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「人らしく生きよう」佐久間忠夫さん逝去〜一人ひとりが主人公の運動求めて

    松原 明(ビデオプレス)

 1945年に大空襲を体験し、その年14歳で国鉄に入社。以来、国労運動ひとすじの佐久間忠夫さんは、JR不採用・1047名解雇撤回闘争のシンボル的存在でした。またビデオプレスがつくったドキュメンタリー映画『人らしく生きよう−国労冬物語』の主人公です。2年半前から、前立腺がんで東京・大田区の病院で療養していました。私が、佐久間忠夫さんの家族から「容態が悪化した」と連絡を受けたのは7月8日でした。翌9日、病院に駆けつけました。眼は見えず話もできませんでしたが、耳は聞こえるようで、耳元で「来たよ」というと「うん、うん」と首をふります。一緒だった根津公子さんは、佐久間さんに「毎回傍聴にきてくれた停職処分裁判に最高裁で勝利したよ。本当にありがとう」と語りかけると深く頷いていました。そして、翌朝10日の6時40分に息を引き取りました。延命措置はしなかったので、苦しむこともなく枯れるように亡くなりました。85歳でした。

 通夜は7月12日、告別式は13日に東京・江古田斎場で行われました。無宗教の佐久間さんらしく「お経」はありません。祭壇のフラワーは線路をアレンジしたものでした。また好きだったウィスキーが置かれ、遺影の脇には『人らしく生きよう−国労冬物語』のビデオがありました。会場では映画の主題歌である田中哲朗さんのCDが流され、「たたかう人ほど人らしく生きれることを知っていますか?」のフレーズが場内に響きました。佐久間さんは国鉄労働者として60年、そしてその後も反戦・反原発・反権力の現場でたたかい抜いた人でした。

 通夜の焼香のあと、別室で参加者が大いに語る「お別れ会」になりました。約100人が集まりぎゅうぎゅう詰めです。国労関係者、映画『人らしく生きよう』関係者、国会前マラソンの仲間、地域の仲間、佐久間ファンの女性たち、など多彩な人たちでした。その参加者の一人・古参の国労メンバーは私にこんな話を披露してくれました。「国労が右旋回しようとしたとき佐久間さんが当時の山崎委員長に直談判して、組合大会を開かせた。そして方向転換をストップさせた」と。たたかう国労を残し、全労協設立につながる重要な役割を佐久間さんは果たしていたのです。

 翌13日の告別式には50人ほどが集まりました。冒頭『人らしく生きよう』の佐久間さんのパートを編集した13分ほどの映像が流されました。弔辞を述べたのは、私(松原明)・中野勇人さん(元国労闘争団/写真)・佐々木有美さん(『人らしく生きよう』制作者)・神田香織さん(講談師)・高久保さん(国労の仲間)の5人でした。私はとても緊張しましたが、いくつか思い出を語りました。佐久間さんが好きな言葉は、「馬は水辺に連れていくことは出来るが。水を飲ませることはできない」であることを紹介しました。その意味は、運動は上からの強制ではなく、一人ひとりの自発性が大事であること。それができたとき初めて運動が強くなること。佐久間さんは、まさにそれを実践してきた人でした。そして佐久間さんがよく言っていたのは、「日本にまだ民主主義はできていない。これから自分たちで闘ってつくるしかない。コツコツと」という言葉です。奇しくも亡くなったのは10日の参院選投開票日でした。佐久間さんがもし生きていれば、同じ言葉を語ったと思います。

 四国から駆けつけた中野勇人さんは、「佐久間さんの口癖だった『運動で受けた借りは運動で返すんだ』という言葉をかみしめたい」と語りました。神田香織さんは「佐久間さんに誘われた29年前の新鶴見人材活用センターの取材が、私の講談の原点。その時から理不尽な眼にあっている人たちの側に立って講談をつくっていこうと思った」など述べました。佐々木有美さんは、『人らしく生きよう』フランス上映委員会の8人連名のメッセージを紹介しました。そこには、「日本でもフランスでも、そして世界中で、ごく一部の富裕層がますます富を貪り、資源をとり尽くし、人間らしい暮らしを破壊しています。だからこそ、佐久間さんが示された『人らしい』生き方を心の灯火として、これからもくじけず、一歩一歩、歩みを進めていきたいと思います」とありました。(メッセージ全文

 最後に挨拶した高久保さん(元国労川崎保線区分会)は、「いつも一緒だった。分割・民営化をした中曽根康弘よりは長生きしよう、というのが私たちの約束だった。それを果たせなかったことが悔しい。でも残った私たちが仇とってやるという気持ちでがんばっていきたい」と決意を述べました。そして、北海道・九州はじめ全国から寄せられた弔電が紹介されました。ルポライターの鎌田慧さんのメールもありました。
 そしていよいよお別れの「棺への花入れ」に移ります。佐久間さんの胸には、国労東京闘争団の赤いゼッケンがそっと置かれていました。解雇撤回を求めて、20年以上付けてきたゼッケンと一緒に旅立つのです(写真)。そして棺の上には、電車運転士の帽子と愛用した懐中時計が置いてありました。
 一国鉄労働者として、人間として、いつも明るく闘い生き抜いた佐久間さんは、私たちに本当に多くのものを遺してくれました。ありがとう、佐久間忠夫さん!

『人らしく生きよう』映画情報

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Created by staff01. Last modified on 2016-07-14 07:30:25 Copyright: Default

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