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 第43回・2017年6月16日掲載

窒息しつつある民主主義〜フランスの新マクロン政権


 *(c) Christian Fonseca

 5月7日の決選投票の結果、エマニュエル・マクロンが66,1%を得票してフランスの新大統領に選ばれた。前政権で大統領府官房長官補佐と経済大臣を務めたとはいえ、前年に自分の政治運動をつくったばかりの、議員経験がない人物(それも39歳の若さ)が大統領になるとは、前代未聞である。さらに、その後の総選挙第一次投票(6月11日、決戦投票は6月18日)で大統領の新党が圧倒的な優勢を得るという驚くべき結果となり、フランス政治は歴史的な転換期にある。大統領選にも、そのことを示す要素が認められた。

 政権交替をしてきた二大政党の敗退、二つの新しい政治運動(マクロンの「共和国前進!」とジャン=リュック・メランション候補の「フランス・アンスミーズFI(服従しないフランス)」の躍進、極右政党国民戦の決勝進出という第一次投票の結果には、これまでの政治(家)に対する有権者の拒絶反応が表れていた。また決勝投票では、大統領選において最高の白票・無効票率(合わせて投票者の11,47%)と高い棄権率(25,44%)が記録され、有権者の3分の1が二候補のどちらにも票を投じなかった。この結果は全体的にみると、比較的賢い投票の仕方だったといえるのではないだろうか。2002年のシラク(82 ,2%)のときほど圧倒的な得票を新大統領に与えず、大量の白票や棄権で不満を表明すると同時に、国民戦線自身がそれ以下の得票率では「失敗」としていた35%以下にルペン票をおさえたのである。

 国民戦線は実際、この敗北のあと内部抗争が表面化した。副党首フィリポへの批判が高まり、ルペンの姪マレシャル=ルペンは政界から一時的に引退した。総選挙のキャンペーンはもりあがらず、第一次投票での得票率は13,2%に減った。小選挙区制のせいで、1〜数議席しか得られないだろうと見られている。しかし、国民戦線は決戦投票で、第一次の768万票から296 万票近く多い1千万票以上を得たことを忘れてはならない。ニコラ・デュポン=エニャンの「立ち上がれ!フランス」投票者のほか、投票後の世論調査によると、共和党フィヨンへの投票者の20%がル・ペンに流れた(マクロンに48%)という。フィヨンはマクロン投票を呼びかけたにもかかわらず、である。また、カトリック信者(ミサに行くことがある人たち)の38%がルペンに投票したという世論調査もあり、前回触れたように同性婚反対運動の団体はルペン投票を呼びかけていた。一方、「ルペンに一票たりとも入れるな」と呼びかけたメランションへの投票者からルペンに流れたのは7%(マクロンに52%)で、要するに国民戦線は主に右派から得票したことがうかがえるが、そうした分析はなぜかメディアでとりあげられなかった。

 さて、マクロンは5月15日にジュペの側近だった共和党(保守)のエドワール・フィリップを首相に任命し、17日に新内閣が発足した。首相と経済大臣、予算大臣が共和党、内務大臣と外務大臣、国土整備大臣が社会党、中道諸党から何人か、残りは政党に属さない人からなる「右と左と中道」が入り交じった内閣だ。いちばん人々を驚かせたのは、環境(環境・連帯シフト)大臣に人気者の元テレビ・リポーター、エコロジストのニコラ・ユロが就任したことだ。ユロは2002年以降のすべての大統領(シラク、サルコジ、オランド)から環境大臣の座を提供されたが断り、2012年の大統領選では緑の党(EELV)から立候補しようとしたが、候補者選で破れて出馬しなかった。しかし、シラク以降の3大統領のもとで環境問題について顧問などを務め、2015年秋のCOP21の準備にも関わった。今回の大統領選にも出馬の動きがあったが断念し、真剣な環境・社会政策を要請する「明日の世界のためのアピール」と「連帯のアピール」を多数のNGOと共に呼びかけていた。

