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LNJ Logo 追悼・土本監督〜一杯やりながら聞いてみたかった(港健二郎)
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土本監督の逝去。
とてもショック
土本氏の、『映画は、生きものの仕事である』は、
私の座右の書です。

でも、その一面で、1960年以降の「革命路線」
論争で、土本氏は、松本俊夫、松川八洲男氏らと
ともに、記録映画作家協会を割って出て、別組織
を結成したのも歴史的事実です。
その後、破産した「映像芸術の会」

その件については、松川氏には、生前、お話しを
伺うことができましたが、土本氏に関しては、永遠
にかなわぬ夢となりました。

党派的なうんぬん、かんぬんは別としても、

記録映画史の歴史の証人が、また、一人・・・・

土本さんには、ぜひ、記録家映画作家協会の分裂
の経緯を聞いておきたかったんです。

だって、土本典昭という作家は、いつも、「革新的」で
「進歩的」で、弱者の味方のスターだったですから。

その土本氏が、なぜ、あの三池・安保の時代の
後、日本共産党と距離を置いたのか?
なぜ、「おれがおれが」の松本俊夫らに賛同し
たのか?

日本共産党の50年問題。
山村工作隊。
そこに、挺身した土本氏の痛みは、どれほどのものか?

いわゆる、挫折組としての、それを「売り物」として、権力側に身売りしていく輩への反発が、土本典昭をして、「水俣」へと向かわせたのではかろうか???

そんなことどもを、一杯やりながら、後輩の特権で、深く、
率直にお聞きしたかった・・・・


私は、自分の創作活動への検証もふくめて、
あの1960年直後に、記録映画の分野で
果たした松本俊夫、黒木和男、土本典昭氏らの
作家性にこだわって生きてきました。

私は、1972年に、記録映画作家協会に参加
していますのでね・・・・
世のを変えることの厳しさを十二分に自覚し
長年付き合い結衣をかわした女性を振り切って
の参加でした、

だって・・・・
三井三池争議を、小学6年から、中学一年に
かけて体験した私としては、そうしたものしか
作家的な「売り物」はないのですから。

みっともないですよね(涙)

だから、城戸賞の応募作には、自分のことを
書くしかありませんでした。

『よみがえれ 歌!』

結果、1998年の城戸賞準入選。
前年は、大森一樹らが入選しています。
三池争議が貴重低音で流れています、

後に続く世代としては、いずれにしても、
社会と己の距離感の取り方は、「深刻な
問題」「だったのです。

余談です。

私が、以前、在籍したプロダクションで、
私の助監督についてくれたのが、土本
さんの甥子さんでした。

だれもが知っているK建設の子会社の
映画社で、おじさんに似て?八方破れ???
どうどう・・・って、いなすのが大変でした。

そう。Kです。

今、どうしてるかな・・・?


土本さん。

やすらかに、おやすみ下さい。

合掌!!!


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HN:「みなけん監督」

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