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LNJ Logo 木下昌明の映画批評「シリアの花嫁」
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●映画「シリアの花嫁」
愛は確かに「国境」をも超える だがなぜそこに線があるのか

 南の国にも北の国にも行けずに、国境線をまたぎながら逃げていくチャップリンの「 偽牧師」という短編がある。どこにも安住の地がないからだ。そんなシーンを思い起こ させた映画が公開される。

 イスラエルの監督エラン・リクリスの「シリアの花嫁」だ。シリア人同士が結婚する 一日の出来事を描いたものだが、この結婚がやっかいなのは、花嫁の住む地域と花婿の 住む地域の往来がイスラエルの軍事境界線によって妨げられていることである。

 トップシーンに出てくるゴラン高原は、その風光明媚さとは裏腹に1967年の第三 次中東戦争でイスラエルに占領された。シリアの領土だったイスラム教ドゥルーズ派の 村が分断され、村人は「無国籍者」となった。一度シリア側に渡った者は二度と戻れな い。それなのに、村のハメッド一家の娘がシリアに住む親戚のテレビ俳優の元へ嫁ぐと いう。結婚が同時に家族との永遠の別れとなるのだ。

 映画の半ば、地雷原の境界線を挟んだ丘から、離れ離れの家族がハンドマイクで互い に呼び合うシーンがある。そこに占領下に生きる人々の日常が垣間見られる。ハメッド 一家は実に複雑だ。民族主義者で投獄されていた父、その父に反発してロシアに渡って 結婚していた兄、子どもの成長を機に夫の反対を押し切って大学へ行こうとする姉など 、「結婚」を介して再会した一家の葛藤も描かれている。

 ヒロインの姉役のヒアム・アッバスはイスラエル生まれのパレスチナ人。「パラダイ ス・ナウ」では自爆テロの青年の母を演じ、国境を超えて活躍する女優として有名だ。  かつて最も迫害されたユダヤ人が、国家を持ったことで周辺国への酷薄非道な迫害者 に転じた。そんななかで、理不尽な国家のあり方を問う映画づくりに励むイスラエルの 映画人がいることも事実なのだ。

 はたして花嫁は境界線を越えられたか? (木下昌明/「サンデー毎日」09年2月22日号)

*映画「シリアの花嫁」は、東京・神田神保町の岩波ホールで2月21日から公開


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