 マクロンはキャンペーンで環境問題をほとんど語らず、経済大臣時代には原子力推進やディーゼル車保護など、環境無視の経済優先・生産主義の政策を行ったのだから、本気で抜本的な環境政策を行う気があるとは考えにくい。さらに、フィリップ首相は過去にアレヴァ社の管理職を務め、国会ではオランド政権のかなり消極的なエネルギーシフト法にさえ反対票を投じた反環境派だし、経済大臣と労働大臣の選択に見られるように、ネオリベラル政策をさらに進めるために組まれた政府である。大臣、省庁の主要ポストや大統領顧問には経済界で活躍する人が多数起用されている(フランスの内閣で異例)。脱原発と再生エネルギーへの真のシフト、ディーゼル車規制、殺虫剤禁止と有機農業へのシフト、大規模で有害・無益な生産主義開発計画の放棄などの環境政策が受け入れられるとは考えにくい。さしあたっては、強力な反対運動によって施行が遅れていたノートル・ダム・デ・ランド新空港建設計画について、3人の調整役が任命され、6か月のあいだに結論が出されるという。重大な欠陥部品問題が露呈した原発、とりわけフラマンヴィルのEPR建設については、前社会党政府が建設・稼働のタイムリミットを3年間延長し、原子力安全局(ASN)の判断待ちとなっている(6月末に専門家会議が行われ、パブリックコメントを経て決定は9月頃とされる)。つまり、政府の意向は曖昧なまま、ユロを抜擢したことで環境問題についても国民に前向きな期待を抱かせ、総選挙で過半数を獲得しようとしたマクロンの巧みな戦術である。文化大臣にアクト・シュッドというダイナミックな出版社の社長フランソワーズ・ニセンを選んだことも、新政府について好印象を与えた。

 マクロンは有力政治家を内閣に引き抜いて、従来の政党の基盤を大統領選後さらにぐらつかせ、総選挙での勝利を狙った。5月24日付の「カナール・アンシェネ」紙によって、彼の「共和国前進!」党(LREM)の中心的存在リシャール・フェラン(もと社会党)の不正疑惑が暴露されたが、辞職を要求しないほど強気だった。(フェランが相互保険会社長だった時代の疑惑について、「政治をより道徳的に」という法案をバイルー法務大臣が発表した6月1日、フェランに対してブレスト検事局は予備調査を開始した。)決戦投票で66%を得たとはいえ、その43%はルペンを通さないため、33%は政治刷新のためで、マクロンの政策(16%) と人物(8%)に賛同して投票した人の割合は少なかった。ところが、当選後はメディアでマクロン大統領を引き立てる好意的、賛美的な報道が目立ち、またNATO首脳会談の場など国際行事で評判がよかったためか、マクロンの人気は急激に上昇した。そして、総選挙の世論調査では3割近くの得票率、楽々と過半数の議席をとれると予測された。

 実際、6月11日の第一次投票では、マクロンの党LREMとバイルー法相のモデム党(中道右派)が32,3%を得票し、小選挙区制のせいで第二次投票では全577議席の4分の3あるいはそれ以上を獲得するだろうと予測されている。そうなると圧倒的な与党優勢、ほとんど反対派がいない(ネオリベラル経済政策については保守も似たような政策だから)一党独裁のような議会になる。第五共和政で与党の優勢がこれほど顕著に表れたのは、1958年の憲法制定と国民投票直後のドゴールを圧倒的に支持した総選挙以来である(他の例では、第三共和政の第一次大戦直後1919年に選出された右派議会、シャルル10世の第二王政復古期に超王党派が圧倒的多数になった「またと見出しがたい議会」か?)。しかし、1958年には棄権率が22,8%(第一次投票)だったが、今回はなんと51,3%(白票・無効票を加えると53,5%)という第五共和政における最高記録である。実に半数以上の有権者が投票に行かなかったのだから、「大勝利」といっても有権者の15,4%、732万票(大統領選第一次投票でのルペンの得票より少ない)で議会の圧倒的多数を獲得してしまうのだ。小選挙区2回投票制、また任期を7年から5年に縮め、総選挙前に大統領選を行うようにした現行の大統領選偏重システムの弊害と不条理が、赤裸裸に表れたといえよう。

 国民議会選挙の棄権率が30%を超えるようになったのはミッテラン大統領第二期の1988年以来のことで、2007年の第二次投票以後は40%を超えて増えつづけ、今回は遂に51%を上回るにいたった。(http://www.politiquemania.com/graphiques-abstention-legislatives.html) この大規模な棄権現象には政治への幻滅、選挙区平均14人もの候補者の多数乱立や左派の分裂という要素もあるが、大統領選だけを偏執的に重要視するメディアの影響を受けて、議会政治に対する一般国民の関心が薄れ、「大統領選だけ重要」と思い込む人が増えた面もある。大統領選から総選挙までの1か月間、メディアは(地方局をのぞき)政策を闘わせるテレビ討論さえ組まず、二大政党についてはもっぱら「マクロンとどう共存するか」に関心を抱いた。唯一、明確な政策綱領を掲げていた「服従しないフランス」FIについては、代表ジャン=リュック・メランションの発言などについての否定的な報道が多く、政策に言及しなかった。

