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「リヨンの虐殺者」の映画が公開
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坂井貴司です。
 
 第2次世界大戦後、ユダヤ人大虐殺などの罪で、多くのナチスドイツの軍人や
親衛隊(SS)の隊員たちが戦犯として訴追されました。その内かなりの者が国
外に逃亡しました。ラテンアメリカ・カリブ海諸国に逃れた者もいました。アル
ゼンチンに逃亡し、イスラエルの情報機関「モサド」に逮捕され、処刑された
「紙の上の虐殺者」アドルフ・アイヒマン、パラグアイ・ブラジルへうまく逃れ
天寿を全うした「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレなどが有名です。
 
 その戦犯の中で、特異な人物がいます。国外に逃れたナチスの戦犯たちの多く
は、ひたすら隠れたのに対して、彼は、戦後アメリカ軍陸軍情報部(CIC)の
工作員となってヨーロッパ各地で活躍し、後に南米ボリビアに移住して、同国の
政治に深く関わりました。その人物とは「リヨンの虐殺者」と呼ばれたクラウス
・バルビーです。第2次世界大戦中、ドイツの占領下にあったフランス・リヨン
市を中心に、彼は情け容赦ないユダヤ人やレジスタンス狩りを行い、多くの人々
を残酷なやり方で殺した親衛隊保安部員(SD)でした。その彼を描いた映画が、
7月より公開されます。
 
 「敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生」
 ケヴィン・マクドナルド監督作品
 http://www.teki-tomo.jp/
 
 フランスのユダヤ人を絶滅収容所に送り、レジスタンス掃討作戦を行って、多
くにフランス人を処刑したバルビーは、戦犯として裁かれるはずでした。しかし、
彼の「有能ぶり」に目をつけたアメリカ陸軍は、彼を戦犯ではなくスパイとして
雇い入れ、対ソビエト工作に当たらせました。それがばれそうになると、バチカ
ン(ローマ法王庁)の助けを得て、南米ボリビアに逃しました。バルビーはそこ
で、クーデターで権力を握ったレネ・バリエントスやウーゴ・バンセルと結びつ
き、武器の輸入や、左翼運動弾圧、右翼テロ組織結成などで暗躍しました。チェ
・ゲバラ殺害にも関わったとも言われています。しかし、1983年彼はボリビ
アから追放され、フランスで裁判にかけれ、終身刑を宣告されました。1991
年、彼は獄死しました。
 
 この映画は米ソ冷戦をうまく利用して生き延びたバルビーを描くと同時に、有
能ならばナチスの戦犯でも利用するアメリカや、ナチスと深いつながりがあった
ローマ法王庁の姿も描いています。
 
 なお、インターネット新聞JANJANに解説記事が掲載されています。
 
映画の森

「敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生」
http://www.cinema.janjan.jp/0805/0805247835/1.php


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