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調査報道の衰退を危惧〜「朝日新聞」依光隆明記者が講演

   林田英明

 いかつい顔つきである。隠された原発情報を長期連載「プロメテウスの罠」で表に出していった調査報道の経緯を4年前に聞いた頃より、険しい感じもした。それは、安倍政権に戻って以後のこの国の状況を反映していたからかもしれない。8月28日、新聞OB会北九州主催による「8・15平和を考える集い」が北九州市小倉北区で開かれ、「日本のジャーナリズムが『危ない』」と題した朝日新聞東京本社・依光隆明記者(59/写真)の講演は危機の具体例を挙げながら次第に熱を帯びていくのだった。

●「大本営発表」と批判

 「いつも危ない状況でここまで来ている」と語りかけて依光さんは東京電力福島第1原発事故を振り返る。当時、混迷を極めた取材。特別報道センター長として編集局長室で何度も会議に臨んだ。編集幹部は「正確な情報を。国民にパニックを起こさせてはならない」と考えるが、不安が渦巻く。情報が錯綜する中、「究極の正確な情報は政府の発表だった」と依光さんは言う。枝野幸男官房長官(当時)が繰り返す「直ちに健康に影響はない」も含め、東電の発表と政府の会見を中心に紙面を作っていった結果はどうだったか。読者から「大本営発表じゃないか」と大きな批判を浴びることになる。

 これではいけない、と思った編集幹部が事故から半年後に始めさせたのが「プロメテウスの罠」だった。徹底的な現場主義の調査報道。即時性より探求性。さまざまなテーマで実名主義によって事実を掘り起こす。新聞協会賞なども受賞した骨太の企画で、予想をはるかに超えて今年3月まで連載は続いた。

 本当の現場はどこか。当然、福島である。事故から4日後の2011年3月15日、浪江町で毎時330マイクロシーベルトという想像を絶する放射線量が検出された。文部科学省や日本原子力研究開発機構の測定チームによる実測である。携帯電話は通じない。隣の川俣町まで走って公衆電話から国民に伝えるよう願ったが、途中で情報は消えた。「そんな数字が出るはずはない」と計測ミス扱いされたのだ。「プロメテウスの罠」の連載で明らかにされた事実を紹介しながら依光さんは嘆く。「新聞の取材現場は霞が関だった……」。官僚のやりとりが事実を離れた空論だったにもかかわらず、それが「正確な情報」として当初、流布された。「被害を受けたのは福島の人であり、読者だった」と依光さんは新聞の“共犯”を悔やむ。戦時中、東京大空襲の惨状を現場にいながら記事にできなかったことを忘れなかった元朝日新聞記者、むのたけじさんが先日、101歳で亡くなった。戦意高揚に加担した責任を取って敗戦直後に退社した硬骨漢である。依光さんが、むのさんの名前とその行動を口にしたのは、「これでは戦時中と一緒ではないか」という焦慮とともに、むのさんのジャーナリスト精神に敬意を表したからに違いない。

 記者として、今の時代にどう立ち向かうべきか。「論とファクトを峻別する」。そう言って依光さんはネット情報の危うさを突く。想像を交えた意見と事実が混濁した情報をうのみにしてはいけない。そして、隠されたファクトを探せ。事実の断片を丹念に拾い集めて見える実像がある。ファクトがぐらついていては論も成立しない。戦時中、論が崩れ、目の前のファクトも書けなくなったテツを踏まないということだ。

