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廃炉・除染作業現場の貴重な記録〜書評:池田実『福島原発作業員の記』(八月書館)

     佐藤和之(佼成学園教職員組合)

『福島原発作業員の記』の著者・池田実さんは、28年間にわたる「郵政4.28争議」を闘い 抜いた後、職場復帰していた当該の一人だ。ところが2011年3月11日、東京で郵便配達の 仕事をしていた時、東日本大震災が発生する。当時の気持ちを、著者は次のように書く。

「これからの自分を変える事件となるという漠然とした予感がその時あったのを覚えてい る。そう、日本はあの日からガラリと変わってしまったのだ」。「福島で原発事故により ふるさとを追われた住民が何十万人もいる現実は、私の心の中に澱のように沈殿していた 。東京のためにずっと電気を送り続けてきた福島、私たちの生活は彼の地の犠牲によって 成り立っていたのだ。申し訳ない、何かしなければと贖罪に似た思いが募る」。

2013年3月末、郵便局を定年退職した著者は、福島で働く決意をする。ハローワーク通い の末、探し出した仕事は、汚染地域の除染とイチエフ(福島第一原発)での廃炉作業。間も なく、東京から福島へ単身赴任し、作業員として働くことになる。

「3・11という日本の歴史の大きな転換点となった”大事件”は、決して終わったのでは なく、今も福島で、現在進行形で続いている。この先、四〇年、五〇年、あるいは一〇〇 年以上かかるかも知れない収束作業の歴史的進行に一時でも係りたい」。「六〇歳の節目 を迎えた私の第二の人生が福島にあると思ったのである」。

2014年2月〜2014年5月、汚染地域の除染作業。重労働で不安定な労働生活が始まった。地 元の住民からは感謝されている。ただし南相馬市の居酒屋では、店の主人から「ご苦労さ まだけど、除染は意味ないんだよね」「いくら除染しても森林をやらなければ無理なんだ 」と言われた。それでも主人は、遠方から除染に来ている作業員に部屋を貸し、色々なツ マミをサービスする。ここで、著者が作業中に詠んだ短歌が紹介される。「除染する熊手 の上に降る花弁愛でられず散る浪江の桜」。「どれくらい除染すれば人は帰るだろう自問 を胸に刈る浪江の草花」。

2014年8月〜2015年4月、イチエフ構内での廃炉作業。この期間だけでも、労災事故で2名 の作業員が死んだ。危険なのは、被ばくだけではないのだ。多重下請け体制に横の業種別 縄張り意識が絡まる閉鎖的現場構造、上にも横にも物が言えない雰囲気、そうした原発職 場特有の要因が事故の背景にある。

なお、イチエフにも労働組合は存在する。電力総連に加盟する東電労組や発電所保守部門 の労組、電機連合に加盟する東芝労組や日立労組、基幹労連に加盟する三菱重工労組やIH I労組、そして上部団体をもたないゼネコン社員の労組などだ。しかし、イチエフの現場 に組合の姿は見えず、加入できるのは正社員だけで、下請けの作業員は組合の存在さえ知 らない。著者は言う。「ここには「労働者」は存在せず、一部のエリート社員と大多数の 「作業員」がいるのみ、なのだ」。

さらに著者は、作業員と避難者との共通性を指摘する。「作業員として福島で暮らし、よ そ者という目で見られる私たち、寮の行き帰りやスーパーやコンビニなどで受ける視線は 、口で言われるのではないが、良くは見られていないなあと常日頃思うのである」「だか ら、私たちも外出をできるだけ控え、ひっそりと暮らすのである。住んではいるが、ここ に住民票はない、だが帰る故郷がないという作業員も少なくない現実、これは何か故郷を 追われた避難者と似ていないか」。

放射線管理手帳によると、著者の外部被ばく線量は、1年あまりで7.25ミリシーベルト。 ちなみに、イチエフ作業員の平均は、年間4.9ミリシーベルト。東電が上限としているの は年間20ミリシーベルトで、法定では年間50ミリシーベルト。但し、緊急事故対応の場合 は、上限250ミリシーベルト、生涯1000ミリシーベルトに法改定された。発病しても、労 災認定は狭き門。離職後も国の予算で健診や保健指導が受けられるのは、2011年3月11日 から12月15日までの期間に、イチエフで働いた緊急作業従事者だけだ。

