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沖縄を国内植民地とする発想捨てよ〜平良修牧師

                   林田英明

 平良修さん(写真)は、ただの沖縄の日本キリスト教団牧師ではない。その活動範囲は広すぎて紹介に困る。今も毎週、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先である名護市辺野古の埋め立て反対の座り込みに出かける精力ぶりは、とても83歳とは思えない。

 「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」共同代表の肩書もある。星野さんとは、1971年の「渋谷暴動」で亡くなった機動隊員の「犯人」として逮捕され徳島刑務所に服役中の無期懲役囚、星野文昭さん(69)を指す。冤罪を訴え、獄中結婚した暁子さんに贈るために描かれたみずみずしい水彩画の数々を全国28の「取り戻す会」が絵画展として企画し、事件の実相を知ってもらおうと工夫を凝らしながら市民に訴えている。

 今回、平良さんを招いたのは「星野文昭さんを取り戻す会・九州」。2年前、福岡に発足した団体である。7月10〜12日、北九州市戸畑区で開いた絵画展には約150人の参加者があり、新聞記事を見て駆けつけ、涙を押さえながら28点の絵画と暁子さんの詩を見つめる女性の姿も見られた。

●星野文昭さんの高潔さ

 11日に開かれた平良さんの講演テーマは、ズバリ「沖縄と星野」。風邪で声をからしながら懸命に訴える姿に50人が聴き入った。「私は、愛している沖縄を第一に考えているから、誰であれ、沖縄を粗末に扱う人は嫌い。一緒に汗を流し、泣いてくれる人は大好きで、星野さんは、その一人だった」と切り出し、ストレートな感情をぶつけてきた。5月に開かれた沖縄展でも女性の反応が熱かったという。「星野さんの高潔さにひかれた」という感想を紹介して平良さんは「人間は全身全霊で高潔さを獲得しなければならない」と付言し、星野さんが獄中から発しているメッセージに高潔さを見いだしていた。

 星野さんは「基地のない沖縄を取り戻そう」と立ち上がった。平良さんは「沖縄が大事にされていたら星野さんはあれほど悩むことはなかった」と心情をおもんぱかり、沖縄の置かれた不条理を問う。西銘順治・元沖縄県知事は、かつてこう漏らした。「私にとって沖縄の心とは、日本人になりたくてなりきれない心」。平良さんは「意味深長です」と言って、日本人になりきりたいのになりきれない苦しみを沖縄の心だと補足し、内面の葛藤を説いた。

 文化、言葉、自然が本土と異なる沖縄は、琉球王国の長い歴史があり、天皇もいなかった。亜熱帯で極度に暑くも寒くもないため、あくせくすることもない。馬車馬のように働く本土のビジネスマンは、そんな沖縄に触れて「好き」と「大嫌い」に見事に分かれるという。ここにこそ自分が見失った人間らしい暮らしを発見して肯定するか、これでは仕事にならないと否定するか。平良さんは「今日できることは明日にしよう、という沖縄の個性は生かしていくべきだと思う」と擁護した。

●繰り返される琉球処分

 しかし、問題は笑い話にとどまらない。繰り返される「琉球処分」に語気を強めていく。一般に琉球処分とは、1872年に琉球王国を廃し79年に沖縄県を設置した明治政府の強圧を指す。平良さんは「使い物にならないものを『処分』すると言う。沖縄はゴミではないし、罰せられる悪いことをした覚えもない。太平洋の島社会の中で琉球ぐらい高度な文化を生み出した民族はない」と自負を見せ、併合された不運と不幸を呪った。この原琉球処分が「日本史の中の沖縄史の原点」と銘記してほしいとする。

 その後も続く小規模の「処分」を平良さんは4次まで分類した。第1次は、多くの非戦闘員を巻き込み20万人が亡くなった沖縄戦。本土決戦を構える時間稼ぎでしかなかった。第2次は、天皇メッセージに始まる沖縄の米軍支配への切り捨て。昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望む意向を1947年に米側に伝えていた事実を挙げて平良さんは「皇室の安全のため、初めから沖縄は捨てられていた。元々の日本じゃないから」と憤りを隠さなかった。第3次は、日本復帰熱望への裏切り。日本本土の独立担保として米軍統治下に置かれた52〜72年がそれにあたる。まだ独立志向派は少数に過ぎず、軍事支配から脱却し平和憲法の日本への復帰を求める声が多数を占めた。しかし、日本政府の考えは全く違っており、日米安保体制の要としての米軍基地の継続維持が眼目だったし、自衛隊の駐留もそこに加わる。強引に批准する国会運営に対し、見るに見かねて立ち上がったのが星野さんだったというわけだ。

