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「ムカつく」そして「吐く」〜「楜沢健さんと語るつどい」感想
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25日に開催された「楜沢健さんと語るつどい」の感想です。(佐々木有美)

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「楜沢健(くるみさわけん)さんと語るつどい 川柳は落書きであるー
鶴彬と川柳とプレカリアート文学」」(9月25日)に参加した。主催は、
詩と朗読「たきび」の会。楜沢さんは、早稲田大学非常勤講師で、レイ
バーネットのワーキングプア川柳を早くから評価し、新聞や著書『だから
鶴彬―抵抗する17文字』(春陽堂・写真)で紹介している。

「つどい」の副題は、「川柳は落書きである」とあるが、講演を終えて
残ったのは、「落書き」よりも、むしろ「ムカつく」だった。といって、
決して楜沢さんの話を聞いてムカついたわけではない。逆に大いに感心
したのだ。

川柳は、句を作ることを「吐く」という。この一種独特の生理的表現に、
川柳をはじめた当初、わたしはかなりとまどった。(最近はだいぶ慣れ
てはきたが。)自分の中に入り込んだ気持ちの悪いものを出す、拒絶で
きずに飲み込んだもの「吐く」行為を、楜沢さんは「最後の抵抗の方法」
だと言う。

一方、80年代からよく使われるようになったのが「ムカつく」というこ
とば。これを最初に使いはじめたのは女子中学生らしい。学校はがんじ
がらめの管理教育で、子どもたちは批判のことばを奪われ、同調と服従
のみを求められる。だから何にでも「ムカつく」を連発する。子どもだ
けではなくモノが言えない状況は大人も同じだ。

「ムカつく」そして「吐く」。いよいよ川柳の登場である。川柳には怒
りを表現し、定型(秩序)を打ち破る力があり、しかも人と人を結びつ
ける。付け加えれば、最終的には社会を変える力になるとわたしは信じ
る。ムカついたら吐けばいい。鶴彬もたぶんこれをくり返していたのだ。
思いだしたのは、自死したフクシマの人の句「原発で手足ちぎられ酪農
家」。この怒りと切実さはどうだろう。彼は自分が川柳を「吐いて」い
るとは考えなかったかもしれない。人間の叫びがまるごと川柳になって
しまったような気がする。

「教育の中に川柳を」と楜沢さんは語った。ワーキングプア川柳が、リ
ーマンショック、派遣切りを背景に2008年に登場したように、ひょっと
したら「君が代」強制の橋下府政の大阪で、「ムカつく」教員と子ども
たちが川柳を武器に闘うなんてことが起こったらどんなに痛快だろう。
「あぶない!橋下川柳」(レイバーネットTVが募集)がそのささやかな
先鞭となることを。

  「日の君」は「ドレイニナレヨ」という通知 (たま)

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Created by staff01. Last modified on 2011-09-27 10:59:55 Copyright: Default

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