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大人たちの生きる姿勢が問われている〜2.21集いに参加して

                  堀切さとみ

 2月21日、「スペースたんぽぽ」で行われた「『君が代』起立強制を考える集い」に参加した。これまでにも根津公子さんや田中聡史さんら、先生の闘いは聞いていたが、高校生の思いと行動に触れて、とても勇気づけられた。

 この集いを知ったのは、レイバーネットのニュースレターと一緒に入っていた「卒業生の声も聞いて下さい」というチラシだった。「最初に断っておきますが、私は親に言われて君が代の“不起立”を決めたわけではありません」と始まるそのチラシは、心に強く迫るものだった。書いたのは昨年三月に大阪府立高校を卒業した木村ひびきさん。彼女に会ってみたくて参加した。

 卒業式での<日の丸君が代強制>が始まったのはいつの頃だっただろう。本土では斉唱・掲揚率がぐんぐん高まる中で、沖縄ではその割合は圧倒的に低かった。教師ばかりではなく、卒業式の主役である生徒がこれを拒否した のは沖縄・読谷高校だった。三人の女子高生が壇上に駆けあがり「こんな旗を掲げてほしくありません」と言って日の丸を引きずりおろし、泣きながら側溝に捨てたのは随分前のこ とだ。現役の高校生の「決起」は久しぶりな気がする。

 私も学校職員(給食調理員)の一員として毎年卒業式に参列するが、「君が代」は歌わない。でも教員の立場だったら・・・と思うと息苦しくなる。「起立しない」「歌わない」ということが踏み絵となり、生活が左右される。特に東京都では減給などの処分の対象になり、累積すると免職の危険もある。切羽詰まった状況下で、10年前には「強制は問題だ」と異議申し立てをした教師が大半だったのに、今では不起立教師は数名しかいない。

 「何で立たないの? 何で歌わないの? おかしいんじゃない?」と私の職場の同僚は言う。私が教師の立場でそう問われたら、間違いなく答えに窮するだろう。処分されることより「何で立たないの?」という同僚の言葉の方が、威圧的な力を持っている。

 会場で、グループzazaが作った冊子『12人の不起立の思い』を買った。「生徒を『日の丸君が代』の議論に巻き込むことについての批判も聞こえるようになり・・この時に私が言い訳に使ったのが、学校現場は『日の丸君が代』で動いているのではない、もっと大きな解決しなければならないことがあるのではないかと。こうして『日の丸君が代』に対する私の精神的封印が始まっていった」。これはとても正直な告白だと思う。

 ひびきさんは中二の頃まで「君が代」は教えられたことはなかったという。中三の時に突然、音楽教師に言われて練習させられた。音楽の先生に「君が代の君は“あなた”。これは恋の歌なんだよ」と言われ、ひびきさんは「君は“天皇”のことじゃないですか?」と反論する。それをきっかけに他の教師が、一人一人「君が代」に対する自らの考えを語ったという。彼女の中学には、処分されるのを承知で不起立している教師がいたり、「立つ立たないは自由。責めたらいかん」と言ってくれる校長がいた(それ自体が驚きだけれど)。

 高校の卒業式。異物扱いされるのが怖くて、彼女は直前まで不起立できるかどうか迷ったという。結局、卒業式で不起立することを宣言し、自分の思いをチラシに書いて在校生に配った。膝をがくがく震わせて、胃の痛む思いをして。200枚のチラシはあっという間に受け取ってもらえて「こんなもんか」と意外なほどだった。・・・そんなことを泣きながら、そして笑いに変えながら話す。聞いている私も泣いたり笑ったりした。

 立たないことが処分の対象になる。何という不自由か。この思想弾圧が目指すものは何なのか。他者に危害を加えれば裁かれる。でも不起立は、誰かを傷つけているのか。傷つけられたのは処分された教師や、その痛みを我がこととして感じる生徒たちではないか。

 ひびきさんは、守ってくれている大人たちの存在があるから決起できた。教師たちも日々迷いながら頑張っていることを、彼女は感じることができたのだ。そして彼女はちゃんと種をまいたことを実感する。「自分が高校生のうちに前例を作れてよかった。何年か後に同じように悩む後輩が出てくるかもしれ ない。『こういう先輩がいたよ』というだけで勇気づけられると思うから」。そんな彼女に「勇気づけられたよ」と賞賛し励ましたくなる自分がいた。そういう雰囲気が会場に漂っていた。

 質疑応答の最後に、撮影記録を担当していた松原さんが「同世代が無関心なのはなぜだと思う?」と投げかけた。「知らないからだ」と彼女は言った。単に史実や現実を知らないというだけではない。自分が迷って悩んで話すことによって、実は共感してくれる人が身近にいることを知ることができたのだと。「皆が共有してたら話せるかもしれないのに、そういう世界を知らないから自分本位になってしまうんじゃないか」。

 教師の世界は生徒の世界とは異次元のものだと思っていたと彼女は言う。でもそんな教師たちから「君が代」への思いを引き出したのは、彼女が悩みや葛藤を表に出したからだ。

 閉塞した社会が来ている。スパイ、非国民、テロリスト、自己責任・・レッテルを貼り付けられるのを恐れる前に、これらの言葉が何を定義しているのか考え議論することが必要だ。「君が代」が意味するもの、「不起立」が意味するもの・・・・

 「今の教育は偏っている」という彼女は、ひとつひとつが実証的で、大人たちの狡さを暴く。まだ19歳の彼女を守るということは、彼女の実名を伏せるということではない。彼女ら若者がぶつかって来たくなるような正論を、大人が示すことではないか。学校現場だけでなく、すべての大人たちの生きる姿勢が問われている。


Created by staff01. Last modified on 2015-02-22 17:41:02 Copyright: Default

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