吐き、その数週間後に「震災はあっちの方(東北地方)でまだよかった」と発言して大臣を辞任した今村雅弘氏は、今回の選挙で、九州比例ブロック•自民党名簿順位3位で立候補した。自民党は何も反省していない。自民党が大勝すれば「復興の加速化」の名目で、原発事故被害者への棄民政策が進むのは明白だ。

 選挙公示日の10日は、福島原発事故被害に関して、約3800人の住民が原告となった「生業訴訟」の判決公判が福島地裁であり、国と東電の事故の責任を認める判決が出された。3月の前橋地裁、9月の千葉地裁判決に続き、3件目の住民集団訴訟の判決だった。10日午前、安倍首相は福島市内の田んぼの中で支持者を前に第一声を上げ、私は思わず「もりかけ隠しの安倍かかし」とツイートした。翌日は福島地裁いわき支部で主に避難区域住民による「避難者訴訟」が結審した。現在全国で約30件の住民訴訟が進んでいる。原発事故自体の責任や「ふるさと喪失」だけでなく、実際の放射能汚染状況や健康被害の予防措置の必要性、全国の避難者の「避難の権利」などに、裁判所が正面から向き合うことが求められている。東京への帰路の高速道路で,沖縄高江で米軍ヘリが事故を起こし機体が炎上したニュースを知った。

 福島原発事故被害の実態や全国に離散した避難者への対応、再稼働や原発輸出、NPT核不拡散体制を骨抜きにする日印原子力協定、緊迫する北朝鮮情勢の中で沖縄米軍基地問題と日米韓軍事同盟化にどう向き合うのか、選挙期間中どのような論戦が繰り広げられるのか、大変気になった。しかし「地元」以外では、選挙の争点にはほとんどならなかった。

■共に考え、共につくろう、支えあう社会

 10月15日(日)、大阪•天王寺駅前で立憲民主党の演説会があった。私自身90年代に7、8年ボランティアスタッフで関わっていた大阪生野区の識字学校「いくのオモニハッキョ」の40周年記念行事があったので、途中で抜け出して天王寺駅に向かった。

 雨の中、駅前を埋め尽くす人々で凄い熱気だった。大阪1区の村上のりあつ候補、大阪2区の尾辻かな子候補、大阪13区の姜英紀(かんひでき)候補が参加した。今回の解散総選挙では、「希望の党」と「維新の会」の東京と大阪での棲み分けがトップダウンで決められてしまったため、「維新の会」と闘ってきた大阪の民進党系候補者は地元を離れて希望の党に行くか、無所属で立候補するかしか選択肢がなく、立憲民主党の結成で、政策理念を同じくする8人が同党に結集した。この日は大阪各地で枝野代表が応援にかけつけて立憲民主党の街頭演説会が行われた。

 介護福祉士として介護現場で働いた経験をもつ元大阪府議、元参議院議員の尾辻かな子氏は、「LGBT(性的マイノリティ)情報センター」の代表理事でもある。同氏は介護職員がはじめて現場に行った時に利用者にかけられた声を紹介した。

 「“あんたは直ぐに辞めへんよね”。職員がどんどんやめていく寂しさを利用者さんが、確かめるんです。職場の仲間が“こんな安い給料の仕事を選んだ自分が悪い”と介護職の低賃金を諦めたように言う。こんな社会おかしいと思いませんか? 人を支える大事な仕事をしている人たちが低賃金なのは、自己責任だと言わせている社会。まさに責任放棄ではないでしょうか?」

 尾辻氏は、介護士や保育士の給与引き上げや、誰も社会から排除されない政治と多様性のある共生社会の実現を訴えた。

 京都から応援にかけつけた3児の母親は、憲法13条「個人の尊重」と「幸福追求権」の重要性を訴えた。

 「今この日本で、命の重さについて、政治家はどれだけ分かっているのでしょうか?例えば原発の問題について。安倍首相はオリンピック誘致で『福島原発事故はアンダーコントロールだ』と言った。今日も福島第一原発で何千人もの労働者が被曝労働をしています。それなのに、何も問題がないかのようにオリンピック誘致をした。安保法制の時も説明責任を果たさなかった。そういう政治が繰り広げられるのを目の当たりにして、私たちママは本当に傷ついています。日本の政治は私たちの命に向き合う気があるのか、そのことをこの選挙で問いたい」。

