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LNJ Logo 「内なる天皇制」について〜松本昌次のいま、言わねばならないこと第9回
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第9回 2013.12.1 松本昌次(編集者・影書房)

「内なる天皇制」について

 さきに森達也氏の著書を高く評価したことがあるが、今回も、山本太郎参院議員が天皇に園遊会で手紙を手渡したことについての森氏の発言「内なる天皇制」(朝日・11月27日付)にふれたい。

 森氏はまず、山本氏がどんなルールを侵したのか明示しないまま、「政治利用」したとしてペナルティーを与える「極めて日本的なやり方」を批判する。そして政治家やメディアに溢れた言葉は、「非礼」「失礼」そして「不敬」である。しかも森氏が教えている大学の「平成生まれ」の学生までが、訳もわからず「不敬」といったのには驚く。わたしなどはそんな言葉は、戦争中人びとを恐れさせ、1947年廃止された「不敬罪」とともに、すでに死語かと思っていたがさにあらず、亡霊は、事あらばいつでも息を吹きかえすのが日本なのである。


 *写真=「不敬」として山本太郎氏に抗議する人たち(参院議員会館前・11月7日)

 いうまでもなく、近代日本は、天皇制を「政治利用」しつづけ、それが敗戦で破綻したのである。いや「政治利用」したばかりではない。敗戦まで国民を支配しつづけた大日本帝国憲法の第一章天皇の第一條は、「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、第三條には、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのである。つまり天皇こそが、「不敬」があってはならない神聖な最高責任者、それを現人神(あらひとがみ)として祭り上げたのである。敗戦とともに、天皇がわたしたちと同じ一個の人間となった時、まさに森氏がいうように「天皇制を手放すべき」だったのだ。しかしそれをせず、天皇は軍部に利用されたに過ぎない、本当は平和主義者だったという「物語」を流布し、戦争責任のすべてをA級戦犯に背負わせ、東条英機ら7人を絞首台の露と消えさせることで決着をつけたのである。ここから「内なる天皇制」の癌細胞のような増殖がはじまる。森氏は、それゆえ、天皇はA級戦犯が合祀されている靖国神社を訪れたことはないと指摘する。当然である。身代りとなった側近が眠るところにどうして行くことができようか。

 さて、にも拘わらず、山本氏のその後の弁明などをふくめ、森氏は、「天皇に対する信頼がいま、僕も含め、左派リベラルの間で深まっている」と告白する。2001年、天皇が『続日本紀』にふれて「韓国とのゆかり」について発言したこと、2004年、当時東京都教育委員だった棋士の米長邦雄氏が同じ園遊会で、「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させる」と、おべんちゃらを言った時、天皇が「強制になるということではないことが望ましい」と応じたことなどをあげている。そして森氏は、「危なっかしいなあ」と思いつつも、天皇に対し「人格高潔で信頼できる方だと好感を持っています」と、心情を吐露しているのである。実に危なかしい心情である。韓国へのかつての植民地支配を一言も詫びもしないで何が古代の「ゆかり」か。また国旗・国歌が強制されている現実をチラリとでも知っているのか。

 かつてのある時ある人が、昭和天皇に「戦争責任」を問うたことがある。天皇はなんと答えたか。「そういう言葉のアヤについて、文学方面はあまり研究していないので、お答えできかねます」と。戦争責任は文学の問題か。いまは亡き詩人・茨木のり子さんは、詩「四海波静」で、このあとをつづけて、「思わず笑いが込みあげて/どす黒い笑い吐血のように/噴きあげては 止り また噴きあげる(以下略)」とうたった。この程度の天皇に、「昭和」の時代、日本人はふりまわされ、いまや、森氏のいう天皇に対する「平成の神格化」が着々と進行しているのだ。「草の根天皇制」といわれたことがある。日本全土を掩う一木一草に至るまで染みこんだ「内なる天皇制」を、わたしたちはいつ除染できるのだろうか。

*連載コラム「松本昌次のいま、言わねばならないこと」は月1回1日に更新します。


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