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「人権と報道」追求25年
ジャーナリスト・山口正紀さん

              北九州市 ■ 林田英明

 長身、細面の口ひげ。これで元読売新聞記者となれば、素性を当てるのは困難だろう。1985年に発足した「人権と報道・連絡会」の世話人を務めるフリージャーナリスト、山口正紀さん(63)の講演が12月1日、北九州市小倉北区の毎日西部会館であり、30人の参加者がメディアの在り方を論じ合った。毎日新聞労組西部支部新聞研究部主催。

事件記者1年で失格

 山口さんは大阪府堺市出身。73年に東京読売に入社した。当時の読売は、今では想像もつかないほど自由だった。しかし、現在の読売新聞グループ会長兼主筆の渡辺恒雄氏が84年から元日の社説を担当し始める“独裁”以後、自由な紙面が失われていった。「読売に入って失敗したかもしれない」と述懐する。

 山口さんは入社した時から「モノ申す青年」だった。1年生は警察を担当する。「サツ回り」である。被疑者の言い分も聞かずに犯人視する実名呼び捨て報道はおかしい。上司に尋ねても「新聞記者はそういうもんだ」「青臭いことを言うな」と戒められる。「警察が間違っていたら?」という問いにも「日本の警察は優秀だよ」と無頓着。これでは警察のチェックや権力の誤りを正すことなどできない。疑問は日に日に膨らんでいくのだった。

 振り出しの宇都宮支局時代、高校生連続爆弾事件にぶつかった。報道は、逮捕された少年5人を過激派予備軍と扱った。ところが裁判を傍聴すると、高校生たちの幼さが目につく。法廷で質問にも答えられない。彼らは、受験制度、大学区の輪切り選抜で落ちこぼされ、希望もしていない農業高校で3年間を過ごしていた。1人が学生運動と関係があったが、残りは「面白いことをやろう」という呼びかけに応じただけの構図が見えてきた。しかし、それを直接的に原稿にすると先輩やデスクと衝突する。先輩たちの「過激派」報道を否定することになるからだ。事件の背景として、栃木県の高校受験制度の問題を取り上げ、それと公判の様子を重ねて記事にした。冤罪とまではいえなくても、「過激派」の予断を持った捜査、それを鵜呑みにした報道は、誤った情報を伝え、市民にも重罰意識を植えつけかねなかった。山口さんは記者1年目から事件報道の重大性を身にしみて感じた。「事件記事は、最初は偏見、予断なしの小さな記事でいい。事実の追求は裁判で」と痛切に思ったと話す。

 こんな“取材感覚”だから事件ネタは抜かれっぱなし。1年目で「おまえ、サツ回り、やめろ」と事件記者失格の烙印を押され、遊軍に回る。75年、女性行員が巨額の金を横領して男に貢ぐ「足利銀行事件」が発生した。銀行周辺を取材していくと、事件の別の顔が見えてきた。銀行では、男性行員は2、3年で別の部署に移り、出世していくが、女性は同じ部署にずっととどまる。そうすると、彼女がその部署で一番実務に詳しくなり、巨額の横領を続けても誰も気づかない。「背景にシステム、人事差別の問題がある」。山口さんの視点は、そこへ向かう。さらに、銀行側が女性の入社時の身元保証人に賠償を求めているという情報をキャッチした。身元保証人といっても形式的なもの。連帯保証人ではない。それを田畑まで差し押さえようという話に、これはひどいと全国版の記事にした。銀行は謝罪会見を開き、賠償の話を撤回する。身元保証人は諦めの境地だっただけに、涙を流しながら山口さんに感謝の言葉を繰り返したという。山口さんは「記者は、いい仕事だと思った」と振り返った。

警察の見立てのまま

 77年、皇太子一家が栃木県の御料牧場に遊びに来る。現在の天皇である。「県版トップで書いてくれ」との支局長の指示を、とっさに断った。栃木県民にとって何のニュース価値もない。それでも取材せよとの会社の業務命令を拒否し、その理由書を書いた。山口さんは「天皇への敬語報道はすべきでない」が持論。戦争中、捨て石とされた沖縄、原爆被害に遭った広島、長崎、今も差別の中にある在日の人たちの中には天皇に許し難い感情を抱く人が少なくない。その人たちに敬語で記事を読ませる。「敬語報道の不適切さを、読まされる身になって考えるべきだ」と主張して社内で大問題になった。本当に、上から見れば使いにくい相手である。1年後、「処分」として突然の甲府支局異動が発令された。