 「全ての国民は個人として尊重される。私は私、この子はこの子、あなたはあなたしかいない。そういうひとりひとのかけがいのなさを政治の土台にする、それが立憲民主主義だと思っています。政治の主人公は私たちひとりひとりです。そのことを枝野さんがはっきり言ってくれたことを嬉しく思います」。

 「えだの、えだの」。枝野コールが沸き上り、車上に枝野幸男代表が登場した。

 「多くの皆さんに『枝野立て!』と背中を押されて立憲民主党を立ち上げました。右も左もない、下からの草の根の声、ひとりひとりの暮らしに根差した政治を取り戻したい」と語り始めた。派遣労働の規制強化や、介護職や保育士の給与保障、暮らしの足下からの経済対策による所得や消費の向上と格差社会の是正などを訴えた。森友加計問題や安保法制、共謀罪法などに関する自公政権の国会軽視についても厳しく追及した。

 「政治そのものが安易なトップダウンになっている。世界はスピード化しているから全て否定はしません。しかし権力をルールで縛るのは当たり前。それが憲法。勝手に解釈を変えるのは論外です。主権在民が民主主義社会の基本です。最後は多数決ですが、違った意見を認め、情報公開し、議論するのが民主主義です。今、日本社会は多様化しています。格差が広がり、価値観も多様化している。少数派でも多様な意見にしっかり耳を傾ける政治、まっとうな民主主義を取り戻したい。立憲民主党を立ち上げたのは皆さんです。日本の民主主義のために一緒に闘いませんか?2017年の選挙から新しい日本の民主主義がはじまる。私にはあなたの力が必要です」と力強く締めくくり、再び枝野コールが沸き上った。

 明治時代の自由民権運動時代に遡る「立憲主義」を冠する政党名。時計の針を明治時代に引き戻したのは、議会制民主主義を冒涜し続ける安倍政権自身だ。

■戦争はいややねん

 翌16日、大阪府松原市の妻の実家にいると「昼過ぎに、安倍首相が河内松原駅に来るらしい」という連絡があった。降りしきる雨の中、自転車で駅前に向かった。国土交通官僚出身で、衆議院議員を7期務めた竹本直一候補の応援演説だった。傘に埋め尽くされた駅前で、河内、泉南地域選出の自民党大阪府議や太田房江元大阪府知事の演説が続いた。街宣車の上で、竹本直一候補は2025年の大阪万博誘致やリニアモーターカーの大阪延長を強調し、「アベノミクスはうまくいっているが、中小企業まで回っていない。大きな仕事をもってきて、中小企業がその恩恵に預かることを考えたい」と訴えた。巨大公共事業による景気回復と雇用対策。東日本大震災の巨額の復興事業でも、地域住民の生活再建が遅々として進まないのは明白だ。東京五輪の再開発でも儲けるのは一部の業界だけ。時代錯誤で頭がくらくらする。

 応援に駆けつけた安倍首相は「この選挙大変厳しいです。政策を訴えて闘っています。今夜は阪神タイガースの天王山ですね。大阪にいる間は応援します」と語り始め、竹本候補が霞ヶ関のエリート官僚であったことや、自民党の中小企業政策の責任者であったことをアピールした。拉致問題でのトランプ大統領の協力の誇示とミサイル・核問題での国連決議に基づく北朝鮮への圧力強化の必然性の訴えが続いた。

