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LNJ Logo 松下プラズマディスプレイ偽装請負事件、最高裁弁論へ
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  松下PDP偽装請負裁判原告の吉岡です。
  最高裁弁論当日のタイムスケジュールなど皆様にお知らせいたします。
   
  ★11/27の当日スケジュール
  8:00〜 9:00 最高裁前、宣伝行動
  12:00〜13:50 ヒューマンチェーン、最高裁前行動
  14:00〜      整理券交付に並ぶ
  14:30       傍聴送り出し
  14:40〜15:50 最高裁前 行動。パフォーマンス
  15:50〜      口頭弁論報告集会(最高裁前)
  16:30〜      記者会見(東京地裁、司法記者クラブ)
  18:00〜      全国町村会館で集会

   
  ★11/27、最高裁口頭弁論の傍聴は午後2時から抽選に!
  午後2時から、整理券を交付、2時20分締切・抽選となります。傍聴席は48席です。
傍聴を希望される方は、2時までに最高裁南門に来てください。
「勝たせる会」は、昼12時から最高裁前でヒューマンチェーン行動を行っています。
抽選に外れた方でも傍聴が必要な方は、「勝たせる会」に相談してください。

   
  松下プラズマディスプレイ偽装請負事件訴訟
  原告 吉岡 力
  携帯:080-6146-9646
--------------------------------------
  以下、最高裁に提出済みの陳述書となります。

   
  以下、ブログでも同じ内容をUPしております。
  http://blog.livedoor.jp/fmwwewwmf/archives/51369420.html
  
★原告の陳述書
     
 
 ※口頭弁論で私が述べる内容はここに掲載した内容に基づいたものになりますが、5分と限られた
時間ですので、もちろん実際発言する内容は違った内容のものになります。最高裁で原告が口頭陳述
を行うのは異例中の異例と言われています。この間、この問題で必死に闘ってきた当事者として、ま
た同様の裁判で闘う仲間の思い
も込めて、陳述させていただく所存です。
  
陳 述 書
  2009年11月8日
  最高裁判所第二小法廷御中
  住所 ●●●●
  氏名 吉岡 力
   
  最高裁判所の裁判官の皆様に私がなぜパナソニックプラズマディスプレイの職場に戻ることにこだ
わっているのかを述べさせていただきます。
   
 
 私は2004年の1月から偽装請負会社パスコの従業員として、パナソニックの正社員の指揮命令の元、
パナソニックプラズマディスプレイ茨木工場で働き始めました。私が所属していた封着工程という部
門は、鉛や有機溶剤といった危険物を扱う部門でした。働き始めた当初、危険物を扱う業務をパナソ
ニックの従業員とパスコの従業
員で一緒にこなしてきました。しかし、2004年2月にパナソニック従業員であるA氏とB氏の鉛の特
殊健康診断で血中鉛の値に非常に危険な値が出たという事件があり、その日以来、鉛や有機溶剤とい
った危険物を扱う仕事から2人は外されることになりました。あの時にパナソニックの労働安全衛生
担当の従業員がA氏とB氏に言
った言葉は忘れる事ができません。
   
  「お前たち、もうこの仕事しなくてもいいからな。後は派遣の奴にやらしとけ」
   
  同じ業務をしていたパスコの従業員の私達には特殊健康診断はありませんでした。
  2004年のこの事件があって以来、鉛や有機溶剤を扱う仕事は2004年4月初旬まではCさんと私で行
い、2004年4月初旬にCさんが退社してからは1班ではほとんど私がこなしてきました。鉛や有機溶
剤を扱う仕事は、封着工程の中で一番重要な仕事で基幹業務でした。
   
