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『望むのは死刑ですか』〜長塚洋監督と犯罪被害者遺族・原田正治さんトーク

    林田英明

 世論調査で死刑制度賛成は8割に上る。だが、制度の中身も被害者感情も実はよく知らないまま支持しているのかもしれない。映画『望むのは死刑ですか〜考え悩む“世論”』(2015年)上映と長塚洋監督(57)ならびに犯罪被害者遺族、原田正治さん(69)のトークセッションは、文字通り考え悩まされるものだった。9月3日、北九州市小倉北区で開かれた会場には120人の参加者が詰めかけ、活発な論議も繰り広げられた。

●加害者と面会し「氷が解けた」

 映画は59分。東京都内に集められた135人の市民が弁護士や専門家らの話を聞き、グループ別に分かれて2日間、意見交換する「審議型意識調査」の様子が映し出される。それぞれが戸惑い、心を揺らしていく。

 上映後、映画にも登場した原田さんが登壇し、1983年の半田保険金殺人事件で弟を殺害された事件を語った。事故に見せかけて手をかけた雇用主の加害者を「許せるということは永遠にない」と断りつつも、自分の気持ちの変化を打ち明ける。2010年に脳梗塞を患い、今もやや発声が不自由だが、リハビリを重ねて十分に聞き取ることができる。むしろ、とつとつとした口調に真実味を感じた。原田さんによると、加害者からの謝罪の手紙はゴミ箱に捨て続けていた。しかし、裁判で明かされる内容は、しょせん罪を決めるためのもので真相は分からない。30歳の弟は何のために殺されたのか。本当のことが知りたいと返事を書き、2審の終盤になって初めて面会した。「彼もびっくり仰天し喜んだと思う」と振り返る。そして「固い氷が解け始めるように、ゆるやかな雰囲気の中で僕の気持ちが変わっていった」と心境を述べた。そこに至るまでの葛藤はいかばかりか。原田さんは“特殊”な人なのか。現在、犯罪被害者の救済支援や確定死刑囚との面会の自由を求め、死刑制度廃止を訴え続けている。絶版の著書『弟を殺した彼と、僕』(ポプラ社)も読んでみたい。

●上申書から半年後に死刑執行

 最初は、未決拘置囚なので簡単に会えた。死刑確定後の2回、3回、4回目は親族と弁護人に制限されたため一悶着あったが、何度も交渉し特別許可を得て対話を重ねることができた。ところが5回目に面会を断られる。原田さんが加害者との面会をイヤがっている、と拘置所職員が彼にウソをついて接見を阻んだのだ。4回目まで裁量で許してきた拘置所長は異動していた。国家が意図する被害者像と異なる原田さんをうとんじたように感じられる。高村正彦法相(当時)に彼の死刑延期を求める上申書を提出して半年後の2001年12月、突然の執行。原田さんは「死刑廃止の集会で頻繁に発言する僕を政府はうるさいヤツだと思い、死刑にすれば後腐れがないと考えたのだろう。死刑は日本国のエゴだ」と怒りをにじませ、間接的に彼の死を早めたことに自責の念も漂わせた。自分同様、彼の気持ちも変わっていったのは、1、2審を担当した弁護士がカトリック教会のクリスチャンだったことも強く影響したようだ。「心の交流をもっと続けたかった」との無念の思いは今も胸を突き上げる。 しかし、原田さんの奮闘には大きな“代償”も伴う。家族、親族から同調を全く得られず、離婚。愛知を離れ、現在、大分県別府市に1人で暮らす。逆に言えば、それでも自分の気持ちは曲げられない、ということかもしれない。

●憎悪と復讐は癒やしにならず

 原田さんは、被害者の癒やしとは何かを考える。駅前で死刑廃止のアピールをしていたら、いきなり男性が「被害者の身になって考えろ」と正義感に燃えるような反論をしてきた。原田さんは「私は弟を殺された犯罪被害者ですが」と対話を求めたところ、慌てたように「いま電車が来た」と言って立ち去ってしまった。男性にとっては予想外の答えで、次の言葉が見つからなかったに違いない。原田さんは、深慮もないままに厳罰を容赦しない死刑支持者を「一段、高い所から話している」と残念がり、憎しみ合う不毛な関係の果ての復讐では被害者の癒やしにつながらないと訴えた。