 沖縄本島北端の辺戸岬に「祖国復帰闘争碑」が建っている。76年4月28日に沖縄県祖国復帰協議会が設置した。72年5月15日の復帰を祝う内容ではない。県民の願いとは裏腹に日米軍事強化に逆用された事実を記し、むしろ悼んでいる。「全国のそして全世界の友人へ贈る」と題された碑文の後半部分を平良さんは読み上げた。「この碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確め合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理に下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある」。その碑から鹿児島県の与論島は見える。本土に向けたメッセージともいえよう。だから、沖縄の意向を無視した72年の日本国への施政権返還を平良さんは再併合と読み替え、それから現在に至るまで沖縄民衆の意思を踏みにじる辺野古新基地建設に表れた日本政府の差別政治の現実を第4次処分ととらえるのである。

●安保と憲法の二重基準

 なぜ、日本の0.6%の面積でしかない沖縄に米軍専用施設が74%も集中するのか。米側にとっても1万2000人以上の死者を出した沖縄戦。その犠牲の「戦利品」として何をやっても構わないと米軍は考えている。平良さんがそう振り返るのは、返還交渉時に米国防総省の上級担当官だったハルペリン氏の述懐にもよる。同氏は60年代にある海軍将校からこう言われた。「沖縄に基地は存在しない。沖縄それ自体が基地だ」。そんな感覚だからこそ、「銃剣とブルドーザー」と呼ばれた土地の接収も基地拡大も抵抗がないのだろう。

 戦後の冷戦期、ソ連との衝突に備え、日本にあった米軍基地は沖縄にシフトしていく。太平洋の軍事的要石として沖縄に集約することで日本本土の「平和」憲法が成り立っている矛盾を平良さんは苦悶の表情で指摘した。民主党政権末期の2012年末、当時の森本敏防衛相が最後の記者会見で米海兵隊の配備についてこう述べた。「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域である」。陸上、航空、支援の3部隊が一つの地域で機能する場所は沖縄しかない、という本音の政治力学。日米安保は必要だとしながら自分の裏庭にはごめんこうむるという二重基準を恥じない本土に対し平良さんは刃を向ける。「日本人は、こういう考え方のレールに乗って降りようとしない」。いま安倍晋三首相が強引に進めている安保関連法案にどう向き合うかも問われている気がした。

●「万国津梁」こそ求めて

 沖縄が求めているのは軍事的要石を拒否しての「万国津梁(しんりょう)」。よろずの国々の交流を橋渡しし、共存共栄してきた誇りがある。平良さんは繰り返すように願う。「圧倒的多数の日本人が、沖縄を国内植民地として国益に利用する発想を捨て去ってほしい。あなたたちが変わってくださいよ」と。そして、辺野古をはじめとする闘いの拠点も一つの発火点にすぎないとし、底辺の日米安保体制の火山層を見るよう求めた。発火点のみの消火にエネルギーを費やして自己満足に陥ってはダメだ。政府の方向を変える国民運動を期待する平良さんだった。

 沖縄の独立を求める声は、本土が変わらなければ昔以上に燃え盛ることになる。しかし、そこまで沖縄を追い詰めるのは星野さんの本意ではないと平良さんは感じている。「ともに涙する連帯を星野さんは広げたい。沖縄に対する迫害者であり続ける恥を知り、沖縄の側に立つ星野さんを日本政府は許さない。政府にとっては逆の人間が増えるほうがいい。ノーと言う人間はいじめられる」。そして、こう結んだ。「沖縄を正しく大事にすることは日本を大事にすること。沖縄を粗末にすることは日本を粗末にすること」

 人間の尊厳をかけた北海道出身の星野さんの姿が、沖縄の平良さんの声を通して見える気がした。


Created by staff01. Last modified on 2015-07-19 13:59:36 Copyright: Default

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