 
 私が就いていた部門の仕事は、12時間15分拘束の夜勤を含む2勤2休の勤務でした。2勤2休の勤務で
すので、普通に考えれば1ヶ月に約15日の出勤という事になります。しかし、私には2004年3月20日に
同居していた父親を大動脈瘤破裂という形で急死で亡くし、その時に私一人で葬式費用を捻出し、有
り金をほとんど使い果たしてし
まっていたという事情がありました。父親が亡くなった後、今後の自分の将来のことを考え、大変悩
み苦しみましたが、有り金をほとんど使い果たしている自分には悩み苦しむ余裕もなかったのが現状
でした。「とにかく今自分はパナソニックプラズマディスプレイという職場で働いているんだ。ここ
の職場で一生懸命働いて自分の
人生を切り開いていくことが亡くなった父親に対する一番の恩返しになるのではないか」と無理矢理
自分の心に言い聞かせ、何度も何度も休日出勤を繰り返し、必死に仕事を覚えました。
  そうすると自然に仕事の方もたくさん覚えるようになり、働き始めた当初の2004年1月時点では現
場で本当に頼りなかった自分が、いつの間にかほぼ毎日のように2班と3班のパナソニックの班長から
何度でも休日出勤をして欲しいと言われるぐらいまでになりました。
   
 
 偽装請負問題は、実際は派遣という雇用形態であるにもかかわらず、契約だけ請負と装い、就業先
の従業員の指揮命令を受けながら働いているという違法行為とよく言われていますが、私の場合、働
き始めた当初は確かにパナソニックの従業員の指揮命令を受けて仕事に従事していたかもしれません
が、どんどんと仕事を覚えてい
く中で私がパナソニックの従業員に仕事のやり方を指導したり、教えたりしていたという事実もあっ
たということを裁判官の皆様には理解して欲しいと思います。
   
 
 私の場合は自分が従事していた封着工程という仕事の基幹業務を自分が担ってやっているという誇
りを持ちながら一生懸命働いている中で、一緒に働いていた従業員の方々と良好な人間関係を作って
きました。当時、1班の班長だったH班長から「いつも、ありがとう。吉岡ちゃんのおかげで現場は
持っていると思う」とか2班の
I総括班長からも「今日もきてくれたのか。よく頑張るなあ」とか言われたりもしていました。
   
  私は12時間15分拘束の夜勤を含む2勤2休という勤務体系で、休日出勤をたくさん行い、1ヶ月に少
なくとも22日は出勤していたはずです。2004年の7月には27日も出勤をして本当にがむしゃらに働い
てきました。
   
 
 ところが一生懸命作り上げてきた良好な人間関係が壊れてしまう日が来てしまいました。2005年3月
26日の日に,パナソニックのH班長から時給1350円のパスコから時給1200円のアクティスへ移籍しな
ければ辞めさせるぞと言われました。H班長はアクティスへの移籍にあたって、3月1日の日にはこち
らからも悪くならないように働
きかけておくからと私に言っておきながら、私に「文句を言っているのはお前だけだぞ」「このまま
だったら君は5月末までだ」などと散々な事を言いながら、移籍を迫ってきました。H班長は今まで
「吉岡ちゃんのおかげで現場は持っていると思う」と私の事を評価してくれていた方でした。なぜ、
仕事上で評価されていた私がこ
のような嘘をつかれ、その上、辞めさせられなければならないのでしょうか。なぜ、自分の父親が亡
くなった後、必死になって懸命に生きようとしている自分がこんな理不尽な形で社会から排除されな
いといけないのでしょうか。
   
 
 以下、H班長との2005年5月19日に交わした電話でのやり取りですが、どれだけ私が不誠実な対応を
されたかを理解していただけるのではないかと思います。また、この会話のやり取りを見ていただけ
れば、パスコの従業員を実質的に支配していたのが、パナソニックであるということや組織的にこの
ような違法行為を行っていたと
いうことを理解していただけると思います。
   
  (以下、電話でのやり取りをそのまま掲載)
   