 さて、高い棄権率のせいでマクロンの党さえも大統領選第一次に比べて票を失ったが、大幅に得票が後退したのはその他すべての政党と運動、とりわけ国民戦線(得票率13,2%)と、FI(11%)など左派である。社会党は9,5%しか得票できず、前・元大臣や書記長、大統領選候補アモンをはじめ多数の有力政治家と大多数の前議員が決戦投票に残れない、歴史的な敗北となった。前国会で280議席をもち、オランド当選直後は国民議会と元老院、地域圏、県、市町村議会の過半数を掌握していたが、その後すべての選挙で後退し、大統領選とこの総選挙では崩壊の危機に至った。程度はより軽いにせよ、保守の共和党も同様に、有力議員が第一次投票で敗北した。つまり、「これまでの政治家はすべて失せろ(デガージュ!)」という市民の拒絶が棄権と共に、マクロンの新党LREMへの投票に表されたのである。

 しかし、LREMが有権者が期待する政治の刷新をもたらすかどうかは大いに疑問だ。パリ政治学院政治研究センター(Cevipof)の調査によると、「市民社会」の代表というキャッチフレーズとは裏腹に、候補者の約45%は国会や地方自治体の議員や長を現在務めるか、過去に選出されたことがあり(社会党とモデムや中道諸派に属していた人が多く、少数は保守)、残りの候補者の3割近くにも議員秘書や職業団体などでの政治経験がある。何より、マクロン流の「市民社会」は豊かな社会階層に属することが指摘されている。候補者の17%が社長、20%が民間企業の管理職、12%が自由業で、68,6%が上層階級、23%が中流、8.5%が庶民階級だという。また、マクロン自身と同じくENA(高等政治学院8人)やパリ政治学院出身者(26人)のほか、ビジネススクール出身者(54人)が多いのも特徴である。これまでも元弁護士や医者の議員は多かったが、民間のビジネス界出身者が多くなる新しい議会はまさに「ブルジョワ議会」と呼べるだろう。候補者の中に農民は少しいるが(2,3%) 、労働者(0,2%)と従業員(0,8%)が極端に少ない「勝ち組」ばかりの政党に、国民戦線の躍進が示す深刻な社会情勢の改善が望めるだろうか?フェラン大臣だけでなく他にも、過去の不正疑惑などが取り沙汰されている候補者がすでにいるのを見ると、「刷新 」とはほど遠い政治になることが懸念される。

 さて、マクロンの政策の核は、昨年大反対を受けて強行採択されたエル・コムリ労働法よりさらにネオリベラルな労働法典の改正である。おまけに、これを議会の討議を経ずにオルドナンス(国会から授権されて行う行政命令)で行うと公言しているのだから、昨年エル・コムリ法に反対した人たちはもとより、そんな反民主主義的なやり方への反発が強く出そうなものだが、具体的な内容が提示されず、テレビ討論もなかったため、総選挙の争点になりにくかった。かろうじて第一次投票数日前の6月5日、改革の内容がそれまで告知されていたものよりずっと大規模で、企業内交渉でほとんどすべてのこと(労働時間、解雇条件など)を決められるようにするという草案をル・パリジャン紙が暴露した。FI代表のメランションは早速、「社会的なクーデターだ!総選挙前に改革の内容を明確に提示せよ」と告発した。6月7日にはリベラシオン紙がさらに詳しい「草案」を報道し、労働組合もそんな内容は初耳だと驚いて反発したが、政府はとぼけて「草案ではない」と否定し、いまだに具体的な内容は何も提示されていない。それどころか、労働大臣は「草案」を外部に流した労働省内のリソースを探して罰するために、不特定者に対して「守秘義務」違反で告訴した。初めは記事を書いた3メディア(上記2紙とメディアパルト)も告訴しようとしたほどで、マクロン政権の反民主的・強権的な特徴が既に表れている。ちなみに、LREMと共に政権についたモデム党についても、欧州議会秘書の給料で党の秘書や党員を雇用した疑いが報道され、パリ検察局は予備調査を開始した。この件について、党首のバイルー法務大臣がメディアに圧力をかけた(国営ラジオ局の調査部長に電話した)ことも暴露されたが、マクロン政権についてはそれ以外にもメディアに対する統制的な態度が指摘されている。

