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大逆事件についての知識はおぼろにしかない。映画を観たあとも、知識量はさほど増えていない。それなのになぜか気になる映画である。東京は10日まで、大阪はこれからなので、まだご覧になっていらっしゃらない方のために。  笠原眞弓

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映画『100年の谺 大逆事件は生きている』
司法は、いつの時代も為政者の側にあるのか

映画『100年の谺 大逆事件は生きている』を観た。
これはすごかった。100年前の不正義を、遺族以外の多くの方たちが正そうとしていることに、不思議な強さを感じた。
その強さは、当時の法律に照らしても、4人以外は冤罪であるということから来ているのだろう。法は人を裁くためにあるのではなく、人権を守るためにあるということなのか。一たん確定された判決も、その間違えに気づいたら、何年が経過しようと法的にも名誉が回復されるべきである。
1967年に二人の遺族によって再審請求が出されて棄却されているが、めげずに再審への道筋を求めて淡々と勉強会を続け、再審に向かって周到な準備をしていく画面から、彼らの篤い思いが溢れ出てくる。

平民新聞を購読していたり、幸徳秋水らと知り合いで、高知からの帰り道に寄ったというだけで、連座した人を含め死刑になった人々のゆかりの地を訪ねる。一部には未だに大逆罪の犯人の親族として避けられている人もいるが、新宮市などでは名誉回復を果たした上、2001年に、この事件の犠牲者を顕彰する会が発足して墓前で追悼が行われている。人的資料、物的資料が少ない中、当然ながら墓石とか顕彰碑が多く写出されるが、それすら、生きてそこにその人がいるような気にさせられる。

なんといっても、菅野須賀子の白紙の手紙が圧巻だった。何も書かれていない紙に浮かび上がる文字列。検閲の目をくぐって彼女の訴えたかったことは、ただ一つ。それは、幸徳秋水を守ること。何回も映される秋水との写真の中で、彼女は強い眼力でこちらを見据えている。その澄んだ瞳も素晴らしい。

同じ頃フランスで同じような冤罪事件が起こっているが、その研究者との研究交流会が持たれていることにも触れたり、当時の徳富蘆花、石川啄木など日本の文学界の反応も伝えていて、中でも永井荷風の随筆『花火』の「世上の事件の中で、この折程云うに云われない厭な心持のした事はなかった。私は文学者たる以上この思想問題について黙していてはならない

などの引用もあり、「自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げるに如くはない」と、嘆いているのが印象的だった。 1910年に拘束され(関係者24)、明けて1月18日に12名に死刑判決、そして6日後の1月24日(11)、25日(菅野須賀子1)に執行されるという異例の速さは、何を意味するのか。不満が沸騰しないうちに、社会主義そのものをねじ伏せる為だったのだろう。最近の裁判の判決を見ていると、権力側の都合のいい判決や上告の却下、またあろうことか、裁判所が事件を捏造している節が見られるものがある。いつ我が身に降りかかるかもしれないと思うと、この事件の始末の付け方に、関心を持たざるを得ない。

*大逆罪とは、天皇、皇后、皇太子等を狙って危害を加えたり、加えようとする罪。1947年に刑法から削除されたので今は存在しないが、昨近の風潮を見ていると、近いうちに復活しそうで怖い。

*ポレポレ東中野で、5月10日(金)まで。18時30分から。シアターセブン(大阪)で、2013年5月25日〜6月7日まで


Created by staff01. Last modified on 2013-05-07 20:54:04 Copyright: Default

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