 
 以下、H班長との2005年5月19日に交わした電話でのやり取りですが、どれだけ私が不誠実な対応を
されたかを理解していただけるのではないかと思います。また、この会話のやり取りを見ていただけ
れば、パスコの従業員を実質的に支配していたのが、パナソニックであるということや組織的にこの
ような違法行為を行っていたと
いうことを理解していただけると思います。
   
 
 パナソニックプラズマディスプレイは、今回の私との訴訟において私と他の従業員の間で軋轢があ
ったということを述べてきましたが、そもそも軋轢の原因を起こしたのはこのような引き抜きの斡旋
行為という違法行為を従業員に命令して行い、しかも嘘をついてきたパナソニックプラズマディスプ
レイという会社にあるのだとい
う認識を裁判所におかれましては強く持っていただきたいと思っております。
   
 
 以前まで「吉岡ちゃんのおかげで現場は持っていると思う」というねぎらいの言葉をかけてくれて
いたH班長の言葉を信じていた私は、思いもしなかった班長からの裏切りの言葉にショックを受けて
しまい、人間として崩壊しそうになりました。でも本当に崩壊してしまったら生活が出来なくなる私
は、自分の父親が亡くなった時
に「何か困ったことがあったら、私に相談して下さい」と声をかけてくれていた父の友人だった司法
書士の先生に藁をもすがる思いで「どうしても人間として許せないことがあるので話を聞いて欲しい
」と連絡を入れ、今回の訴訟でお世話になっている主任弁護士の村田浩治弁護士を紹介してもらいま
した。
   
 
 労働相談の中で村田弁護士から今回の引き抜きの斡旋行為の背景にパナソニックプラズマディスプ
レイが『偽装請負』という違法行為を行っている事実があるということを教えてもらいました。そし
て、吉岡さんだけでなく、多くの若い人達が『偽装請負』という、このような将来先行きが見えない
違法な働かせ方をさせられて苦
しんでいるという話を聞かせていただきました。また、労働相談の時に渡された資料の中に、今私の
事件と同様に最高裁判所で争われているニコン熊谷製作所偽装請負過労死事件の週刊東洋経済の記事
をいただき、亡くなった息子さんのために上段のり子さんという母親がこの問題で闘っているという
ことを知りました。この資料を
読ませていただき、正直私は大きなショックを受けました。私自身、パナソニックプラズマディスプ
レイに限らず、大和紙器、東芝家電製造、ユアサ電工、住友特殊金属、松下照明社(現・パナソニッ
クライティング社)と10年近く偽装請負状態で働いてきたということもあり、日本を代表するこれら
の大企業がこの間、自分だけで
なく、社会や世の中のことを全く知らない多くの若い人達をずっと騙し続けてきたという事実を知り
、誰かがこの問題で声を上げなければならないという思いになりました。そして、両親がおらず、何
のしがらみのない自分こそ声を上げるにふさわしいだろうという思いでパナソニックプラズマディス
プレイの偽装請負を2005年
 5月26日に大阪労働局に告発いたしました。
   
 
 大阪労働局の是正指導が行われる中で、パナソニックプラズマディスプレイは2005年7月14日に私に
対して直接雇用いたしますと通知しましたが、その内容は期間工というもので、私を事実上期限が来
たら解雇するというとんでもないものでした。後で知ったのですが、期間工就業規則は2005年8月1日
付で作成されています。何故、
この時点でありもしない期間工という就労条件を私に提示することができるのでしょうか。そもそも
、違法行為を行った企業が違法行為を告発した当事者に解雇予告をした契約書にサインをしなければ
、契約を結ばないというやり方はあまりにも社会正義に反した卑劣な行為ではないでしょうか。2005
年7月20日をもってパスコがデ
バイス工程から撤退するという理由で、私は自分が愛着を持って働き続けてきた封着工程から追い出
されました。そのため、生活のために仕方なくこの契約書にサインをせざるを得なくなりました。私
はこのパナソニックプラズマディスプレイの卑劣なやり方に対する対抗手段として代理人である大西
弁護士を通じて就業場所が変更
されている点と期間が限定されている点について納得ができませんでしたので、異議申し立ての内容
証明という形で抗議いたしましたが、裁判所におかれましては経営者より弱い立場に置かれている労
働者が強い立場にいる経営者に対して抵抗する手段はこういった形でするしかないということを認識
していただきたいと思っており
ます。
   