 本社に移ってからも、天皇下血から「崩御報道」に至る88〜89年の「自粛強要」報道を憲法違反だと社内で批判してきた。天皇には敬語、被疑者は呼び捨て悪人視。福沢諭吉の言葉をもじって「ペンは人の上に人(天皇)をつくり、人の下に人(非人権対象である事件被疑者)をつくる」から新聞はダメなんだと確信する。

 安田好弘という弁護士がいる。オウム真理教事件、和歌山カレー事件、光市事件など死刑求刑事件の弁護を次々と引き受け、困難な裁判を受け持つ。山口さんは、80年に山梨県で起きた保育園児誘拐殺人事件でこの安田弁護士と知り合った。発生から約2週間後、被疑者は逮捕される。事業失敗による借金が200万円あった。警察の見立ては最初から殺す気でやった身代金目的の誘拐殺人。「自白」はそのストーリーに乗っていた。しかし、被疑者が3日間、幼児を連れ回している事実があった。いくつもの捜査ミスもある。山口さんは「当初からの殺意」に疑問を持ち、「もっと早く逮捕していれば」と警察を批判した。しかし、1審判決は死刑。2審からついた安田弁護士たちと一緒に現場を調査して、自白の矛盾が浮かび上がった。被告人は広場で子どもたちにソフトボールを教え、最後に1人残った園児の後をつけて誘拐したことになっていた。ところが、実際はいったん園児と別れ、その後、偶然再会したことが明らかになる。誘拐の犯意が起きたのは、かなり後。殺意も偶然だった。捜査ミスがなければ殺害前に保護できた可能性もある。安田さんたちの弁護で2審は無期懲役になった。犯人であることに間違いはなく、「自白」もしていても「事実」が違っていることがある。山口さんの得た教訓だった。

異様な拉致一色報道

 人権侵害をしない報道を目指して報道被害者の支援活動をしよう。浅野健一さん(現同志社大学教授)の『犯罪報道の犯罪』を契機に生まれた「人権と報道・連絡会」に85年の発足から参加するのも必然だったといえる。「犯人と書かれたら本人も家族も生きてはいけない。新聞の在り方を変えなくては」。その思いが出発点だ。「ロス疑惑」と呼ばれる三浦和義さんの一連の報道についても、拘置所に何度も面会して無実を確信し、報道批判を繰り返した。世間での印象はどうだろう。『疑惑の銃弾』に始まる圧倒的な犯人視報道でつくられたイメージは、陸山会事件で強制起訴された小沢一郎氏同様、ふてぶてしい男。逆転無罪判決が確定しても、それは変わらない。後に2008年、米ロサンゼルス市警の留置施設で「首つり自殺」をしたとされているが、その直前、サイパンで面会した山口さんは「三浦さんはロスの留置場で被疑者としての権利を要求してトラブルになり、殺されたのではないか」と疑っている。

 そんな「ロス疑惑」報道批判の報復人事が待っていた。1993年、生活情報部から情報調査部に異動。創刊以来の読売新聞のデータベース化の仕事に携わる。編集局を追われても「読売新聞記者」という肩書は継続していたが、それもついに剥奪される日がやってきた。2002年9月の日朝交渉、拉致一色報道の異様さを撃つ『週刊金曜日』の連載記事が、営業渉外職への異動命令に結びつく。「山口の金曜日記事をやめさせろ」という社外の圧力に屈し、会社幹部は言論の自由を放棄した。朝鮮民主主義人民共和国側が拉致を認めると、それ一色の報道で世論は沸騰し、思考は停止した。拉致はもちろん許すことのできない暴挙。朝鮮側は事実を隠さず全て表に出すべきだ。だが、同時に山口さんは考える。大手メディアの報道には、日本の植民地支配、戦後、朝鮮戦争後も続く朝鮮半島の緊張、それに日本が関わってきた歴史的観点がスッポリ抜けている。拉致一色報道で「従軍慰安婦」問題も強制連行も、ほとんど記事になっていない。報道は日本人の被害者意識をあおり、侵略と加害の過去をブッ飛ばしてしまった。朝鮮学校の子どもたちがチマチョゴリを着られないようなバッシングを受けるいわれはまったくない。にもかかわらず、少しでも朝鮮を擁護するように見える言動や記事は許されない、という空気が日本を覆った。