 新しく法相に就任した金田勝年衆議院議員は死刑執行に対してメディアにこう答えている。「法治国家では確定した判決の執行は厳正に行わなければならない。裁判所の判断を尊重しながら慎重かつ厳正に対処する」(毎日新聞8月30日)。粛々と執行する方向である。

 ところで、死刑の実情はどこまで知られているのだろうか。長塚さんは報道の仕方にも注文をつける。例えば宮崎勤死刑囚。連続幼女誘拐殺人事件で2008年に死刑執行された。メディアは「反省の言葉なく」と報じたが、報じたうちの誰が宮崎死刑囚の最期の言葉を聞いたのか。実は誰も聞いていない。このステレオタイプの表現は、異常な極悪人など抹殺して事件にケリをつけたいと願う意識の反映ではないかと私は考え込む。長塚さんによれば、米国では死刑制度を約半数の州が維持している。しかし必ず死刑囚の最後の言葉が報道されるという。執行室の隣に通信社の記者が入るのだ。死刑賛成ならば、いやおうなく死刑に加担するのだから報道が当然なされるべきだとの観点である。ところが日本では、原田さんの行動は社会から遠ざけられる方向へ持っていかれる。「知らされてこその議論であり、考え悩むことができない世の中は生きづらくなる。それが、賛成反対の前に伝えたかったこと」と長塚さんは監督としての映画の狙いを語った。賛成者に死刑加担の覚悟はあるのか、見えない風景の中で軽い決断をしているのではないのか、身がすくむ問いかけである。犯罪者に因果応報の死刑執行を自分ではなく国家に依拠し、その死の瞬間を見ずに留飲を下げるなら、まるで痛みは感じない。海の向こうの戦争のように。

●「いらない命」と誰が決めるのか

 質疑応答では、いじめ自殺でわが子を失った男性が哲学や太宰治の書を読んだり芸術に身を委ねたりして10年かけて自分を取り戻していった苦悩を吐露する場面があった。「私も“特殊”です」と声を震わせる姿は、原田さんの言葉や生き方に心が共振したのだろう。会場は静まり返って聴き入った。

 最後に、地元でホームレスや困窮者を支援する認定NPO法人抱樸理事長、奥田知志さん(53)が発言。2カ月前に起こった相模原市での障害者殺傷事件に触れて「世の中では、生きる意味のある命と、ない命が分けられると平気で議論している。原田さんの話は、加害者との交流や彼の悔い改めがあったから死刑はいけないということなのだろうか。もしそうすると、条件さえそろえば重複障害者などは殺していいと社会全体に拡大していく恐れがある。そしてそれを国家が決めていくと戦争の構造につながる。遺族感情や死刑囚の『条件』次第となると出口は見えない。人は人を殺してはいけないということを前提に犯罪を減らし、累犯を防ぐかを考えたい。この映画は悶々としながら見た」と語った。

 長塚さんは奥田さんの提起を受けて、また悩む。「相模原事件の犯人を死刑にすれば、彼の思考同様に彼もいらない命となり、同じ土俵に下りてしまう。しかし死刑制度がある限り、それはいらない命を認めることになる」と述べ、死刑賛成者がそこまで向き合っているか、死刑反対者も条件反射的な意見表明ではないか、ともに思考停止しないようにと力を込めて願った。そして「多様な被害者のそれぞれの気持ちが尊重されなくてはいけないのに、被害者像が勝手に決められている。死刑は簡単に答えの出ない問題だ。疑問を周りの人に広げていってほしい」と結んだ。

 原田さんは「最初、どっちつかずの、おかしな映画だと思った」と打ち明け、会場の笑いを誘った。しかし、2回、3回と見るうちに考えが変わったという。はじめに結論ありきでなく、死刑賛成、反対と決めつけない視点が気に入っている。人間も社会も、そう簡単に割り切れるものではない。映画とトークセッションは、本来そんな当たり前のことを冷静に諭してくれる。

※写真=加害者と面会を重ねて心境の変化を語る原田正治さん(右)と長塚洋監督

※注=映画は各地にて不連続で公開。東京・渋谷アップリンクでは11日(日)に長塚監督および、原田さんに心酔する鈴木邦男さん(一水会元顧問)による上映後トークあり。
その他も含めた上映情報は http://nozomu-shikei.wixsite.com/movie


Created by staff01. Last modified on 2016-09-08 13:00:23 Copyright: Default

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