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LNJ Logo 木下昌明の映画批評 : 映画 『ポエトリー アグネスの詩(うた)』
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●映画『ポエトリー アグネスの詩(うた)』
生きた言葉を求めて彷徨う姿が映し出す「韓国社会のいま」

 「詩は現実に対して何ができるか」――公開中の『ポエトリー アグネスの詩(うた)』でイ・チャンドン監督は問うている。

 これは現代の日本の詩人たちが抱いている思いとも重なる。詩集『眼の海』の辺見庸は、故郷の石巻が津波にさらわれた喪失感が大きく、「3・11以前にあった文化と言葉とこれからも同じであっていいのだろうか」と自問しつつ、いまだに出来合いの言葉に安住している人々に批判の目を向けている。映画は日本の現実とは必ずしも同じではないが、生きた詩の言葉を求めて彷徨(さまよ)う老女を介して韓国社会のいまを描いている。

 66歳のミジャは半身不随の老人をパートで介護しながら、中3の孫息子と2人で暮らしている。彼女は物忘れがひどく、病院でアルツハイマー病の初期と診断される。時に現実を見失いがちになる彼女は詩作に励もうと市民講座に通い、講師から「大事なのは見ることだ」と教わる。そこで彼女は木や花をじっと見ることから始める。カメラは彼女に寄りそって、なにげない風景を印象深く切りとっていく。それを観ていると、日常への愛おしさが湧いてくる。

 一方で、映画のトップシーンは川を流れてくる少女の遺体を映し、ミステリードラマの要素も帯びる。その無縁にみえた事件が、孫と絡んでいると知ってから、ミジャは彼女が詩作を通して求める「美しいもの」とは対極の見たくない醜い現実に巻きこまれていく。果たしてそこから詩は生まれるのか。

 イ・チャンドン監督には『オアシス』や『シークレット・サンシャイン』などの傑作がある。なかでも兵士だった主人公が、光州事件で誤って少女を射殺したことから人生を狂わせていく『ペパーミント・キャンディー』は忘れがたい1本だった。

 『ポエトリー』も一編の映像詩のように味わい深く、登場人物も魅力に富んでいる。特に彼女と老人の静かなセックスシーンは、そこに生の証しを求める「男」の一面を見るようで圧倒された。(木下昌明/『サンデー毎日』2012年2月12日号)

*東京・銀座テアトルシネマほかで公開中。


Created by staff01. Last modified on 2012-02-18 12:24:54 Copyright: Default

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