 「安倍さん、そんなに圧力かけて大丈夫?」と聞かれます。私も紛争は望んでいない。世界のどこにも紛争を望んでいる指導者はいません。私たちも20年間北朝鮮と話し合ってきた。しかし残念ながら94年の核合意(第3回米朝交渉における「米朝合意枠組み」)、2005年の六者協議における合意も、彼らが核廃絶すると言って、日本を含む世界から支援をしてもらいながら、約束を二度も裏切って、私たちの善意を踏みにじった。そして話し合いを時間稼ぎに使って、核やミサイルの開発をしてきた。北朝鮮には勤勉な国民がいて、豊富な資源もある。正しい道を歩んで行けば、明るい未来を作り出すことができるんですよ、皆さん。核問題、ミサイル問題、拉致問題を解決せずに、北朝鮮に明るい未来を切開くことはできない。北朝鮮が意図的に危機を煽っても、私たちはぶれてはならない。脅しに屈してはならないのです。しっかりと世界と連携しながら、北朝鮮の側から「政策を変えるから、話し合ってもらいたい」というような状況を作っていきたいと思います。

 確かに1953年以降休戦状態が続いている朝鮮戦争とその後の東西冷戦体制の崩壊の中で、北朝鮮の核政策をめぐる国際関係は大きく変化し、北朝鮮が米国との直接交渉を求め続け93年から「米朝交渉」が行われた。「米朝枠組み合意」の崩壊以降2003年からは米中朝協議や六カ国協議が開始されたが、2007年3月の第6回六カ国協議以降、開催されていない。詳細な分析については専門家の論文を読むしかないが(※1)、数日前に韓国の聯合ニュースが「北朝鮮外相が『米帝の対(北)朝鮮圧殺政策が根源的に消えない限り、われわれの核兵器は交渉の対象にならない』と強調した」と報道した。安倍首相がトランプ大統領に依存し、圧力強化を声高に叫んだところで、危機的状況を煽るだけだ。
「聯合ニュース」(2017年10月12日)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2017/10/12/0300000000AJP20171012001000882.HTML

(※1)「北朝鮮核問題と6者協議」(平岩俊司「特集:アジアの核開発と拡散防止レジーム」)https://www.jstage.jst.go.jp/article/asianstudies/53/3/53_25/_article/-char/ja/

 この後も、アベノミクスによるGDPの最高額到達や雇用改善、外国人旅行客の増加、中小企業への融資対策、消費税の使い道変更による教育無償化や全世代型の社会保障制度の拡充などを訴えたが、都合の良い数字が並ぶ中、説得力は何も感じられなかった。米国にひたすら追随して万が一戦争状態になれば全てが無意味だし、自民党の「政策パンフレット」に明記されたように、「緊急事態対応」をはじめとする「憲法改正」の国会提案と発議は、政権に全権委任する事態に直結する。しかし、安倍首相は改憲について最後まで一言も触れなかった。

 帰宅後、義母に簡単に報告すると即座に「安倍さん嫌いやねん。祖父の岸信介と同じ。戦争責任、絶対にとらへん」と返ってきた。義母は女学校時代に長崎の海軍工廠で1年余り動員された経験がある。「女学校3年間しかいけへんかった。戦争はいややねん」。

■民主主義をあきらめない

 帰京後、18日に「南相馬•避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」があり、その帰宅途中、池袋駅東口前は安倍首相の街頭演説を待つ人で溢れかえっていた。「またか」と思いつつ、人混みの中でビデオと写真撮影をしながら、2日前に聞いたのとほぼ同じ内容の演説に耳を傾けた。報道では自民党の「圧倒的優勢」が伝えられているが、街頭の反応を知りたかった。しかし抗議の意思表示はこの日は非常に少なく、安倍政権に反対する仏教系の新聞配布をする人たちが目を引く程度だった。むしろマスコミの「偏向報道」を批判するプラカードなどをもつ、安倍首相支持の人々がメディアブースの前で意志表示する姿が目立っていた。

 しかし選挙は最後まで分からないし、民主主義をあきらめない。例え少数派であっても市民が主役の存在感ある野党勢力の成長が、明日の平和を紡ぎ出すと心に誓った。(2017年10月21日)


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