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LNJ Logo 1950年代の労働者文化を再発見する―下丸子文化集団のサークル運動
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東京の大田区は都内のなかでも町工場が多いところとして有名だ。だが、そこでサー クル運動が盛んだった、ということはあまり知られていない。1950年代の東京南部( 大田・品川・港区)では文化サークル運動が盛んで、町工場ではたらく若者たちが詩 を書き、皆とうたをうたい、芝居を自主制作していた、という。当時、南部には200 を超えるサークルがあったというが、そこから「原爆を許すまじ」などのうたが生ま れていった。このたび大田区を中心に活動した「下丸子文化集団」のサークル誌が不 二出版から復刻出版されたことを記念して地元・大田区で催しがあった。

「東京南部の青春 ――いま甦る1950年代サークル運動の世界」と題し11月23日13時 半より大田区・嶺町集会室でひらかれた集会は、森美音子氏(劇団「野戦の月」)の 詩朗読、成田龍一氏(日本女子大学教授)が基調講演。その後当時活動された方々を メインにシンポジウムをおこなった。主催は東京南部 サークル研究会。

シンポでは浜賀知彦(文学史家、東京南部サークル誌を研究)、白石嘉治(大学非常 勤講師、文学研究・現代思想)、丸山照雄(僧侶、元下丸子文化集団)、浅田石二( 詩人、元下丸子文化集団、『原爆を許すまじ』作詞者)、望月新三郎(作家、元下丸 子文化集団、「民話の語り 九条の会」代表)、山室達夫(元南部文学集団)の各氏 が発言した。

成田氏(写真)は、「地域、今日の問題、資料の意味がどのように今後継承されるか考えてみ たい」と提起し、「東京南部の町工場という職住接近のなかで、地域の一体感があり、 政治や生活や労働についていかに生きるべきか? と詩や文章に表現していった。そ れが当時の若者たちの文化的いとなみとして地域で花開いたことが重要だ。今これが 注目された意味を考えたい。70年代にも市民運動・住民運動を通してサークル運動に 陽が当たり、さらに冷戦崩壊後の左右の対立が無効になった時代に参照する意味があ る。また歴史学の資料のうえからも社会を変えていこうという、民衆と階級の関係を もう一度とらえる手がかりとして、戦後史の描き方を変えることになるだろう」と語っ た。

シンポでは浜賀氏が運動資料が残らないと何もなかったことになる、として資料保存 の活動を報告し、白石氏はこれはパンとバラを求める運動だったのだ、と発言した。 飛び入りで画家の桂川寛氏が参加し、安部公房の「世紀の会」たちと大衆のなかで活 動しようと下丸子に飛び込んだ話などを証言。

丸山氏は当時の仲間は地方出身者が多く田舎があったのが共通基盤かもしれない、文 化の共鳴版というものがつくれたが、今はそれがないと語り、浅田氏は、当時はなに も情報がないので、サークルの仲間たちと思想をつくっていくしかなかった、と話し た。

望月氏は戦後占領下に松川事件、下山、三鷹などの事件が起きた。当時は手紙を検閲 され弾圧された。またそういう時代がこないとも限らない、と反戦運動について話し、 山村氏は当時のサークル内で文学と政治のせめぎあい、文学と政治の統一的表現につ いての議論を紹介した。

会場の一角には当時のガリ版刷りの印刷物(写真上)や冊子が展示されていた。質疑ではアメリ カの研究者や韓国からの方も発言した。当時のサークル運動に関わっていた方もそれ ぞれ発言し、全体で80名が参加した。

シンポで発言された方たちは、今でも文学同人誌や九条の会などの活動をしていて意 気軒昂であり、「食うもんが無くて大変だった筈だが、楽しかった思い出しかない」 と当時を回想してにこやかに話される姿は感動的であった。読み手と書き手が近く、 相互に共鳴しつつ創出されるのが、労働者の文化であり運動なのだろう。当時のガリ 版印刷の独特の手書き文字を見ていると彼らの熱い想いが伝わってくる。

サークル運動については地域の小集団というか、たまり場のような居場所をつくる一 時期の大衆運動という程度の認識で、三浦つとむ氏の『大衆組織の理論』でのサーク ル運動の組織論や大田区在住の旋盤工で作家の小関智弘氏の著作で触れられているこ とぐらいしか知らなかった。今回のシンポジウムに参加して、そこには濃密で豊かな 人間の交流や知性のきらめきががあったことがリアルに実感できた。(安齋徹雄)


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