 
 今、この期間限定の直接雇用で雇い止めになるといった問題でパナソニックに限らず、多くの方々
が全国各地で訴訟を行っていますが、司法の最高機関である最高裁判所におかれましては、違法行為
を告発した者に対して違法行為を行ってきた企業が労働契約において、その労働者を短期間だけ雇っ
た上で雇い止めにしても良いな
どという社会正義に反した判断を下さぬよう、社会正義に則った判断を下していただけるよう、よろ
しくお願いいたします。
   
 
 さて、事件の経過の中で、パナソニックプラズマディスプレイは私を2005年8月22日に直接雇用しま
したが、まるで見せしめだと言わんばかりに広い資材置き場にテントを一つだけ設置して私を隔離し
た上に、私の実質の上司であったI総括班長が「あってもなくてもいいようなどうでもいい仕事だか
ら適当にやっといて」というよ
うな仕事を与えるという嫌がらせを私に仕掛けてきました。この資材置き場は産業廃棄物を廃棄する
ドラム缶が置かれており、ものすごく強烈な異臭がする部屋でもありました。愛着があった封着工程
から排除され、このような場所で一人で働かされる精神的苦痛は筆舌にしがたいものがありました。
そもそも、私はH班長に
 2005年4月27日時点で「吉岡には封着工程で残って欲しいから」とまで言われているのに何故、リペ
ア作業という誰も従事したことのない、誰がどう考えても偽装請負を告発したことに対する報復とし
か思えない仕事にたった一人で就かされないといけなかったのでしょうか。それだけでなく、朝会に
は参加させない、社内報は渡さ
ない、掲示板を見ていたらひっくり返す、本当に筆舌にしがたい嫌がらせを散々した挙げ句、私を
2006年1月31日で解雇したというのが、この事件の経過なのです。
   
 
 テントに隔離され続けてきた約5ヶ月の間、今まで普通に「おはようございます」と挨拶していた仲
の良かったパナソニックの従業員が全く挨拶もしなくなったりもしましたが、その様子は何かに怯え
ているようでもあり、目で「本当に申し訳ない」と自分に訴え続けていました。こういった一つ一つ
のことが人間としてどれだけ辛
いものかわかっていただけるでしょうか。
   
  テントに隔離したことは、もちろん私に対する人権侵害行為ということもありますが、パナソニッ
クの職場で働いている全ての従業員に対する人権侵害行為でもあります。
  私はただ、元の職場に戻り、これらの人権侵害行為を受けてきたパナソニックの従業員の皆さんに
「ようやく職場に戻れることができました」という一言が言いたいのです。そうしなければ、私だけ
でなく、パナソニックの職場で私と一緒に働いてきた従業員は精神的に救われないのではないでしょ
うか。
   
 
 最高裁判所の皆様に最後に言わせていただきます。私は父親を急死で亡くした後、必死になって働
き、必死に生きようとしました。だから、私は今回のパナソニックプラズマディスプレイとの地位確
認を求める訴訟においても命懸けで闘わせていただいております。必死に生きようとしている人間を
否定する社会は間違った社会で
す。私が雇い止めになって、もう4年になろうとしています。どうか最高裁判所の裁判官のみなさま
には社会正義に則った公正な判決を下していただけますよう、よろしくお願いいたします。
   
   以上のとおり、陳述いたします。
   
   
   
  松下プラズマディスプレイ偽装請負事件訴訟
  原告 吉岡 力

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