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LNJ Logo 葛西敬之証人の正体見たり!〜1047名を路頭に迷わせたのは裏切りと保身の男だった
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お待たせしました。黒鉄好@安全問題研究会です。
以下、「葛西尋問傍聴記」です。
なお、以下の文中〔 〕内は、前後の文脈等から筆者が補った部分です。

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2008年6月2日、鉄建公団訴訟控訴審は東京高裁での葛西敬之・JR東海会長の証人尋問の日を
迎えた。
誰がどう考えても、21年間闘ってきた国鉄闘争の雌雄を決する一大決戦、解決の水準を永久に規定
するであろう最後の死闘になることは明らかな葛西尋問。さすがの私も、興奮で前夜はあまり眠れな
かった。

午前11時前、原告らが宣伝行動中の裁判所前に到着、合流。私にとってほぼ2年ぶりの傍聴参加。
裁判所の構内に入ると、2年前と違うのは「知財高裁」ができていたことだろうか。

午後1時前、報道関係者、JR東海関係者用の割り当てを除くとわずか42席の傍聴席を巡って32
3人が並ぶ。当選率13%、競争率6倍の難関の中、傍聴券を引き当てる。私は日頃から非科学的な
ことは信じないが、この競争率で引き当てたことに、この日ばかりは国鉄闘争との運命的結び付きを
感じた。

午後1時20分過ぎ、法廷内。すでに席は後方しか空いていない。空席の中で最も前の席に座る。1
時28分、報道向けテレビ撮影。この日は日本テレビのカメラが開廷前の法廷内の様子を捉える。

午後1時30分、廷吏に守られ葛西証人が入廷、証人席に着く。廷吏が原告名、被告名を読み上げ開
廷を告げた。「被告、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構!」廷内に緊張が走るのがわか
った。

葛西証人が宣誓する。「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、また何事も付け加えないことを誓
います。葛西敬之」
国会の証人喚問の際に証人が行う宣誓と全く同じ内容である。国会では、この誓いに反した証人が過
去、何人も告発されてきた。

廷内には物音ひとつしない。咳払いさえ聞こえない。すべての当事者、傍聴者が、葛西証人の発する
一語一句さえ聞き漏らすまいと耳を澄ましている。水を打ったような静寂の中で、21年間の国鉄闘
争の行方を間違いなく決めるであろう最後の死闘が今、幕を開ける。

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加藤晋介・主任弁護士(以下加藤)これから、あなたが書いた「未完の国鉄改革」「国鉄改革の真実
」を取り上げる。証人の経歴書の内容に間違いはないか。
葛西敬之証人(以下葛西)課長補佐時代が抜け落ちているが、概ね間違いなく、了承する。
加藤 あなたの本に書かれていることは真実か。
葛西 真実である。事実関係でない部分は私が確信したことを書いている。

加藤 国鉄内の第二臨調担当は誰だったのか。
葛西 私と、上司である文書課長だ。
加藤 国鉄が、第二臨調の対象として挙がったのはいつと認識するか。
葛西 昭和56〔1981〕年10月以降と認識する。
加藤 当時、あなたたち改革派と国鉄主流派との認識の相違はあったのか。
葛西 私たちは、当時の国鉄が出した経営改善計画ではダメだとの認識を持っていた。
加藤 それは主流派とは違うのか。
葛西 主流派の中にも、私たちと同じ考えを持つ者もいた。
加藤 あなたは1981年に瀬島龍三を訪問したか。
葛西 会っている。時期は7月頃だったと思う。
加藤 加藤寛とは会ったか。
葛西 会っている。
加藤 〔国鉄改革に向けた〕勉強会はやっていたのか。
葛西 少人数でやっていた。改革派〔のメンバー〕とは違うものだ。
加藤 その結論は国鉄の6分割だったのか。
葛西 分割しかないというのが〔勉強会の〕結論だった。現在の6分割の枠組みが最良、とするもの
だった。
加藤 その結論を瀬島龍三に報告したのか。
葛西 報告した。

加藤 次に自民党の国鉄再建に関する小委員会〔通称「三塚委員会」、1982年2月9日発足〕と
の関係に移る。三塚委員会との関係はどのようなものか。
葛西 56〔1981〕年末に三塚さんと接点を持った。私は国鉄の職場規律の乱れが最大の問題だ
という認識を持っており、国鉄内のそうした状況説明を行った。
加藤 三塚委員会からあなたに資料要求などはあったか。
葛西 〔資料要求は〕私にではなく、国鉄にあったものと認識している。
加藤 当時、国鉄職員局作成の資料が鉄労経由でマスコミに流れたが、あなたが流したのか。
葛西 私は流していない。当時は職員局にいなかったので、そんな権限はなかった。
加藤 三塚委員会との関係はその後も維持したのか。
葛西 接触はその後も続けた。
加藤 加藤寛との勉強会は?
葛西 続けていた。
加藤 国鉄再建監理委員会はあなたの思惑通りに動いたか。
葛西 そのような認識は持っていなかったが、結果として国鉄の再建が成るなら喜ばしいと思ってい
た。

