東部労組の石川です。
東部労組機関紙2016年3月号コラム<二言三言>に下記の文章を掲載しました。
山辺健太郎『社会主義運動半生記』を読む
最近出版された中塚明編著『歴史家山辺健太郎と現代』に触発されて、40年前に山辺健
太郎自身が語った『社会主義運動半生記』(岩波新書)を読んだ。
山辺健太郎といっても、いまではほとんどの方はご存じないと思うが、みすず書房の「現
代史資料・社会主義運動」、岩波新書の「日韓併合小史」、「日本統治下の朝鮮」などの著
作で、後世に貴重な遺産を残した歴史家として高名である。
彼は戦後、「朝鮮侵略の問題を抜きにしては、日本の近代史はわからない」と近代朝鮮史
の研究に専念した。私も会ったことがあるが、無精髭(ぶしょうひげ)とはだしに下駄(げた)
履き、風呂敷包みがトレードマークであった。
しかし彼は単なる学者ではない。戦前、戦中の労働組合運動、社会主義運動を闘い抜いた。
その前半生を記したのがこの『社会主義運動半生記』である。
小学校卒で、丸善大阪の小僧、足袋(たび)工場の職人をやりながら、1921(大正10)年
の第1回大阪メーデーに16歳で参加している。日本労働組合評議会(略称は評議会)ができて、
1925年、20歳でその大阪一般労働組合の専従になった。組合員は900人近かったという。
翌年、評議会傘下の浜松合同労働組合が組織した浜松日本楽器争議に参加、争議日報を担
当した。105日間のストライキという大争議を最後まで1000人近い組合員が闘ったが、解雇
350名、解雇手当3万円という調停で労働者側の敗北に終わった。しかし争議は昭和恐慌期直
前の労働運動の高まりを示すものであった。
その後、日本労働組合全国協議会(略称は全協)での闘いに続いていく。
この本を読んで、戦前戦中の山辺健太郎らの闘いから学ぶ点はなんだろうか。
第一は、限りなき底抜けの楽天主義と闘いの持続。権力の度重なる弾圧、逮捕、投獄、そし
て裏切りに対しては、非転向で闘った。楽天主義でなきゃやっていけないか。この本にも出て
きて、前に言及したことのある荒畑寒村と共通する点である。
第二に、評議会結成時の分裂主義、セクト主義への反省と戒め。万難を排しての強大な労働
者の統一戦線の追求は現在も同じだ。
第三は、「法律的救済を求め」ず、実力闘争、大衆闘争を基礎とする思想。
今の運動と同じような似たことをやっているが、運動の質を考えると、戦前戦中の方がある
面でははるかに上のような気がする。(石)
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Last modified on 2016-03-17 20:46:27
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