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サルコジ大統領の最初のつまずき:ギイ・モケの手紙

    2007.10.26  飛幡祐規(たかはたゆうき)

フランスでは去る10月18日、年金法改正に反対する国有鉄道やパリ市交通公団などの統一ストが行われ、新しい移民法、とりわけ「家族呼び寄せ」の際、親子関係の確認にDNA検査を取り入れる条項に反対する運動が高まっている(この法案は10月23日両議会で可決されたが、いくつかの条項は憲法違反として憲法評議会にかけられる予定)。大統領選後は人気の高かったサルコジ大統領も、この秋はいくつもの改革を同時進行させているため、11月には教員、公務員など、さらにさまざまな社会運動が展開される見通しだ。フランスの経済成長率は予測よりも低く、最初の政策(主に高所得者への税金免除)が景気回復に全くつながらない中、サルコジ新政権への支持率は落ち始めた。

 さて、久しぶりの大規模なスト(国鉄では73,5%のスト率)、セシリアとの離婚に続いて、雲行きが怪しくなってきたサルコジ大統領にとって、おそらく最初の政治的つまずきをあらわす象徴的な出来事が起きた。日本における「君が代・不起立」とは事情が異なるが、学校(教育)への政治・行政の「不当な支配」に対する抵抗例のひとつなので、紹介したい。

 サルコジは大統領に当選直後、「毎年10月22日に全国の高校でギイ・モケの手紙を朗読させる」ことを決めた。ギイ・モケは1940年10月、ナチス・ドイツ占領下のパリで、当時非合法となった共産党のレジスタンス運動に参加して逮捕され、1941年10月22日、17歳の若さで銃殺された。その2日前、ナント市でナチスの将校がレジスタンス運動家に暗殺されたため、報復としてヒットラーは100人の銃殺を要求し、シャトーブリアンの収容所に拘留されていた27人の共産主義者、ナント刑務所で16人、パリ郊外で5人の計48人が銃殺された。ギイ・モケは釈放されるはずだったが、処刑の朝になって銃殺者のリストに加えられた。ナチスはこの事件のあと、ユダヤ人1000人と共産主義者500人の「東方強制収容所送り」を決定。翌年の1942年3月から強制収容所送りが開始される。

 サルコジはこうした歴史背景を無視して、ギイ・モケが共産主義者であった点には触れず、少年が両親と弟にあてた最後の手紙をとおして、「年若くけなげな愛国的レジスタンス運動家の肖像」のみを現代の高校生に伝える儀式を学校に求めたのである。ちなみに、フランス国営テレビ局は多大な予算を投じて、ギイ・モケの銃殺を映像化したプロモーションビデオまでつくって放映し、ラグビーのワールドカップ後にスポーツ庁長官に就いたナショナルチーム前コーチのラポルト(サルコジの親友・支持者)は、第一戦の対アルゼンチン試合の直前に、フランス選手全員の前でギイ・モケの手紙を朗読させた(それが負けた理由の一つだと揶揄された!)。

  学校での朗読命令に対しては、現場の教師たち、歴史学者、教員組合などから続々と抗議の声が上がった。歴史的文脈を説明せずに、少年の手紙だけを読み聞かせることは、史実の伝達ではなく感動・同情によってナショナリズムを喚起する行為、つまり「記憶」の政治利用であって、歴史教育ではないという批判である。(実際、「大好きな大好きなママン……」から始まるギイ・モケの手紙はけなげで、読む者の胸を引き裂かずにはいられない。)実は、ギイ・モケら「シャトーブリアンで銃殺された者たち」は、戦時中からすでにフランス共産党によってレジスタンスの英雄的「殉教者」に祭りあげられていた(銃殺された48人のうち、共産主義者27人の存在だけを強調した)。サルコジ大統領は逆に、ギイ・モケが共産主義者として逮捕された史実を伏せて、「祖国への殉教」という側面のみを若い世代にアピールしようとしたわけだ。