 営業渉外職の仕事は苦業だった。「いかに読売新聞はいい新聞か」をオンライン上で宣伝せよという。03年3月に異動して間もなく体調を崩し、極端な貧血で倒れた。山口さんは早期退職を決断、03年末にフリージャーナリストの道を選ぶ。「やめればいいんだと思ったら、体は正直なもので治った。24時間、自分のやりたい仕事に使える。給料は5分の1になったが……」と笑う山口さんは、もう二度と胃を切ることはないだろう。

社会的背景こそ探れ

 松本サリン事件は、まだ人の記憶に新しい。1994年6月、事件の被害者だった第一通報者の河野義行さんが「犯人」として報道された。山口さんは当時の各紙の見出しを紹介した。「調合『間違えた』救急隊に話す/以前から薬品に興味」などの初報から、続報の「より犯人らしい」報道を検証した。例えば「薬品を調合する器具を自宅から押収した」という記事で、持って回った表現の「器具」が「バケツ」であったりした。だが、これは笑い話にはならない。河野さんに宅に嫌がらせ電話や脅迫状が次々と届いた。報道陣を避けて裏口からしか入れない医者の姿がまた「犯人」のイメージを増幅する。週刊誌は「河野家の怪奇家系図」まで載せた。

 科学部の記者たちは、当初から「河野さんは犯人ではないのでは」と疑っていたはずだ。サリンは元々、ナチス・ドイツが開発した神経ガス。そう簡単に一個人が庭で作れるものではない。しかし警察情報を信じ込んだ報道は、それを疑わない読者のイラ立ちを被害者の河野さんにぶつけてしまう。それだけではない。翌年3月に起きた地下鉄サリン事件は、オウム真理教に目をつけていた警察の失態とも言える。犯行グループを突き止めていながら泳がせ、事件を起こさせてつぶす公安捜査の手法。そうなら一層、罪深い。メディアには、科学的裏付けもなく、1社だけ報道しない“特オチ”を恐れる横並び意識が支配していた。山口さんは誤報の原因と構造をそこに見る。

 河野さんがメディアの姿勢をただす報道検証を求め、各紙に1ページを費やした誤報検証記事が載った。これほどの検証記事の扱いは初めてだ。山口さんはそれを評価しながらも、自分が入社以来、疑問に思ってきた当然のことを書いただけの検証記事に不思議な思いも抱いた。当たり前の取材がなされていなかっただけではないか。しかし、その後、オウム事件報道で、メディアの自省はその場限りだったことを自己暴露する。神妙に見えた反省はすぐ、「大事件が起きると何を報道してもいい」に変容した。山口さんは「特オチ恐怖は官僚的発想。行くしかない、の心理で大々的に1面トップ。そこには人権侵害になるかもしれないという発想はない。自分たちの社内的立場を守るためでしかない」と指摘した。懸命に紙面を作っている側からすれば手厳しく聞こえても、歴史に堪える紙面かどうかの判断は第三者の目のほうが正しいかもしれない。

 そして強調する。「書くべきことは他にある」。過剰の一方での欠落。スウェーデンの匿名報道を現地で取材した体験を踏まえて、事件の社会的背景や意味を探る記事を山口さんは記者に求める。「壊憲」の時代だとひしひしと感じる昨今。9条の前に、まず改正手続きのハードルを下げる96条が狙われている。また、危機をあおるために中国、朝鮮を利用していないか。米軍再編の中で日本財界が求める自衛隊の自由な海外派兵の行く末は……。新聞を中心としたメディアが本気になって調査報道すべき事案はいくらでもある。翼賛報道のままでは「戦争ができる神の国」に戻ってしまう。還暦を過ぎても老眼がないという山口さんには、世の中の危険な動きがクッキリと浮かび上がっている。

*写真説明=「書くべきことは他にある」とメディアの報道姿勢を問う山口正紀さん(2012/12/1)

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*この記事は、『パトローネ』92号(2013年1月1日)より転載させていただきました。(編集部)


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