●県警の「アメとムチ」

 前任の高知新聞時代、同和関係企業が絡む県予算流用が高知県庁で起こった。12億円の穴を、銀行に依頼して年度の切り替え時に借りさせて1日後に返すという手法を何年も重ねていたのを聞きつけて取材。2年半かけて原稿にした。しかし、会社としてはこの取り扱いに困った。高知新聞の占有率は8割を超す。もうそれ以上、増えはしない。記事化することで各方面に反発を呼び、不買運動も起こるかもしれない。会社の存続まで心配してさらに半年が流れたが、2000年3月に特ダネとして報じられた。関係した縫製業協業組合の名を冠して「モード・アバンセ事件」と呼ばれる。その後、県議会に百条委員会が設置され、詳報を連日載せたことで読者が支持してくれた。翌年5月には背任容疑で副知事らまで逮捕されるに至り、自分の懐には一円も入らなくても了解する押印だけで罪に問われた事件の重みをかみしめる。「悪いことは、どんどん表に出すと(相手は)なすすべがない」。依光さんはそう述べて、事実の力と読者の支えが新聞を生かすと訴えた。

 東京支社時代の2003年7月、届いた高知新聞に依光さんは驚く。高知県警の裏金問題が1面すべてを使ってデカデカと載っている。予算化されている捜査協力費が幹部の飲み代にプールされていた。謝礼を渡したとされた50人ぐらいの名簿を一人一人当たって、誰ももらっていないことを確認しての特ダネである。中には死亡者や架空の名前もあった。警察のキャップ、サブキャップしか知らない情報。警察は記事化の直前、差し止めに“アメとムチ”を用意する。「書かないでくれたら一生、ネタをやる。お前の嫌いな刑事は異動させる」。出世を約束するおいしいアメである。一方、ムチはこうなる。「もし書いたら、お前との関係は終わり。尾行する。携帯を盗聴する」とキャップに迫る。記者室で寝ていても警察から特ダネが届き、会社で評価される道を選ぶか、これまで培った人脈という財産が消え、警察からマークされるイバラの道を選ぶか、キャップは大いに悩んだという。携帯を操作しているだけで女性のスカート内をのぞいていたとして逮捕されるかもしれない。本屋で口の開いたバッグに本を知らぬ間に入れられ万引き犯にデッチ上げられるかもしれない。捜査機関の不祥事を暴く場合は極めて用心が必要だ。

 結論が出なかったキャップは、当時の社会部長に相談する。すると、こう言われた。「情報を取ったお前は偉い。しかし、情報というのは読者のものだ。書くしかないじゃないか」。そして「警察との“戦争”が始まる」と依光さんは大きく息を吐く。署長が署員を集めて高知新聞不買の号令をかける。取材現場では怒鳴られて追いやられる。飲み会も外される。高知新聞が経営するタクシー会社の運転手が依光さんにこぼしたところによると、繁華街の客待ちでこのタクシー会社だけが駐車違反でキップを切られる。あからさまな恣意的判断を権力はやってくるから怖い。その後、社会部長を3年務めた経験も含め、高知新聞が警察と妥協せず対峙している点を依光さんは誇らしく評価した。

 警察というのは捜査機関であって、記者への発表は2次的なものと知るゆえに、金科玉条として間違った発表のまま書く弊害についても触れる。1996年8月、土佐高校(高知市)サッカー部員が大阪府高槻市で試合中に落雷に遭い、重度の障害を負う事故があった。初報でネックレスに雷が落ちたと発表され、まるでチャラチャラした高校生への天罰かのような世論を形成する。しかし、事実は違った。金属部分はお守りとしてのロザリオだけで、しかも雷はロザリオではなく、後頭部を直撃している。続報を重ねて修正を図っても、初報による読者の思い込みは容易に消し去ることができない。母親は10年以上、「だってネックレスに落ちたんでしょ」と周囲から言われ続けた。

●「ペンからパン」へ転落

 調査報道は労力と決意と時間がかかりながら、部数増には直接つながらず、権力と闘うリスクがあるため、経営上の観点からもやめていく新聞社が増えていると依光さんは案じる。そして「あと数年もすれば調査報道は絶滅危惧種になるのでは」と懸念した。