自民党、財界、国鉄内部の「改革派将校」たちが綿密に連携し、連絡を取り合いながら「クーデター
計画」を練り上げていった経過がひとつ、またひとつと明らかにされる。しかし、それは葛西証人の
著書ですでに明らかにされているもので、新鮮味があるわけではない。
加藤弁護士の質問は、本題の不当労働行為と「強権的労務対策」に移る。

加藤 1982年、あなたが行った職場規律の確保策は。
葛西 新規採用の停止、現場協議制の廃止、悪慣行の是正だ。
加藤 現場協議制廃止の時期は。
葛西 はっきり覚えていないが、57〔1982〕年度中であることは確かだ。
加藤 現場協議制を廃止した理由は。
葛西 現場協議制こそが職場規律紊乱(びんらん)の元凶であり、職制を麻痺させるものであり、安
全・安定輸送の障害となるものであり、生産性を低下させるものと認識していたからだ。
加藤 時間内入浴をなぜ禁止したのか。
葛西 それこそが職場規律の乱れの典型だと考えたから廃止した。
加藤 雇用安定協約はどうしたのか。
葛西 雇用安定協約は廃止した。そのことで合理化が進んだ。
加藤 〔雇用安定協約の廃止で〕組合との関係は変わったか。
葛西 56〔1981〕年までは、他の組合は待たせておき、その間に国労にまず提示、妥結できる
水準まで落としてから他の組合に持って行くというスタイルだった。57〔1982〕年以降は各組
合に同時に提示し、同じように交渉するスタイルに変わった。
加藤 合理化については組合と交渉しないという姿勢だったのか。
葛西 管理運営事項については〔経営側の専管事項であり、労使交渉の議題ではないという考えから
〕事前協議がすなわち交渉という考えだった。交渉事項はできるだけ広く解釈し、事前に誠心誠意説
明するが、合意が得られなくても、ある時期が来たら実施するという姿勢だった。
加藤 あなたは当時、『汎交通』誌に「人間の数は経営者が決める」と書いているが、これ〔=従業
員数は経営の専管事項〕があなたの哲学なのか。
葛西 生産計画は経営事項であり、組合との合意は要らない。
加藤 組合の言い分など聞かなくていいと?
葛西 国鉄改革は国策だった。それしか方法がなかったと思う。
加藤 そうはいっても、当時、あなた方改革派は国鉄内の主流派ではなかったはずだが?
葛西 私は主流だと信じていたが、そういう言い方もできるかもしれない。

「経営者の義務はただ説明することのみ、あとは黙って言うことを聞け」が葛西哲学だと自説を開陳
。なるほど、みずからが支配するJR東海では、この姿勢は今日に至るまで首尾一貫している。

加藤 〔1985年6月の〕仁杉国鉄総裁更迭後に国鉄改革の体制が固まったのか。
葛西 その体制が固まったのは86年7月だと思っている。
加藤 仁杉総裁更迭まで、国鉄内では国鉄分割民営化反対が多数だったのか。
葛西 そう考えて間違いない。
加藤 だとすれば、国鉄当局さえ反対していた分割民営化に国労が反対でもおかしいことではないと
思うが。
葛西 当時、私たち以外はみんな反対だった。
加藤 両本部連絡会〔国鉄内に設置された「再建推進実施本部」「余剰人員対策推進本部」の2つの
本部間の意思疎通を図るための連絡会。国鉄内のいわゆるインフォーマルグループ〕の役割が重要だ
ったのか。
葛西 総裁をサポートする組織だった。
加藤 1985年6月から分割民営化に向けた準備が始まったのか。
葛西 62〔1987〕年4月1日までに分割民営化を行うという政府の方針に合わせて準備をした

加藤 組合は無視したのか。
葛西 無視はしていない。説明、説得は誠心誠意行った。
加藤 リボン、ワッペン着用などの反対闘争に対しては?
葛西 処分を行った。
加藤 反対行動は処分する姿勢だったのか。
葛西 反対だから処分したのではない。規律違反だから処分をしただけだ。
加藤 労使共同宣言を締結することは分割民営化に賛成することという認識だったのか。
葛西 国鉄改革に協力的でない者と労使共同宣言を結ぶことは適切でないという考えだった。その意
味では〔締結が〕分割民営への1歩だということだ。
加藤 国鉄改革に反対する者は改革に協力できないとわかっていてそうしたのか。
葛西 誤った方針を組合はいつでも転換できる。
加藤 国鉄改革反対は「誤った方針」だと思っていたのか。

