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LNJ Logo 博多で共産党の街宣〜「西部軍事件、戦争を絶対に起こしてはならない」
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News Item 1018hakata
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 <福岡T・S>

 今朝、(10月18日)博多駅へ行くと、共産党の情宣が行われていました。  「今日、志位和夫委員長が博多駅前で17時30分から演説会を行います」と言っていました。  ちょうど帰りの時間だから聞きに行こうと思いました。  博多駅に行くと、冷たい雨が降る中、駅前には200人ぐらいの人が集まって いました。  宣伝カーの上には、福岡県内の小選挙区の共産党立候補者がそろっていました。  最初に福岡第一法律事務所の弁護士の方が応援演説を行いました。その中で特 に印象に残ったのが以下の部分でした。  「太平洋戦争末期の1945年6月19日夜、福岡市はアメリカ軍の空襲を受 けました。福岡市の3分の1が焼き尽くされ、約1000人の市民が死亡しまし た。  それを見て現在の福岡地方裁判所がある場所にあった日本陸軍西部軍司令部は 翌日の20日、アメリカ軍の捕虜8人を報復として裁判なしで処刑しました。  当時の福岡市立高等女学校の校庭、今の中央市民センターがある場所に8人を 連れ出し、座らせて日本刀で首を切り落としました。空襲を生き残った多くの市 民が見ている前で行った公開処刑でした。 「西部軍事件」と呼ばれる事件です。 憲法リレーエッセイ 身近な戦争 西部軍事件 http://www.fben.jp/column/backnum/2016/10/post_296.php  処刑の実行者には、昨夜の空襲で母を失った将校がいました。彼は処刑の実行 を志願し、3人を斬首しました。   敗戦後、西部軍事件関係者は戦争犯罪者として逮捕され、横浜BC級戦犯裁判 所で裁かれました。死刑、または無期懲役の判決を受けました。  私が西部軍事件を取り上げたのは、戦争を絶対に起こしてはならないと思うか らです。」  太平洋戦争中の福岡市で起こった米軍捕虜殺害事件として、遠藤周作の『海と 毒薬』のモデルとなった九州帝国大学医学部生体解剖事件、油山事件は知ってい ましたけれど、西部軍事件は初めて知りました。  中央市民センターは大学に通っていた頃はよく利用していました。福岡市近郊 に引っ越してからは市民運動の集会や会議、シンポジウムで訪れます。その場所 で太平洋戦争末期に捕虜殺害事件があったことは全く知りませんでした。誰も教 えてくれませんでした。  そういえば、中央市民センターや福岡地裁には西部軍事件があったことを伝え る案内板などは一切ありません。 

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