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LNJ Logo レポート : 加須に移った双葉町の人たちの「今」
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レポート=江東拓美

福島原発事故で避難勧告を出された双葉町の人たちは、行政ごと埼玉県に集団避難しています。千人以上の住民が、三月いっぱいは埼玉中心部の「さいたまスーパーアリーナ」、四月からはさらに北上した加須市「旧騎西高校」に移動しました。新聞では、やれ「こいのぼりフェスティバル」だ、「お花見」だ、「力士が訪問」だと地元加須市民と双葉町の人たちとの交流を伝えていますが、肝心なことは何も表面に出てきていないと感じます。「アリーナは都会だから注目されてるけど、加須に移ったら、おれたちは日本中から忘 れられていくんだろう」と語った人がいます。その言葉が耳から離れず、加須市に移転した双葉町の人たちの「今」を追いました。

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避難所となった旧騎西高校は廃校だけあって地図には載っていないのですが、グラウンドのフェンスに「がんばれ福島 がんばれ日本」のドデカイ横断幕が張られていて、「ここだ」というのがすぐわかります。玄関には「取材お断り」の貼紙。そうはいっても所詮は校舎なので、中に入ることは自由にできました。

五階建ての校舎と体育館、武道場が避難者の居室になっていて、昇降口にはテレビが置かれ、マッサージ室などもあり、卓球に興じる若者の姿も。晴れた日曜。中庭では日向ぼっこをしたり、紫煙の中で世間話をする人たちがいて、「話を聞かせて」と近づいていくと暇を持て余しているのか、誰もが気さくに話をしてくれました。

●七十代 杖をついて腰掛けていた女性

一人暮らしです。一人でここに来ました。地震の翌日、とつぜん避難しろと言われ、バスで五、六ヶ所回りましたよ。人数制限で断られて・・どこに連れて行かれるのか、と。川又町、アリーナ、それからここ。いきなりだったから全財産を置いて。・・一時金百万円もらったくらいじゃ何もならない。

ここでは朝、晩はお弁当。昼はパンです。時々炊き出しも。今日はお相撲さんが慰問に来るってことで、チャンコ鍋が配られるみたいです。終戦時、食べ物がなかったころよりはずっとマシ。でも子どもたちはかわいそう。今まで豊かだったですものね。お風呂は、バスで迎えに来てくれて、スーパー銭湯にいきます。

二十年、三十年は戻れないって話も聞いてます。放射能、どっちに飛んでるの?どうしたら消えるのかしら。

●自営業(居酒屋)の女性

ここでの生活? アリーナと同じよ。こうしている時間がもったいない。たまたまここの近くに娘が住んいて、買い物に行こうと車で連れ出してくれたけど。ここでの暮らしは娘には見せたくなかった。最後まで来るなと抵抗したのよ。

部屋割りは適当に決められたの。九十過ぎのおバアちゃんなんか、上の方の階に入れられて、歩くのも大変なのにかわいそう。教室にはそれぞれ二十人くらい、体育館には百人。柔道場は畳の下に一枚の大きなマットが敷いてあるから、誰かが動くと皆が揺れるの。地震みたいよ。

行政ごと、福島県庁を通さず埼玉に移ってきちゃったから、福島からは、帰る場所はないぞと言われてる。せめて福島県内に避難してたらよかったんだけど。今の双葉町長はおとなしいから・・。補償のこととか、上に何も言わないでしょうね。

就職差別、ありますよ。「双葉町」って聞いただけで、いじめられたっていう人もいる。

●原発関連会社で働いていた男性

第一原発の爆発の瞬間を見たやつ、ここにいるよ。双葉病院や老人ホーム、避難しなかった人、三百人くらいいた。何でかって? 自衛隊機、七機要請したのに、三機しか来なかったから。こんなの報道しないでしょ

あんた、記者さん? ・・違うんだ。しゃべりたいこと、いっぱいあるけど、マスコミには言わねーよ。名前は出しませんっていうけど、俺がしゃべれば「ああ、あいつだ」って、町の人間にはすぐバレちゃう。狭い町だから。皆、くすぶってる。町長から、毎朝伝達会議がある。俺は「室長」だから参加するけど、今後の補償をどうするかとか、そういう会議じゃないんよ。「今日は何時から炊き出しがある」とか「今日はこういうボランティアが来る」とか、そういうハナシばかり。一応、室長だからさ。二十人の部屋のヒト達まとめるだけで、大変なのよ。

気晴らしに呑みに行ったりしないのかって? そんなの、できるわけないでしょ。被災者なのに酒呑むなんてトンデモナイ。埼玉のヒトに悪いでしょ。

●福島原発で働いた男性(62歳)

二十四歳から東電で働いた。三号機の建設からかかわって、そのあとメンテナンスとかもやった。五分でアラームが鳴った・・・。今の復旧作業みて、現場わかってる人間が修理しなくちゃと思う。・・俺はいかねーよ。頼まれたってもうやらない。作業着の洗濯もやったな。外部に付着した(放射能)は落ちるから。火力(発電)がいいよな。普通の格好でできる。

東電でうるおって、東電に裏切られたんよ。この町は。隣の浪江町みたいに、漁師やって東電から補償金もらって贅沢三昧したってわけじゃないもん。「漁業は補償するけど田畑はせず」って感じだったね。今回の爆発で放水したときの水が流れたってことで、飯館の補償はいいみたいだけど。この町(双葉町)は、何もないもン。

ここには、いつまでいられるって期限はないよ。ここ来て、腹が出たね。「食っちゃ寝」の生活だから。まるで養豚場だね。

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「身内を亡くした」とか「ガスも電気もない」とかそんな他の地域の被災者に比べたら、自分達はどれだけ幸せか・・と言います。そこには、相当のガマンを感じます。壊れた家屋、つぶれた工場・・・そんな中でも復興に向けて、頑張る人たちの姿がさかんに報道されていますが、それをみるたび、原発の放射能から逃れた人たちのことを思わずにはいられません。ふるさとに戻ることが当面できない彼らにとって、何が「復興」なのか、と。

自分で自分の生活を成り立たせ、切り開いていく意志を持ってる人々。スーパーアリーナに聞き取りに行ったとき、何もかも至れり尽くせりなのだけれど、本当は自分で自分の仕事を探したり、いろんなことをやっていきたいのだという、そんな声を聞きました。ヒトは、そういう存在なのです。ただ食べて、寒さをしのげればいいというわけではない。

何の説明もなしに、見知らぬ埼玉に集団移転させられて、当面はここで生きていくしかないけれど、これから先、どうやって生きていくのか。ふるさとが受け入れてくれるのか、今後の補償の問題、原発に対する(複雑な)思い・・・・。抑えきれるものではないはずです。

故郷らしきものを持たない私でさえ、「福島を、失っちゃいけない」という叫びに、心を打たれ、「福島県は嫌われ者になってしまったなあ」という言葉を、言わせてしまっていることを受け止めて、

いつかきっと、何かに結実させたい、させなければならないという気持ちで、「声」を集め続けようと思います。(2011年4月20日)


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