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LNJ Logo 2月21日の「君が代起立強制を考える集い」に思うこと〜大阪の卒業生・木村ひびきさんの「手紙」を読んで 「無自覚な数の暴力」が人の心を破壊する
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レイバーネット最新号の会報に折り込まれていた「君が代起立強制を考える集い」のチラシ。裏面に書かれていた大阪の卒業生・木村ひびきさんの「手紙」を読んだ。私は北海道在住ということもあり、さすがに集会参加は断念したが、「卒業生の声も聞いてください」と題されたこの「手紙」を読む限り、北海道からでも参加する価値ある集会だったに違いない。

「手紙」は、木村さんが受けた「原体験」とも言うべき抑圧の告白から始まる。『人と違うことをすればどうなるかわかっていました。人と違うこと、多数の常識や雰囲気から外れたことをすれば、イジメられる、馬鹿にされる、責められる。私がどれほどの思いを持っていたとしても、どんなに正直に話しても、それを無視する程の数によって踏みにじられる。そんな経験を昔味わったことがあるからです……(中略)……こんなことをしたんだ、されたんだと正直に話しても周りが違う嘘つき謝れと何度も何度も大声で私を責めました。私は何度も言い返しましたが、大人ですら、そのような状況に置かれれば疲弊するのに、こどもの私では耐え切れず何度も自分の意思をねじまげられました。しかし、ねじまげられる度に、私はとても悔しくて、歯を食いしばり、涙を流しました。それから私は、自分の踏みにじられたくない思いを、自分で説明しきれるまで、周りに対することができるようになるまで、表に出すまいと決めました』

個性の尊重とはお題目ばかりで、個を主張する者はいつも同調圧力にさらされ、従わない者は最後には排除され、疎外され、迫害される。いじめられっ子、在日外国人、LGBTなどの性的マイノリティ、そして福島からの「自主」避難者――「人と違う」ことをする者には、いつも「ムラ」という多数派から「私刑、リンチ」の刃が振り下ろされる。21世紀の今になっても。木村さんの「手紙」には、人と違うことをする者が、多数派によって、ゆっくりと「心を殺されてゆく」生々しい描写が登場する。

そして、同時に私は言いようのない胸の苦しさを思い出した。そこに書かれていることが、青春時代の一時期に自分が体験したことと全く同じだったからだ。そこでは正論は通じない。いやそれどころか、正論を言えば言うほど冷笑をもって迎えられる。なぜ自分がそのような経験をしなければならなかったのか。思い当たるのは、当時から私が「人と同じようにする」のが嫌だったからだろう(これは今でもそれほど変わらない)。

『少数は何時だって多数に「お前らは間違っている」と言われつづけていると感じます』……多数派に属することのできないマイノリティにとって、多数決とは民主主義に名を借りた暴力装置だ。その本質を若くして見抜いた木村さんに最大級のエールを送りたいと思う。

多数派は常に腐敗する。なぜなら彼らは、考えなくても、正しくなくても、いつでも数の力で政治的に勝利できるからだ。多数派が長くなると彼らは次第に考えることをしなくなる。思考停止した多数派は、いつしか少数派に対し、無自覚に権力を行使するようになる。反対に、少数派はいつでも正しさにしか依拠することができない。彼らは常に考え、批判し、鍛えられる。だから人生、折り返し地点を過ぎたこの年になっても、私は多数決なんてクソ食らえと思っている。

自分と同じ空の下にこんな思いで生きている人間がいるということを、多数派にしか属したことのない自民党には絶対にわからないだろう。今さら彼らごときにわかってもらいたいとも思わない。ただひとつ確信をもって言えるのは、福島、沖縄、人と同じになりたくても、なることもできないマイノリティたち……踏みにじられているたったひとりの気持ちがわからない為政者は、最後はそのために滅亡することになるということだ。

『私達は最近失敗をしませんでしたか? 予測では絶対大丈夫。それを信じて、大丈夫じゃない可能性を考えることを放棄し、大丈夫じゃない可能性を考えた少数を事故が起こるまで軽く扱ってきませんでしたか? 何か起こってから、失敗したと言っても後の祭りです。取り返しはつかないのです』

彼女の手紙は福島原発事故に及ぶ。福島で「大丈夫じゃない可能性を考えた少数」がいること、そしてその人たちが排除されてきた事実は、政府、財界、原子力ムラ、そしてメディアによって黙殺され、徹底的に隠されてきた。そうした隠蔽構造を射貫く目を、被災地から遠い西日本にいながら彼女が持つことができたのは、彼女自身が「排除される側」にいたからだ。マイノリティを尊重し、多様性を認めることのできない日本社会の哀れな末路を象徴的に表現したのがあの事故だった、とする彼女の見解に私は全面的に同意する。

日本では、ようやく自殺者が年間3万人を割ったと報道されている。確かにピークは過ぎたが、それでも2万人を超える人々が毎年、みずから命を絶っている。子どもたちの自殺も定期的に報道される。その原因として最も多いのはやはり「いじめ」だ。それは多くの場合「ムラ」からの社会的排除を伴い、ゆっくりと、被害者の心を壊死させてゆく。

今、この文章を読んでいる若者たちの中で死にたいと思っている人がいたら、私は伝えたい。いじめられたり、排除されたりといった経験はあなたに真実を見抜く「心の眼」を与えてくれる。それはあなたが、この先の長い人生を歩んでいく上で強力な武器になる。そして、処分覚悟で不起立を貫いた教師に木村さんが勇気づけられたように、あなたにもかならず世界のどこかでエールを送ってくれる人がいる。絶望せず、暗闇の中でも希望を持って明日への命をつないでほしい。

将来ある若者が、その将来、自分が不利益を受けるかもしれない中で一生懸命闘っている。木村さんの「手紙」を読んで私は久しぶりに魂を揺さぶられるとともに勇気をもらった。人生経験だけは彼女の2倍以上ある私が今闘わなくてどうするのだろう。テレビの電源を入れると、評論家やコメンテーターたちは、今日も訳知り顔で「対案も出さず、批判ばかりしているから野党はいつまで経っても政権を奪えないのだ」などとのたまう。だが「対案」などというのは、自分だけは安全地帯に身を置きながら、ぬくぬくと暖房に当たり、お茶を飲んでいる恵まれた者たちの政治的たわごとであり、私はそんなことにはまったく興味がない。今、私にできることは、「多数派」という無自覚な暴力装置と闘うために天から与えられたこの筆力で暴力装置を告発することだ。生きるか死ぬかの狭間でもがいているのに多数派からは顧みられることもない、たったひとりの人間のために。

(文責:黒鉄好)

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