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●カリン・ペーター・ネッツアー監督『私の、息子』

逃れられない母子のしがらみと腐敗した社会

 ルーマニア映画『私の、息子』は、60歳になっても子ばなれできない母と30過ぎても自立できない一人息子との確執を描いていて、こうした親子は今の日本でも案外多いのかもと思ってみた。映画の母は、息子の家で働く家政婦から内情を探ったり、自らも無断で息子の家の引き出しなどをチェックしたり。また、寝ている息子に馬のりになってマッサージをしている母のシーンを見ていると、尋常ではない関係がうかがわれる。

 原題の「胎児の体勢(チャイルド・ポーズ)」は、母親の胎内に丸まっている状態の子を意味する。息子は母親の過干渉を嫌い、口汚くののしるが、自分では何もできずに甘えている。そこから無意識に、支配し、支配される関係も生みだされてくる。

 監督はカリン・ペーター・ネッツアー。昨年のベルリン国際映画祭で最高賞を受賞した傑作だ。なかでも主人公の母親を演じるルミニツァ・ゲオルギウには圧倒される。「息子のためなら魂を売ってもいい」と言い放つ子への執着ぶりを、身ぶりの一つ一つにまでにじませている。

 母親には、政界にも顔のきく医師の夫がいるが、彼女自身も建築や舞台美術の仕事をしていて、上流社会の一員として振る舞っている。

 そんなある日、自動車を運転中の息子が少年をはねて死なせる事故を起こす。母親は警察に駆け付け、息子の陳述書を強引に書き直させる。警察は、その見返りに自分の姉の不正建築の相談にのってもらう。

 実はこの映画、母とのしがらみに抗う息子との関係を描きながら、同時に彼らを取り巻く社会の腐敗にも批判の目を注いでいる。そこではコネやワイロが横行し、チャウシェスク独裁政権時代からの特権層が、いまだに(母と子の関係のように)はばをきかせているさまが表されている。

 映画は、母と息子と息子の恋人の3人が少年の家に謝罪にいくラストが見どころ。はたして息子は母から脱皮できるのか。

(木下昌明・『サンデー毎日』2014年6月15日号)

*6月21日より東京・渋谷Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開。


Created by staff01. Last modified on 2014-06-23 19:59:04 Copyright: Default

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