 6月7日にはもう一つ、重大な報道があった。「緊急事態」を終わらせるために、政府が行政・警察に「緊急事態」下と同様に、司法の令状なしに家宅捜索や自宅軟禁できるなどの権限を与える法案(6月21日に閣議に提出予定)を練っていることを、ル・モンド紙が暴露したのだ。早速、人権団体、裁判官や弁護士の団体、法学者・研究者などが「緊急事態の普遍化だ」と抗議し、撤回を求めた。「緊急事態」措置がテロ対策に効果をもたず、行政に濫用されて人権を蹂躙していると、アムネスティ・インターナショナルが5月31日に告発したばかりである。2015年11月の同時テロ後に適用され、以後5回も延長されてほとんど永続化してしまった「緊急事態」は、基本的人権を制限する法治国家における例外なのだ。その内容を普通の法律にとり入れたら、法治国家から外れることになる。そんな法案が本当に可決されたら、民主主義国家からの逸脱である。

 マクロンはキャンペーン中までは「緊急事態」を永続させてはいけないと言っていたが、ひとたび権力の座につくと、元サルコジ大統領以上に権力を一身に集中させる「君主」になった。自らを「ジュピター(ゼウス)的」と形容するほどなのだ。テロ対策として大統領直結の「反テロリズムセンター」を制定し、大統領府と首相府共通の顧問職を設けた。マクロンの党LREMの候補者には、他の候補者との討論会やジャーナリストの質問を拒否する例が相次ぎ、「なるべく喋るな」と上から指示されているのではないかと疑われている。いずれにせよ、与党が記録的に圧倒多数の議会は、行政の決定を記録するだけの存在になるだろう。

 決戦投票に向けた世論調査では、「議会はもっとバランスがとれた方がいい」とで応えた人が6割強いるが、棄権率はさらに高まると見られている。地域の状況により、LREMと保守の決戦の場合、左派の有権者は棄権するだろうからだ。左派は票が割れたこともあり、決戦に残ったFIと社会党の候補者数は既に少ない(74人、65人)。FIは大統領選でのダイナミズムを持続できずに大幅に票を失い、議会でグループをつくれる15人の議員を選出できるかどうかわからない。一方、社会党候補の中には当選したらマクロンの党に移行する者(ヴァルス元首相など)もいると言われている。いずれにせよ、新議会では法案提出もできないほど左派は少数派になる。その中で、少数派にせよ、政策綱領に基づいた全国的な政治運動を1年以上展開してきた「服従しないフランスFI」は、大敗した旧勢力の社会党と共産党(得票率2,7%)に変わって、「ラディカル左派」と呼ばれる新しい政治勢力の中心になるだろう。

 ネオリベラル経済改革を行ったヨーロッパ各地の社会民主党(とアメリカの民主党)の多くは、その選挙民の大きな核だった労働者や低所得層から見放され、急激に支持率を落としている。ポピュリズムの党が躍進する一方、EUの経済政策からの脱皮と富の分配、より民主的な政治を要求するラディカル左派も各地で擡頭した(ギリシアのシリザ、スペインのポデモス、ポルトガル、アイルランド、ベルギー)。6月8日に行われたイギリスの総選挙では、鉄道の再国有化や大学教育の無償を掲げるジェレミー・コービンの労働党が若い層を引きつけ、保守党に2,4%の差で迫った。

 フランスではネオリベラル政策を行った社会党が失墜した後、よりネオリベラルなマクロンの党が、複数の政治状況(絶対に勝つと予測されていた保守候補のスキャンダルによる敗北、極右ポピュリズムによる危機、左派の分裂、既成政党と政治に対する強い幻滅、第五共和政のメカニズムなど)からうまく利益を得て権力を握った。マクロンの政治手腕は巧みだが、この圧倒的な権力をもたらしたのは15%足らずの有権者の支持であり、政党にもまだほとんど実体がない。この先、国民の多様性が今まで以上に代弁されなくなる議会と強権的な政権のもとで、労働法典の改正をはじめ、政策に対する反論と闘いは別の土壌、おそらく路上で繰り広げられる可能性も大きい。労働法典の改正はヴァカンスシーズンの夏のあいだに進められ、9月21日までにすべて終わらせる予定だという。社会運動が起きないヴァカンスシーズンに、これまでも空き巣狙いのように重要な法律が可決されてきたが、国会での討論すら拒んでオルドナンスで改革をする政権はなかった。フランスの民主主義は徐々に窒息しつつある。これから秋にかけて、市民はどのような反応をしていくのだろうか。

  2017年6月15日 飛幡祐規(たかはたゆうき)


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