 さて、こうした批判に対して教育大臣は、「朗読はどんな形式でもよい、朗読しない教師を処罰しない」など、大統領の要請を緩和する見解を発表した。当日、サルコジ大統領はギイ・モケが通っていたカルノ高校(パリ17区)に赴く予定だったが、多忙を理由にキャンセルした。しかし、本当の理由は、同高校の教師たちが抗議文を発表し、校舎前でデモが催されたことだろうと推測されている。代わりに他の大臣たちがいくつかの高校に赴いたが、ダルコス教育大臣とダティ法務大臣は、生徒や教師、市民から抗議を受けた。教育省は「ギイ・モケの手紙は大多数の高校で朗読された」と発表したが、歴史の授業の一貫として朗読を行った者、朗読せずに他のレジスタンス活動家の詩と共にプリントを配った者、朗読しなかった者など、教師たちは自分の考えにしたがって自由に行動した。

 サルコジが訪問をあきらめたカルノ高校の例は、とても興味深い。ギイ・モケの母校の記念式典に大統領が来るという予定を聞いた高校生とOBたちは抗議デモを企画し、教師陣にあてて手紙を書いた。「……あなたがたの中には、国家の命令に従うのが公務員の義務だと思う人がいるかもしれません(そして、それがいちばん楽でしょう)が、私たちが従うべき唯一のものは、自分自身の良心です。あなたがた教師は、手本としてそれを私たちに示すべきです。時には、より高い理想のために命令に背くことが必要とされるのです」

 カルノ高校の教師たちはこれに答えて総会を開き、大統領と教育省の命令を拒否する声明を可決した。いわく、「この命令には国家の道徳を構築しようとする意図が明白であり、教師はその代弁者の役割を担わされる。全国の子どもたちを、議論の余地のない融合的な内省(死に向かう少年の犠牲精神と愛国的勇気に、みんないっしょに感動すること:筆者注)をとおして一体化させ、そうしなければ『反愛国的精神』とみなされる、専横的な命令である」(10月16日付リベラシオン紙、ピエール・マルセル記者のコラムより引用)

 カルノ高校前で行われた「反記念式典デモ」では、「大統領と一体になるなんてまっぴら」、「ギイ・モケは反逆者だった。彼のあとを引き継ごう」などという声があがり、「かつては、レジスタンス運動家として銃殺された。今日では、移民として警察に一斉検挙される」というプラカードが掲げられた。ダティ法務大臣が赴いたパリ郊外のギイ・モケ高校前にも50人ほどの市民が集まり、「人種差別的な法に対するレジスタンス」、「ギイ・モケを釈放せよ、フロリモンを無罪にせよ」といった台詞が叫ばれた。フロリモン・ギマールという小学校教師は、非合法滞在の外国人(生徒の親)の国外追放に反対してマルセイユ空港に赴いた際、「警察に反抗した」という名目で訴えられている。サルコジ流ナショナリズムと外国人規制の強化に反発する市民たちは、現政権の排外的な政策、とりわけ非合法滞在の外国人に対する措置(一斉検挙、国外追放者数の指定、子ども・幼児まで勾留施設に収容)を、ナチスに協力したヴィシー政権が行った非人道的な行為に近づくものとして弾劾している。

 サルコジ大統領は以前から、奴隷制や植民地支配などフランス史の汚点を直視しようとする歴史学者や市民の動きに対して「悔悛の必要はない」と発言し、植民地帝国時代へのノスタルジーを持ち続ける保守層に媚びた言動が多い。大統領戦で「68年五月革命の遺産を清算する」と主張した彼は、40年以上も時代を遡ったような強権的な保守・反動思考に、メディアが流布するスター崇拝と下品な拝金主義を融合させた「大衆テレビ時代のポピュリズム」政治を進めている。また、閣僚に左翼陣営や移民系、政界以外の人物を起用し、オープンでモダンなイメージを売り物にしているが、首相や大臣の権限は実質的に弱まり、大統領ひとり(と顧問たち)への極端な権力集中は、これまでの共和国政治において前代未聞だ(日本のある友人が使った当て字を拝借して、わたしはこれを「猿誇示第三帝政」と呼んでいる)。政治的理念ではなく「感動」の演出を政治の中心に据え、人々の感情や被害者意識を巧みに操ろうとするサルコジ新政権にとって、大統領自ら涙を流して全国の高校生と一体になるギイ・モケの手紙朗読は、「国民のアイデンティティ」を強調する最初の象徴的なイベントになるはずだった。ところが教師や市民、そして一部の高校生たちの的確な抵抗によって、この茶番劇は頓挫した。フランスの市民、とりわけ高校生たちの冷静で自発的な抵抗力に、拍手を送りたい気分だ。押しつけではなく、自由でしなやかな批判精神の中から、レジスタンスは生まれるのである。

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