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LNJ Logo 木下昌明の映画批評〜松林要樹監督『相馬看花』
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●松林要樹監督『相馬看花』
記憶があぶりだす隠れた歴史――フクシマ「原発避難民」の日常

 3.11直後の福島の避難民はどんな日々を送っていたか。松林要樹監督の『相馬看花』はその一端を手にとるようにとらえ、時に噴き出すシーンもあって見応えがあった。

 松林は最初、救援物資を運ぶ友人のトラックに便乗して東京から南相馬市に入った。届け先に居合わせた田中京子市議と出会ったのが幸いした。彼女はおっとりしていながら活動的だった。その彼女の案内で津波に襲われた警戒区域を見て回った。空き巣被害に遭った家々もある。また避難民は高校の教室に身を寄せていて、彼らと親しく言葉を交わし、寝食を共にすることができた。自分たちは地震や津波でなく「原発避難民」だと嘆き、元市議の老人は「こんなことと分かってたら命がけで反対した。無知だった」と反省する。

 松林は行動力にとんでいて映画のトップシーンから驚かされる。あの大地震で揺れるやとっさに自分のアパートの3畳間にカメラを向け、ぶれないように撮っている。さすがドキュメンタリストだ。

 タイトルの「相馬看花」とは、中国の故事「走馬看花」――「走る馬から花を見る」に由来している。物事をうわべでしかみないという意味だそうだ。が、彼の場合、人々とふれ合うなかで「うわべ」の関係から次第にサブタイトルにある「第一部 奪われた土地の記憶」に迫っていく。何もかも失った人々には唯一の証しが写真となる。特に田中市議の古い結婚式の写真によって、昔の共同体での営みが喚起される。松林監督が原発以前の歴史を老人に尋ねると、「陸軍飛行場があったことが下地になって戦後、西武の堤康次郎が国から“ヤミ”で土地を買収して塩田事業をはじめた」と老人は語る。

 別のシーンでは、一人の老婆が若き日の塩づくり労働を身ぶりをまじえて話す。こうした記憶と体験を介してフクシマの隠れた歴史があぶり出される。そこにもこの映画の魅力がある。(木下昌明/『サンデー毎日』2012年6月10日号)

*映画は東京・オーディトリウム渋谷にて公開中。全国順次公開 (c)松林要樹

〔追記〕 映画のなかで、原発事故のために「相馬野馬追」の祭りが中止になったシーンや馬を使って田を耕すシーンなどが出てくる。監督は第二部で、この相馬の馬の伝統について撮ろうとしているらしい。わたしはふと、浦山桐郎の『わたしが棄てた女』という古い映画を思いだした。それは出世主義の青年が学生時代に「棄てた女」と再会して苦しむというものだった。実はその女は相馬の出身で元女工だった。老人ホームで、彼女が相馬の民謡を歌うシーンがある。すると、これまでモノクロ画面だった映画が「相馬野馬追」祭りのカラーの画面に一転するのだ。それは忘れがたいワンシーンであった。


Created by staff01. Last modified on 2012-06-04 16:49:20 Copyright: Default

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