この質問に、葛西証人は「もちろんです」と答えた。彼の思想を余すところなく凝縮した6文字。こ
れこそ1047名を路頭に迷わせた悪魔の思想である。

加藤 当局が密かに行った新会社への人事希望アンケートはなぜ行ったのか。
葛西 「組合が反対する限り分割民営化が進まない」という状況を作らないために行った。実施は各
組合平等だった。
加藤 人活センターについて伺う。人活センターは国労を放り込むためのものだったのではないか。
葛西 国労を多く入れたというのは間違っている。
加藤 これらのことをやれば国労がつぶれるという認識は持っていたのか。
葛西 持っていない。
加藤 あなたの本に、国労は雪崩を打って崩れると瀬島龍三が言った、とあるが。
葛西 あくまで国鉄内部での責任は職員局にあった。本の中の言葉は瀬島さんが個人としての考えを
言ったまでであり、エピソード的なものと認識している。
加藤 国鉄改革法23条の枠組みをあなたに助言した人物について、あなたの本「真実」には『法務
課の法律専門家』とあるが、これは誰か。

「現・高松高裁長官の江見さんです」。葛西証人はあっさりと答えた。彼が当時、裁判所を退官して
国鉄にいた、とも付け加えた。
確かにそれは周知の事実ではある。だが、葛西証人にとって江見弘武氏は国鉄改革という「宮廷革命
と啓蒙運動」を共に闘った戦友ではなかったか。その戦友を、自己保身のためにいともたやすく葛西
証人は売り渡した。「幾多の試練を共に乗り越えた同志」を庇って少しは男気を見せるかと思っただ
けに意外でもあった。
同時に葛西証人に対して私が決定的に失望した瞬間だった。「大国労」をつぶしたのは所詮この程度
の男だったのだ!

加藤 判事のアドバイスなのだから負けないという自信があったのか。
葛西 〔国鉄改革法は〕法律として制定されているし、〔23条の〕論理構成は、国鉄にとって温か
いものになっていた。

この発言に、傍聴席から失笑が起きた。法廷内を覆っていた葛西証人の偶像が“同志売り渡し”で崩
壊したかのようだ。

加藤 あなたは国鉄改革法23条を作るに当たり、法的影響を当然、検討したでしょう? 新会社を
希望しなかった国鉄職員はどうなるのか。
葛西 〔国鉄職員は全員、新会社に〕新規採用だから、希望しなければ清算事業団で雇用対策を受け
ることになる。
加藤 新会社の採用基準は新会社設立委員会が決めたが、その設立委員会の委員長は誰か。
葛西 斎藤英四郎さん〔元新日鐵会長〕だった。
加藤 井手〔正敬総裁室長(当時)。後のJR西日本社長〕さんと2人で斎藤氏に会ったか。
葛西 会ったが、JR新会社のトップ人事の話だった。採用基準について話をした覚えはない。
加藤 あなたの本「真実」に、労使共同宣言を国労は飲めないと書いているが、そういう認識だった
のか。
葛西 時代はどんどん進んでいる。国労がそれを乗り越えなければならなかった。

加藤弁護士の尋問はいったん終了し、ここから清水建夫弁護士に交代。

清水 国鉄を分割しない経営改善計画は当時、閣議決定されていた。〔それにもかかわらず、分割民
営化を前提に準備を進めていた国鉄幹部に〕国策は変わりうるとの認識はなかったのか。
葛西 国策というのは滅多に変わらない。ただ、ある瞬間に突然変わりうるとは思っていた。
清水 『労働情報』によれば、58〔1983〕年以降、国労のストは地上勤務者だけだったことを
知っているか。
葛西 『労働情報』は私の立場で読む本ではないので、知らなかった。資料にあるとおりだと思うが
、仮にその資料通りなら列車への影響はなかったと思う。だが、列車への影響があるないにかかわら
ず、すべてストは公労法違反であり規律違反である。
清水 杉浦総裁着任以降にリボン・ワッペン処分は始まったのか。
葛西 杉浦総裁が着任するまで、国鉄当局はリボン・ワッペン処分をためらっていたが、私はそれを
正しくないと思っていた。〔処分で〕徐々にあるべき姿に戻していったと認識している。規律の維持
は経営の責務だが、しばしば力関係で揺れることがあった。
清水 雇用安定協約は効果があると思っていたか。
葛西 組合は、雇用安定協約を結ばないと首になると宣伝していたが、私は心理的以上の効果はない
と思っていた。
清水 第2次労使共同宣言をどのようなものだと思っていたか。
葛西 分割民営化が正しいと労使で確認しあうことだと思っていた。鉄産労に移った人たちは分割民
営化しかないと理解し、民営化後の企業体への順応性が高い人たちだと思う。

