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LNJ Logo 疋田教諭分限免職取消訴訟が結審〜法廷で「ジョニーカムバック」上映
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法廷で「ジョニーカムバック」上映!

 3月8日、疋田教諭分限免職取消訴訟(ジョニーカムバック裁判)の控訴審(第4回・結審)が東京高裁824号法廷で開かれた。(東京高裁第14民事部、設楽隆一裁判長)

 法廷には、50名の支援者が集まり、傍聴席は満席となった。

 今回は、法廷で疋田さんの解雇の不当性を暴いた映画「ジョニーカムバック」の一部が証拠として採用され、放映された。そこには、前回の裁判で証人採用を認められなかった疋田さんの二人の教えの声「僕は好きな先生だったので、(解雇が)ショックだった」「僕の証言が、地方裁判所や都教委に届かなかったのが残念です」「疋田先生は、難しいことをわかりやすく教えてくれた。」「毎回手書きのプリントを作って授業をした」があり、生徒から見た疋田さんの人柄、教員としての姿が生き生きと映し出されていた。

 映画の上映後の最終陳述でも、疋田さんは自分が教員生活で行ってきたことに解雇に値する過ちはないと以下のように力強く発言した。

「私は『生徒が心を開いて、質問や意見を言える学校現場づくり』と『生徒が発する質問や意見に対して、わかりやすく丁寧に解説し、更に自らの意見を堂々と伝えることができる』ように努力しています。このことを被告である都教委は『矯正しがたい性格』と表現していますが、明らかに間違いです。これは『性格』の問題ではなく、教育に取り組む『姿勢』です。そして、この『姿勢』こそが『教師の本懐』であり、生徒との将来にわたっての信頼関係につながると、私は心得ています。自分の子どもや孫たちの代に『疋田先生の教育を受けさせたい』と、毎回法廷の傍聴席には、かつての教え子や保護者や同僚が大勢来てくれています。」(疋田さんの最終陳述より抜粋)

この陳述に法廷に集まった支援者からは、大きな拍手が送られた。また、裁判後の集会では多くの参加者から「法廷で映像を見たのは初めて、よく伝わってきた」という感想が出された。

今回で控訴審は結審した。判決は6月30日である。ジョニーの闘いを映画「ジョニーカムバック」の上映などを通じてさらに広め、裁判勝利を勝ち取ろう。(湯本雅典)

法廷で上映した映像(5分・ダウンロードファイル)

・次回裁判(判決)6月30日(木)午後2時50分 東京高裁824号法廷
 東京メトロ日比谷線、丸の内線霞が関下車A1出口

・映画「ジョニーカムバック」上映会
3月29日(火)19時〜 500円(高校生以下無料)
 「今、学校はどうなってるの?」上映会&コンサート
 映画「学校を辞めます」を同時上映
 荒川区 ムーブ町屋(ハイビジョンルーム) 
筍娃魁檻械牽隠后檻沓沓僑
 東京メトロ千代田線 町屋、京成線 町屋 下車すぐ センター町屋4階
http://www.cbc-move.jp/access.html
・ジョニーの裁判については、詳しくは以下のサイトで
http://homepage3.nifty.com/bungenmenshoku/index.html
・映画「ジョニーカムバック」の予告編(3分)が見れます。たくさんの人に紹介してください。
http://www.youtube.com/watch?v=vZBjmDq2XPI

−−−最終意見陳述(疋田哲也)−−−−−−−−−

2011年3月8日(火)           原 告 最 終 本 人 陳 述

私は「生徒が心を開いて、質問や意見を言える学校現場づくり」と「生徒が発する質問や意見に対して、わかりやすく丁寧に解説し、更に自らの意見を堂々と伝えることができる」ように努力しています。このことを被告である都教委は「矯正しがたい性格」と表現していますが、明らかに間違いです。これは「性格」の問題ではなく、教育に取り組む「姿勢」です。そして、この「姿勢」こそが「教師の本懐」であり、生徒との将来にわたっての信頼関係につながると、私は心得ています。自分の子どもや孫たちの代に「疋田先生の教育を受けさせたい」と、毎回法廷の傍聴席には、かつての教え子や保護者や同僚が大勢来てくれています。

 私は、1980年に東京都に理科教諭として採用されました。はじめのうちの教科指導においては、教科書を頼りにノートにまとめていく授業方法を取りましたが、毎回教科書を忘れてくる生徒や、私語をしながら黒板に書いてある文字をノートにとっていくだけの生徒たちを見て、自らの力量のなさを感じました。そこで、生徒がいかに科学に関心をもって授業にとりくめるかをテーマに海外も含めてできる限りの教科書と専門書を調べ、学校で使用する教科書に沿った内容の中に生徒が関心を抱きそうな記事を組み込んだプリント(甲2号証)を作成し、それを元に生徒が教科書を紐解くとよくわかるような、そんな授業展開ができるようになっていきました。

また生活指導においては、22年間連続で学級担任を務め、できるかぎり自分のチャンネルを増やしながら、他の先生方が手を焼いているような生徒たちと心を通わせられるようになっていきました。また音楽やボランティア活動などを通じて保護者たちとも連携がとれるようになり、小平市立第五中学校在勤中の2001年と2002年には当時の古賀和之校長から「学校経営の一角を担ってほしい」と学年主任を2年連続で務めました。

