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LNJ Logo 松本昌次のいま、言わねばならないこと〜69回目の敗戦記念の夏のおわりに
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第18回 2014.9.1 松本昌次(編集者・影書房)

69回目の敗戦記念の夏のおわりに

 「敗戦」という言葉が、いつ「終戦」と入れ換わってしまったのだろうか。かつての、日本が呼称した「大東亜戦争」、いわゆる太平洋戦争は、すんなり終ったわけではない。日本が無条件降伏することによって終ったのである。つまり、米英中蘇四カ国のポツダム宣言を受諾、白旗を掲げたのである。なぜ、敗けたことを誤魔化そうとするのか。ここに、中国・朝鮮などのアジア諸国、そして米国までがいまなお指摘する日本の「歴史認識の欠如」の原点がある。

 日本が敗北したのは、なにも矢折れ刀尽きたためではない。明治いらいの天皇制支配によるアジア諸国への植民地支配・侵略戦争の歴史が敗北し、否定され、断罪されたのである。当時の民主主義的勢力によって、ヒトラー率いるドイツと、天皇=現人神(あらひとがみ)率いる日本のファシズム勢力が敗北し、お蔭で、日本は70年になんなんとする戦後の平和を、近代においてはじめて享受できているのである。アジア諸国、そして自国での数限りない死者たちの墓標の上に立って……。

 いまは亡き丸山眞男さんに、「復初の説」という有名な講演がある。すでに半世紀以上も前、岸信介を首班とする政府・自民党が警察権力を導入、反対派を排除して「新安保条約」を強行採決した1960年5月19日〜20日直後の6月12日、「民主政治を守る講演会」でのものである。そこで丸山さんは、「復初」という言葉の意味、つまり「ものの本質にいつも立ちかえり、事柄の本源にいつも立ちかえる」ことの大事さを強調したのである。では、「本質」「本源」とは何か。それは、戦後の民主主義をふみにじった暴挙の日=1960年5月19日〜20日であり、さかのぼれば、全土が廃墟と化した敗戦の日=1945年8月15日である。この「本質」「本源」に絶えず立ちかえることによって、現在の「自分自身の存在根拠」を問わねばならないと、丸山さんは語ったのである。

 去る8月15日、例によって例のごとく、「終戦の日」と称して政府主催の全国戦没者追悼式が開かれたが、式辞で天皇も安倍首相も、ただのひとことも、アジア諸国への加害の責任にはふれず、まるで日本人のみが戦争の被害者であるかのごとくであった。安倍首相に至っては、パプアニューギニアに行って、12万余の戦死者に手を合わせてきたなどとも言ったが、なぜ、そんな遠くまで行って兵士は死ななければならなかったのか。言うまでもなく侵略戦争の尖兵として狩り出され、見捨てられたのである。そのような戦争を遂行した日本が、敗戦という過酷な浮き目をみたのが8月15日なのだ。その「本質」「本源」に立たずして、なにが戦没者の追悼といえようか。

 敗戦の日に先だつ広島・長崎での平和祈念式典での安倍首相のあいさつの冒頭が、前年のコピペ(引き写し)といわれたが、中身も例年と似たり寄ったり、美辞麗句を重ねるだけで、何ひとつ魂のこもった言葉は聞かれなかった。「復初の説」に耳を傾けようとしない人間の当然のありようである。

 一方、長崎の被爆者代表の城臺美彌子さんが、用意した文面を無視し発言した言葉にこそ、「ものの本質」「事柄の本源」に立ちかえる呼びかけがあった。……「今進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です」。いま「新安保条約」による暴挙が、沖縄・辺野古の海を襲っている。

 猛暑の夏も去り、あっという間に秋風が立った。いまから100年ほど前、「日韓併合」に心痛めた石川啄木の有名な短歌一首を、国名をさしかえて引用しよう。

 地図の上日本国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く


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