 そう考えるのは、2年前の9月11日、朝日新聞を襲った“激震”による。木村伊量社長(当時)が記者会見を開き、福島第1原発事故をめぐって政府事故調査・検証委員会が作成した吉田昌郎元所長(故人)の調書のうち5月20日付の記事を取り消した。「第1原発にいた所員の9割が吉田氏の待機命令に違反し、第2原発に撤退した」との記事である。そして、過去の「慰安婦」報道で掲載した吉田清治氏の記事を取り消した前月の検証紙面に謝罪がなかったことを謝った。さらに、5日前に東京本社報道局長の署名入りで長文のおわびと説明が載っていたとはいえ、「慰安婦」報道について書かれた池上彰氏のコラムをいったん見合わせた点を会見で聞かれ、「責任を感じている」と答えた。以上「3点セット」の内容を、記事取り消しを含めて社員は知らされておらず、当日、本社前にズラリと並んだテレビ中継車の数に驚くばかりだったという。

 「朝日の読者にとって最も不幸なのは、これが検証されていないことだ」と依光さんはため息をつく。役員は「検証すべきではない。これから先を考えよう」と述べた。「3点セット」の中でも池上コラムの問題を一番隠したかったと見る向きが強いという。「慰安婦」問題の第三者委員会の検証で真相がチラリと見えた。社長がコラムを「好ましくない」と言ったと報告されている。しかし、あくまで「慰安婦」問題の検証のため、それ以上は不明だ。「半分想像、半分伝聞だが」と依光さんは前置きして「社長は怒り狂ったと聞いている」と続けた。そうならば、役員ならびに社長の不始末となる池上問題を最も隠したかったことも合点がいく。吉田調書の取り消しを誰が決めたかも、いまだに分かっていない。第三者委員会の検証は、記者のようにプロではないので事実に肉薄するには限界がある。結局、事実は闇の中に消え、依光さんは「日本のジャーナリズムの転機になった。朝日はこれをきっかけに『ペンからパン』に変わった」と述べた。戦前の社会主義者、堺利彦を取り上げた黒岩比佐子氏の著書『パンとペン』を思い起こそう。ペンには二つの役割がある。一つは、生活の糧としてパンを得るもの。もう一つは、自分の考えを人々に伝えるもの。どちらに比重を置くのか。朝日は前者に傾いたということなのだろうか。

●多数は常に正しいか

 キヤノンとパナソニックの偽装請負を記事化した時、両社は広告を引き揚げた。当然、広告担当役員は「困る」と編集担当役員にアピールする。部下を納得させるために。編集担当は受け止めて聞き流し、現場には伝えず防波堤となる。これが健全なジャーナリズム、正常な新聞社の姿だと依光さんは思う。ところが、部数減に加えて広告も減収となると、ビジネス部門の声が強く響いてくるようになる。「権力と闘うのは思い込み」と言う役員も現れる。「収益第一主義になっていないか」と危ぶむ依光さんは「ジャーナリズムは読者のためにあり、権力とは対抗にある」と新聞の存在意義を強調した。日本のジャーナリズムは、記者を教育・養成する新聞社が支えてきたと自負するから、発表モノや催し主体の「安全」な記事で充満する新聞紙面に不満を見せる。

 今や、発表文のリリースが次から次へと届く。一日中、記者が縛りつけられている。「自分たちが嗅ぎ回られる心配をなくす狙いもある」と踏む依光さんは、20年前が「6対4」だった取材側の力関係が現在「1対9」と大きく逆転したように実感している。一方、テレビのニュースや報道は、政府広報と見まがう内容に視聴者の不満は大きい。依光さんは歴史を見返す。朝日新聞が戦前、最後まで軍部に抵抗したものの、圧倒的多数の国民が「満州は生命線だ」と唱和し、不買運動もあって満州事変後は戦争に加担していった事実を。だから「多数が常に正しいわけじゃないと最近思う。世の中が一つの方向に向かう時には必ず反対側から見るようにしている。これは読者にとっても大事じゃないかな」と自戒しつつ共鳴を求めた。

 新聞を育てるのは読者である。be編集部の記者として、依光さんは少数派の主張をペンに込める。その仕事に、なお希望を抱きながら。


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