 ところが、2003年10月3日に澤川菊雄校長から「2003年10月6日から2004年3月31日まで学校を離れて、資質向上を目的とする研修」(甲55証)を命ぜられました。澤川校長は同時に「10月4日のソフトテニス部の校内での指導」と「10月5日のソフトテニス部の大会の引率と監督」の出張命令も発しました。

 私は同時に出された、この3つの職務命令に従い、10月4日は学校で終日部活動の指導をし、10月5日は大会の引率と監督を終日務め、10月6日から小平市教育委員会に出勤しました。この研修期間では、10月14日と10月17日の2回、澤川校長から「研修をしないで校務をするようにという」職務命令(甲62証)を受けています。私はその職務命令に従いました。澤川校長によると「この命令を出した理由は、『保護者や生徒たちから、この校務は疋田先生がしてくれないと困ると強く懇願されたため』」でした。

 小平市教育委員会主催による研修の初日に大野指導主事は、私に 「この研修期間中に普段校務多忙でなかなか集中して学習できない内容を習得し、またいろいろな体験研修をして教育現場で活かしてほしい。」と言いました。

その言葉通り、研修内容は毎日午前午後とで異なる内容で、多種多様(甲8号証)で、しかも、それぞれについてその研修実践担当責任者が講師としてマン・ツー・マンでレクチャーしてくださるので、大変充実した研修が続きました。研修場所は、小平市教委以外に、当時目黒にあった東京都教職員研修センター、立川にあった多摩教職員研修センター、小平市立福祉センター、小平市立障害者センター、小平市立教育相談所、小平市立公民館、小平市立図書館等、いろいろなところで、体験研修をさせてもらえました。私が澤川校長宛に毎回書いて提出した報告書(甲27号証)の通り、すべて教育現場ですぐに使える内容ばかりで、私の心中は、早く学校に戻ってそれらを使いたいと思っていました。

12月2日には東京都教職員研修センターの鈴木統括指導主事から、 「あなたには、学校現場に戻ったら、学校の中核となって活躍してほしい。」(甲172証)と評価され、とてもうれしく思いました。

 12月中旬には、稲葉秀哉小平市教委理事から「この研修後はどこの学校かは未定ですが、必ず学校現場に戻ります。学校現場に戻ってから困らないようにしてください。」と言われ、研修内容に『授業の指導案つくり』等の実践的な内容が入ってきました。1月にはいると、多摩教職員研修センターの樋口統括指導主事からは「本当の意味での道徳教育を広めてほしい」、東京都教職員研修センターの信方統括指導主事からは「特別支援学校センターと普通学級との連携コーディネーターを是非やってほしい」と言われました。また、宇田統括指導主事は「あなたは、研修主任を何年も務め、また東京都教育委員会所属の研究団体の理事も務めている。この研修で更にいろいろな体験をされたので、スーパーティチャーになれます。学校に戻って、是非、先生方の校内研修で使ってください。」とご自分が作成した「こころの教育」OHPシート(甲220証)のデータを私にくださいました。

また何人かの統括指導主事の先生方から「4月からの教育現場に備えて体調を万全に整えてください。」と言われ、1月後半に「扁桃腺と咽頭下垂」削除の手術をしました。小平市教委でも、年間指導案つくりや授業つくりの研修内容が多くなりました。

ただ、この研修の中で未だに解せないことがひとつあります。これは小平市教委はもちろん、東京都教職員研修センターでも、多摩教職員研修センターでも、「服務」の関係の研修内容のときに、『分限』『分限処分』という言葉が出て、私がその意味を教えてもらおうと質問したときに、どの担当官も全く同じように、「この言葉の意味は研修する必要はありません。あなたのように力量があって実績を積んだ人には関係のないことですから。」と答えていたことでした。

ですから、あと研修完了まで1ヶ月あまりの時点の2月23日に、都庁に出張命令で呼び出され、『分限免職処分』を言い渡されたときは、一体何事が起こったのかと思い呆然としました。付き添ってくれた稲葉理事もかなり驚いて動揺されていたのか、その場で、私に「小平市の教育委員会に戻って研修を続ける」命令をしました。私はその命令に従いました。私が小平市教委で授業の指導案を作成する研修をしていると、稲葉理事は都庁から戻ってきて、「私どもが先生に課しているのは、あくまで教育現場に戻るための研修です。分限免職処分は、懲戒免職処分と違って、公務員の身分はまだ残っているので、引き続き研修を続けてください。」と言い、私はその命令に従って、その日はさらに指導案つくりの研修をしました。

また後日、稲葉理事は「どうやら専任教師としての身分は失ってしまったようなので、是非、講師登録をしてください。私どもはあなたに教師の適格性がないとは考えていません。」とまで言いました。

『分限』『分限処分』あるいは『分限免職処分』とは一体どういうもので、何を基準にしているのでしょうか。そして、そもそも、『分限処分』をする際に、どんな手続きがなされるべきなのでしょうか。後に自分なりに調べたところ、『分限免職』とは、公務員に対する「身分保障の限界」という意味であり、職務遂行上、支障ある職員を免職することで、個人の責任は問わず、身分を失わせることで公務全体の機能を維持することが目的だということが判りました。それを知って私はますます都教委が私にやったことが判らなくなりました。

少なくとも、今回の私に対する都教委の『分限免職処分』においては、杜撰であり、最低限の手続きすらされておらず、全く無効です。       以 上


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