終章と後書きでは、廃炉・除染作業の問題点が指摘され、実体験に踏まえた提言がなされ る。著者が特に強調するのは、国が作業に責任をもつ専門機関の設置、「雇用保険」「健 康保険」「厚生年金」への加入、居住・生活環境の改善、そして安定就労と雇用計画だ。 ここでも、短歌が詠まれる。「また一人ましな現場を求め去る浪江の空の渡り鳥のごと」 。

さらに、「生まれ住んだふるさとを追われ、見知らぬ土地で生きることを選択せざるを得 なくなった人びとがいる一方、福島を第二のふるさととして住み始める作業員がいてもい い、職住接近の作業員集合住宅エリアの隣に、帰還した住民たちの公営集合住宅や戸建住 宅エリアが現出する」といった、著者の「夢」が語られ、短歌が続く。「除染から廃炉作 業に身を投じやがて福島がふるさとになる」。

評者は今年3月、ある東京の労働者集会で、8年振りに池田実さんとお遭いした。原職復 帰直後の2008年、わが組合の職場集会に池田さんらを招いたが、以後お会いする機会が無 かった。池田さんの優しい人柄は、以前と変わらないように思えた。しかし今や、解雇争 議を闘う郵政労働者ではなく、放射能と闘うリクビダートル(収束作業者)なのだ。本書を 読んだ第1の感想も、この点にある。『福島原発作業員の記』は、ジャーナリストによる 潜入ルポでもなければ、通常の原発労働のレポートでもない。池田さんは、イチエフで苦 闘するリクビダートル仲間の労働生活を描き、その喜怒哀楽や人生をも示唆することで、 広く問題を共有したかったのだと思う。

感想の第2は、多くのリクビダートルもまた、貧困と差別の中にいるという点だ。多重下 請け構造と雇用身分による差別は、労働・生活条件だけでなく、安全・健康面や福利厚生 にまでおよぶ。既存の労組からも疎外され、ほとんどが未組織なので、保障がなくても権 利を主張できないでいる。また、よそ者としての作業員や避難者に対する、地元住民の偏 見といった問題もある。こうして不幸にも、福島の地域社会が引き裂かれていく。本書で は「チェルノブイリ法」が幾度か引用され、日本との比較がされている。国家事業として 収束作業にあたるユーラシア諸国と、「廃炉ビジネス」が展開する日本とでは、リクビダ ートルの地位・身分が違う。

こうした原発職場にも規定され、リクビダートルもまた、怒りの声をあげることができな い。物が言えない職場で孤立し、外部に対しては閉鎖的となる。この点が、第3の感想で ある。自分の日給さえ口外禁止とされ、同僚の労働条件もよく分からない。しかし、不満 が無い訳ではない。地元の先輩作業員は、「この国はどうなってるんだろうね。俺たちの ふるさとをこんなにして、また原発を再稼働させるなんて」「東電や金のためじゃない。 ふるさとのためにと思って働いているんだ」と、語気を荒げた。池田さん自身は、「五年 という節目を迎える今、沈黙していた作業員たちも自分たちの声をあげる時がきたと思う 。日常の労働条件や福利厚生とともに、生涯の被ばくへの保障も含め、問題点を洗い出し 、安 心して働ける職場環境に変えなければならない」と訴える。

その通りだと思う。具体的には、まず内部情報の公開と問題の社会化が不可欠であり、そ の上で外部から繋がる必要もあろう。その意味で、廃炉・除染作業の現場を経験した当事 者が、その労働や生活の実態を伝えた本書は貴重である。また、闘う労働者であった池田 さんが、福島第一原発事故を精神的にも肉体的にも主体的に引き受け、再び社会運動の場 に現れ活動する姿を見て感動した。被ばく労働や核を必然とする社会は、根底から変革し なくてはならない。


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