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シンディ・シーハンの受けた苦しみに思いを馳せる
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向井ますみです。

シンディのことを政治的に評価してどうこう言って欲しくない、という思いが募っています。
そりゃ消耗しているに違いありません。
絶望に近いものもあるでしょう。当たり前です。

ただ、彼女の受けた苦しみに思いを馳せるとき、私は次のようなことを考えてしまうのです。

息子が永遠に還ってこない、と知らされてから幾夜眠れぬ夜を過ごしたことだろう。
なぜ、なぜ、とどんなに激しくわけを知ろうとしただろう。
その気が狂うような痛みと、喜怒哀楽自体が消滅するほどの喪失感の中で、突然、それはイラクの母達ひとりひとりの苦しみ、自国政府が彼女らにもたらしている苦しみとまったく同じものだと気づいて戦慄したにちがいない。
その瞬間、彼女はこの世界で苦しめられているすべての人の痛みを直観し、自らの魂に刻み込み、いかなるウソもプロパガンダも通じない人になったにちがいない。
そのときすでに彼女は民主党員の多くとは、またもっと「左」の人々とも異なる境地に立っていたろう。

ケーシーの死の痛みが刻印されたそのような魂が変質することはありえない。彼女が生きているかぎり、表れ方がどうであれ、その魂は息づき続けるに違いない。

すべての母親というものがその深さにまで達するわけではない。その情の深さ、正義感、他者への人間的共感が結合しているさまはシンディの天性であるだろう。

今はただ、彼女の絶望感(に似たもの)を共有したい、とさえ思います。人間への変わらぬ愛と不屈の闘志を信じつつ。

*****
彼女はケーシーの死の意味を徹底的に考える中で敵はグローバル資本主義・戦争マシンと気づいたのだと思えます。そして、その出発点の思い(痛み)を薄れさせることなく今も抱いている、と。彼女の柔軟性、アンタッチャブルともいえる強さは母親の痛みに根付いているのではないでしょうか。今、その政治的表現がどうであるかは、本質的なことではないように思えてなりません。

Created by staff01. Last modified on 2007-06-03 10:20:33 Copyright: Default

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