萩尾健太弁護士に交代。

萩尾 当局が動労に対して行った、ストによる202億円損害賠償請求裁判の取り下げを国労に対し
て行わなかったのはなぜか。
葛西 第2次労使共同宣言を結ぶことができれば、国労に対しても〔1986年?〕8月には取り下
げる覚悟だった。

午後3時10分から15分間の休憩を挟み、午後3時25分からは1審被告・運輸機構側の富田弁護
士から尋問が行われる。富田弁護士の質問は、原告は第1希望しか書かなかったから解雇されただの
、相変わらずの誹謗中傷に終始。ついには「国労は期待権を侵害されたと言っているが…」などと、
ありもしないデマ宣伝まで行った。そもそも「期待権」という言葉は1審・難波判決が初めて用いた
表現で、難波判決が出るまで、国労も原告団もそんな単語自体知らなかったのだ。
このときはさすがの私も「期待権は難波が使った言葉で原告はそんなこと言ってないぞ、事実を曲げ
るな、国家の犬!」という言葉が出そうになった。名誉毀損で富田弁護士に対し、ここで挙手して訴
訟提起しようかと思うほど酷い事実誤認だった。だが原告のことを思って耐えた。相手陣営を誹謗す
る以外の方法を知らない低能弁護士ごときの挑発に私がわざわざ乗ってやる道理もない。流しておけ
ばよいのだ。

せっかくの富田弁護士の誘導にも乗らず、自分の哲学を開陳し続ける葛西証人を見て、運輸機構側は
まずいと思ったのか、早々に尋問を切り上げた。午後4時10分過ぎ、再び加藤主任弁護士が立つ。

加藤 職員管理調書の評価も国労であれば低くするということか。
葛西 分割民営化に賛成すればプラスに評価されるということだ。
加藤 あなたの本に、分割民営化すれば地域の実情に応じた運賃、地場賃金に見合った社員の賃金に
ならざるを得ないというふうなことが書いてある。そういう認識はあったのか。
葛西 それが経済合理性だ。だから、そうならないように三島会社〔北海道・四国・九州〕のための
経営安定基金を作った。
加藤 あなたの本には三島会社は上場できないと書いてあるが。
葛西 〔本州3社も〕こんなに早く上場できるとは思っていなかった。
加藤 〔そのような、分割民営化がもたらす地域格差問題を〕知っていて隠したのではないか。
葛西 経済合理性だけでは計れないと当時から思っていた。隠したわけではない。
加藤 最後にもういちど人活センターについて聞く。人活センターについてどういう認識を持ってい
たか。
葛西 職場規律の維持、安定・安全輸送の確保のために必要だったと理解している。

1審原告側からの、敵性証人・葛西敬之氏に対する尋問はここまでで終わった。最後に、裁判所から
証人への質問が行われた。

小林宏司裁判官(以下小林)労使共同宣言は方向転換、自律的に国労組合員を変えさせることと理解
してよいか。
葛西 そう思っている。
小林 実際、事態はそのように動いたのか。
葛西 そのように動いた。
小林 処分歴以外の新会社採用基準はあるか。
葛西 採用に関しての採用基準は処分歴だけである。ただし、過去に昇格等で使用した本人の知識、
適性、技能等に関する人事データがあったのでそれらは参考にした。
小林 JR九州について見ると、鉄労、動労の採用率は100%で、国労は40%であるが、これは
どのように理解したらいいのか。
葛西 国労組合員には様々な規律違反や、妨害行為などがあったため、そのようになったと認識して
いる。
小林 本人の知識、技能、適性等を総合的に評価して、本当にこれほどの差になると証人は思ってい
るのか。
葛西 そう思っている。

南敏文裁判長(以下南)杉浦総裁になってからのリボン・ワッペン処分は国労関係者が多いのか。
葛西 処分をしていなかっただけで、それ以前からリボン・ワッペン着用は人事上の評定を行ってい
た。
南 〔分割民営化直前の処分歴を採用基準にしたという〕証人の今までのお話を聞かせてもらったな
かで、私の中に、ある仮説が浮かび上がってくる。国労関係者の処分が多くなる時期を狙っての採用
基準作りという見方が成立しうると思うが、その点をどう考えるか。
葛西 当時、第二臨調、三塚委員会の方針があった。その方針にのっとったものであり、国労を排除
するためにその時期を選んだわけではない。
南 中曽根元首相が「国労をつぶせば総評がつぶれ、総評をつぶせば社会党がつぶれる」という発言
をしているが、証人はその発言について承知しているか。
葛西 発言は知っている。私は鉄道の再生のため、また真面目にやる者が報われるようにやってきた
だけであり、「子の心、親知らず」と思っている。
南 あなたが担当当時、中曽根首相から国労を排除するよう指示は受けなかったか。
葛西 中曽根首相は当時、課長クラスだった私が会えるような相手ではなかった。
南 それでは中曽根首相から杉浦総裁へそのような指示はなかったか。
葛西 なかったと思う。

(午後5時10分頃 閉廷)
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概要は以上です。間違い等あればどんどん連絡ください。

◎尋問を聞いて感じたこと
全般を通して思うことは、やはり葛西氏自身が「国鉄改革の真実」の中で「書きすぎた」ということ
。この本を書いたために、本来なら認めなくてすむはずだった多くの事実を、認めなければならなく
なってしまったように思います。

夜の報告集会で、加藤弁護士から「もっと派手なケンカを期待していた人には申し訳ない」との報告
もありましたが、すでに葛西氏の著書に書いてある内容に絞って尋問したのは、結果的に見れば成功
だったかもしれません。証人にしてみれば、今さら裁判長の前で自著と違うことを証言できないから
です。

しかし、自著に書いていないことに関する質問の多くに対し、知らぬ存ぜぬを貫くなど、葛西証人は
それなりにしたたかだったと言えます。尋問終了後、傍聴者からは「したたかな策士」という声が聞
こえましたが、一方で「大したことのない男だ」という評価もあり、葛西証人に対する人物評は今の
ところ、二分していると言えるでしょう。

この尋問を通じ、葛西証人の「弱点」もたくさん浮かび上がりました。自分が正しいと思うことは世
間に受け入れられると無邪気に信じるエゴイズム。自己保身のためなら「戦友、同志」さえ平然と売
り渡す人間性の下劣さ。そして、労働者と組合には規律と服従を強いながら、みずからは様々な労働
法違反を犯し、あまつさえその自覚すらないご都合主義と自己中心性などなど。

私は、今回の尋問で、葛西証人に失望しました(敵性証人に期待していたわけではありませんが、も
う少しまともな人格を持っていると思っていた期待が砕かれたということ)。江見弘武氏を平然と売
り渡したこと、2003年12月の最高裁判決でJRの責任が問われることがなくなり、自分が安全
な位置にいながら、採用差別について「第二臨調、三塚委員会の方針があったからあの時期になった
」と政府のせいにしたことです。自分の発言がもとで運輸機構側が敗訴することになるかもしれない
のに、法的に「免責」された自分が泥をかぶることもせず、自分さえ良ければ他人はどうなってもか
まわないという自己中心性をさらけ出してしまいました。
JR東海内部でも、葛西会長の「偶像」は決定的なダメージを受けたと思います。

裁判所から葛西証人への質問は短いながら採用差別の核心を突くものでした。この質問を引き出した
のは、悪乗りした葛西氏自身の「自爆」もさることながら、1審原告側弁護団がひとつひとつ、葛西
氏の化けの皮を剥ぐような質問を続けたことにもあると思います。突っ込み不足の面ももちろんあり
ますが、総合的に見れば、勝利を大きく引き寄せる尋問として成功と総括できると考えます。夜の報
告集会の明るい雰囲気が、そのことを物語っていたと思います。

今日の尋問も今までのそれと同じように、不当労働行為を余すところなく暴き出しました。もし、不
幸にも原告が敗訴するとすれば、それは「中西型敗訴」(事実認定せず時効で逃げ)か「村上敬一型
敗訴」(国是に逆らうものは非国民)しかあり得ないというところまで引き上げることができたもの
と考えます。

国鉄改革法23条との闘いがどうなるか。その行方は予断を許しませんが、裁判所が「採用基準」そ
のものを恣意的と疑うような質問をしたことは、単なる「期待権」や「中立性保持義務違反」の枠を
大きく越え、採用基準の無効、つまり1987年2月16日以前の状態に戻すための突破口をわずか
ながら切り開いた、と見ることもできます。
原告が期待する納得のいく解決ができるようにするために、今後は原告、支援者による大衆運動の飛
躍が必要だと思います。

(2008.6.3 記)

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